文書と写真・地図による「記憶」の再現

カテゴリー:京都洛中

設定変更について その8

 

設定変更について(せっていへんこうについて) その8 徘徊の記憶 大規模メンテナンス前の記事画面  2010年1月17日訪問の冷泉家について書いたのが2019年5月26日だったので約1年ぶりの投稿になる。「次は2010年9月18日分の鞍馬・貴船です」と言いながらかなり長い間、筆をとることができなかった。この期間、新たな京都訪問や次の旅行の準備をしていた訳ではない。ただ地味にブログの裏側を直していた。 ことのきっかけは、本ブログの事務局からの連絡・【重要】大規模メンテナンス(7/2)およびリニューアルのお知らせであった。大規模と銘打っているものの、たいしたリニューアルではないと嵩を括っていたが、メンテナンス終了後ウェブリブログ全体が一変した。事前の告知は下記のようなものであった。 [主な機能拡張… ►続きを読む

 

設定変更について その9

 

設定変更について(せっていへんこうについて) その9 徘徊の記憶 大規模メンテナンス後の記事画面 記事画面に右サイトバーを追加した 設定変更について その8で書いたように、本ブログを維持して行くためには全面的な書き換えが必要であり、新しいシステムの開始はその実行のための条件も満たしている事が分った。それではどの部分をどのように変更するかがである。 まず、第一にHTML構文の見直しである。これは新しいシステムでの表示を正常なものにするために欠かせないことでもある。これをどのようにして実現するかについては後述する。第二に行うべきはSSL暗号化通信。上記のようにHTML構文の書き直しを行うならばブログ内で記述されているリンク先の再確認を行い、必要な部分はhttpからhttpsに変更する。そして第三はリンク… ►続きを読む

 

設定変更について その10

 

設定変更について(せっていへんこうについて) その10 徘徊の記憶 Wordpress版の記事画面 ウェブリブログ版とほぼ同じデザインで再現 設定変更について その9で記したようにブログ・徘徊の記憶の再構築には約半年の時間を要した。その大部分は、HTMLコーディングの見直しであり、古くなったリンク先の確認でもあった。これらの膨大な確認作業が終わり、MT形式のデータファイルをインポートしたことで、2020年の初めにはウェブリブログ上に新たな「徘徊の記憶」が完成した。恐らくブラウザでブログを見ている限り、2019年8月時点と変わった点に気付かないであろう。この一連の作業を通じて、今回のような大規模な変更がまた生じることや他のブログサービスが閉鎖している現状を見ると、いつまでもウェブリブログに依存してい… ►続きを読む

 

ブログの引越しについて

 

ブログの引越しについて(ぶろぐのひっこしについて) 徘徊の記憶│Haikai no kioku 2020年5月を以てウェブリブログ・徘徊の記憶(https://vinfo06.at.webry.info)の更新を停止します。 今後は、本ブログ・徘徊の記憶│Haikai no kiokuをメインブログとし更新を継続いたしますので宜しくお願いいたします。… ►続きを読む

 

冷泉家

 

冷泉家(れいぜいけ) 2010年1月17日訪問 冷泉家  同志社大学今出川キャンパスの西門前に建つ薩摩藩邸跡の石碑は、この地に薩摩藩二本松邸があったことを示すものである。薩摩藩邸跡(二本松)からその4までの4回にわたり、薩摩藩の京屋敷について書いてきた。特にこの二本松藩邸は倒幕に舵を切っていく薩摩藩の政治活動の中心地であり、また軍事力の駐屯地でもあった。文久3年(1863)の藩邸完成後、払い下げになる明治5年(1872)までの10年に満たない短い期間だけでも、甲子戦争、薩長同盟そして鳥羽伏見の戦いという歴史の転換点の舞台となったことは特筆すべき点である。次回の訪問の際には、慶応4年(1868)の鳥羽伏見の戦いから払い下げに至る経緯について書いてみたいと考えている。 烏丸今出川の交差点を東に曲… ►続きを読む

 

薩摩藩邸跡(二本松) その4

 

