文書と写真・地図による「記憶」の再現

石塀小路

石塀小路(いしべいこうじ) 2008年05月16日訪問

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石塀小路 レンガ塀は圓徳院

 建仁寺の東北の門を出て、祇園甲部歌舞練場の南を東に進むと、程なくして東大路通に出る。東山安井の交差点を横断し、更に東へ向うと下河原通が現れる。この通りは、八坂神社の南楼門と八坂の塔を結ぶ南北の道であり、西側は下弁天町と上弁天町そして清井町、東側には高台寺がある下河原町となっている。
元治元年(1864)に刊行された花洛名勝図会にはこのあたりの様子が残っている。高台寺の寺域は現在より大きく、駐車場から霊山観音そして霊山護国神社のあたりまで広がっていたように見える。
 花洛名勝図会を見る限り、江戸時代末期には圓徳院に隣接するように民家が立ち並び下河原通に面していたようだ。大日本帝國陸地測量部が明治25年に作成した地図 京都の高台寺の周辺を見ると花洛名勝図会と同じような状況であることが確認できる。これを現在の町並みと見比べてみると、圓徳院や春光院など、高台寺塔頭が広い敷地を占めていたように思われる。Kyoto Townmapの石塀小路(http://www.kyototownmap.com/page/ishibe-koji.html : リンク先が無くなりました )には、以下のような記述がある。
     石塀小路の土地は、当初は圓徳院のの所有地でしたが、明治時代になって税金を納める必要が出てきたため、圓徳院庭園の一部を取り崩して、通り抜けの道を造りました。

 このことを確認することは出来なかったが、先の地図から見るとそのような事情も想像できる。

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石塀小路

 粟津征二郎の紀行エッセイ 第30回 大正ロマンの石塀小路でも触れているように、明治期に製茶販売で財をなした上村常次郎が圓徳院やこの近隣の土地を購入し、宅地用に開発している。宅地といっても現在の不動産屋のような分譲用のものを作り売るのではなく、席貸を併用した借家を経営する事を考えていたらしい。正法寺の塔頭や円山公園にあった六阿弥のような貸席を持った塔頭がビジネスモデルであったのだろう。大きな寺院の敷地を小規模に分割して貸家を建てるため、下河原通と高台寺道(現在は「ねねの道)と呼ばれている)の間に新たな道路を作る必要性が出た。それが石塀小路が作られた経緯であろう。

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石塀小路 左は旅館の田舎亭

 この地域の家は石垣を積上げた地盤の上に建ち、道路面より建物の1階床は高くなっている。これは、高台寺道から下河原道にかけて敷地が下っていくためと先の粟津征二郎氏のブログにもあるように東山山系、鷲峯山から流れ出る菊渓川が増水し、度々洪水のようになったために設けられたようだ。この地の名前に下河原が残るのもそのような記憶が残っていたためである。菊渓川は現在、暗渠となっているため、どこを通っているかは分からない。高台寺の池泉はこの川から水を引いていたと言われていることから、霊山護国寺と高台寺の北を流れ岡林院の前を流れているものではないかと思われる。

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石塀小路 小路への入口

 石塀小路は下河原道に面して2箇所、高台寺道に面して1箇所の入口があり、路地は大まかにはユの字型している。河原町通の北側の口は1間位の路地となっているので中を知らない人はなかなか入りにくい。もうひとつの南側の口には石造の門柱が建てられ、神社の鳥居のように見える。
 各入口には石塀小路と書かれた街灯が設置されている。この街灯のデザインが大正時代の雰囲気を醸し出している。路地は石畳敷きとなっているが、昭和時代まで京都の市電の線路敷に使用されていたものを展用している。
石塀小路の中は同じようなデザインコードで建てられているため、心地よい統一感を持っている。しかし良く一戸一戸を見ていくと、ただ民家が並んでいるわけではなさそうだ。高級そうな料亭、和風旅館から画廊、シェリー酒専門店までここには軒を並べている。

 京町家再生研究会「石塀小路界隈の町家改修」には、開発者・上村常次郎の孫であり、元石塀小路大家である上村榮一氏が紹介されている。石塀小路は周辺住民の合意を得て作り上げたデザインコードではなく、開発者と大工が決めたコードによっている。そのことによって統一感が守られている。これは所有者が一人であったことが重要な役割となっている。そして、一番重要なことは定めたデザインコードが極めてセンスの良いものであったことである。先の「石塀小路界隈の町家改修」でも以下のようにまとめている。

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石塀小路 高台寺道へつながる

 この地域は古くから社寺の門前町として栄え、ねねの伝統を継ぐ由緒ある芸者の町として発展してきたそうです。そんな地域の伝統と周辺の開発の状況をふまえ、上村常次郎さんは開発の構想を立てていきました。実際の施工には林幸次郎さんという大工さんにすべておまかせしたとのこと。敷地の高低をうまく解決するために路地を切り開き、石垣を積んだり、高塀を作ったりして、美しい路地空間をつくってゆきました。ここは、ひとりの開発者と、ひとりの大工さんが相談して作り上げた町並み景観だったわけです。

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石塀小路

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