薩摩藩邸跡(二本松)(さつまはんていあと) その4 2010年1月17日訪問 薩摩藩邸跡 京都市の駒札  薩摩藩邸跡(二本松) その3では本題である薩摩藩二本松藩邸が、この地に作られるまでの経緯を見てきた。この項では小松、西郷、大久保の京都での寓居跡と藩邸の位置関係を確認しておく。 小松帯刀寓居 近衛家御花畑邸 2018年3月18日撮影  文久3年(1863)9月、薩摩藩は小松帯刀の宿舎として鹿苑院の借受けを相国寺に申し出ている。前述の「相国寺研究 四 幕末動乱の京都と相国寺」によれば、9月11日に借用願を出したようだ。小松は久光の3度目の上京に随行し、文久3年10月には京に入っている。久光を補佐し国是決定のための会議、すなわち参預会議体制の構築に尽力した。そのため朝廷、公家、幕府及び他藩の諸氏… ►続きを読む

 

薩摩藩邸跡(二本松) その3

 

薩摩藩邸跡(二本松)(さつまはんていあと) その3 2010年1月17日訪問 薩摩藩邸跡  薩摩藩邸跡(二本松) その2では薩摩藩の岡崎藩邸と小松原調練場について見て来た。軍事力を京都の地に置くためには、藩兵が寄宿する場所の他に軍事訓練を行える場所の確保が重要となる。そして武器の主流が刀や槍から大砲と小銃へ移った事により、屋敷内の剣術道場ではなく広大な敷地を持つ調練場が要求されるようになった。もし西洋式の軍事訓練場の準備ができなかったならば、甲子戦争においても開戦に踏み切ることができなかったのではないかとも思う。それ位、当時の薩摩藩にとっても2つの調練場は重要な施設であったと考える。 恐らく薩摩藩は文久3年(1863)頃からこの調練場の調達に入り、元治元年(1864)4月頃には岡崎に5221… ►続きを読む

 

薩摩藩邸跡(二本松) その2

 

薩摩藩邸跡(二本松)(さつまはんていあと) その2 2010年1月17日訪問 薩摩藩邸跡  薩摩藩邸跡(二本松) では幕末期の京屋敷について見て来た。江戸時代初期より京には諸藩の武家屋敷、すなわち京屋敷が設けられてきた。禁中並公家諸法度により、「一 武家之官位者、可爲公家當官之外事」と武家と公家の官位は分けられ、武家には将軍を通じて官位が与えられるように定められた。そのため官位叙任に関し武家は公家と直接的な関係を結ぶことがないように制限されてきた。そしてこのことが武家と公家の私的な交際まで拡大適用され、特に譜代大名は参勤交代の際にも幕府の疑念を避けるために京に入ることがなかったとされている。それでも京屋敷が存在した背景には京都が大坂に次ぐ西日本最大の都市であったからと考えられる。特に江戸中期以… ►続きを読む

 

薩摩藩邸跡(二本松)

 

薩摩藩邸跡(二本松)(さつまはんていあと) 2010年1月17日訪問 薩摩藩邸跡 同志社大学今出川キャンパス西門前  烏丸通の西側にある大聖寺は一般公開を行っていないため、その境内を拝見させていただいた。烏丸通沿いに築かれた築地塀に背を向けるようにして、花乃御所の石碑が建てられている。平成7年(1995)に大聖寺門主の花山院慈薫が建立されている。今、大聖寺があるこの地には、かつて足利義満が築いた室町殿が存在したことを示す石碑である。さらには大聖寺の開基・無相定円が義満の室町殿の中にあった岡松殿で過ごし、亡くなられた後に大聖寺に改められたことを記念するものでもある。この場所の地名は上京区御所八幡町であるが、烏丸今出川の交差点のやや北側、すなわち御所八幡町の南隣に岡松町の地名が残る。碓井小三郎の… ►続きを読む

 

大聖寺

 

臨済宗単立 岳松山 大聖寺(だいしょうじ) 2010年1月17日訪問 大聖寺  今出川室町の東北角に建つ足利将軍室町第址の石碑を確認した後、今出川烏丸の交差点を北に上ると左側に大聖寺の山門が現れる。もうすでに17時を回ってしまっていたので門扉を閉める準備を行っていた。大聖寺は一般に公開されていない寺院であるので取り合えず境内の様子のみ見せていただくことにした。 大聖寺は尼五山第1位の景愛寺の法統を継ぐ臨済宗単立寺院。山号は岳松山、御寺御所とも称する尼門跡寺院。ここからは尼五山の成立時期とともに大聖寺や宝鏡寺の基となった景愛寺について少し詳しく見ていくこととする。 大聖寺  尼五山とは室町時代に禅宗の五山制度に倣い、京都と鎌倉の尼寺各5ヶ寺が定められている。京都尼五山は景愛寺、護念寺、檀林寺、… ►続きを読む

 

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