文書と写真・地図による「記憶」の再現

タグ:建築土木

角屋 その2

 

角屋(すみや) その2 2008年05月18日訪問 角屋 玄関の露地  角屋の2階部分は、各部屋毎に異なったテーマのもとに意匠を競う個性的な部屋となっている。これに対して1階には網代の間と松の間の2つの座敷以外は、揚屋を支える機能で満たされている。2階は撮影不可ではあるが、1階では写真撮影が許されている。 角屋 外観全景 角屋 玄関  角屋の建物が国の重要文化財に指定されたのは揚屋建築の遺構であるためである。既に江戸時代後期には衰退しているようで、嘉永6年(1853)に喜田川守貞が著した「守貞謾稿」には、揚屋を下記のように紹介している。      揚屋 あげやと訓ず。京師島原大坂の新町は今も在之。江戸も昔は在之。     何れの年に廃す歟。今は揚屋無之唯揚屋町の坊名を存すのみ。     揚屋には… ►続きを読む

 

角屋

 

角屋(すみや) その1 2008年05月18日訪問 角屋 外観  渉成園の西門を出て、間之道通を南に下り七条通へ出る。七条河原町通から市バスで島原へ向かう。角屋の2階部分は午前1回、午後2回特別公開される。そのため既に予約しておいた10時30分までに角屋に着かないとならないのだが、乗車するバスを誤ったようで思っていた方向とは違う方に進み始めた。そこで七条堀川で下車しタクシーに乗り換える。かなりバスが来るまで停留所で待ったことも含めて最初からタクシーに乗れば良かったと後悔する。 既に10時30分の回は巡回を始めていたようで、入館料の1000円と特別公開の800円を支払った上で、ロッカーに荷物を預け2階に上る。幸いまだ説明が始まったばかりだった。角屋は30年近く前の学生時代に一度訪れてことがあり… ►続きを読む

 

祇園閣

 

祇園閣(ぎおんかく) 2008年05月16日訪問 祇園閣  産寧坂から二年坂そして一念坂を下り、ねねの道を歩く時、町並みの屋根の上に見えるものは法観寺の五重塔(八坂の塔)と祇園閣である。 大倉財閥の創始者・大倉喜八郎は大正15年(1926)老後保養の地として真葛ケ原に別邸を建てている。しかし喜八郎は、この地で普通の隠棲生活に入るのではなく、さらに展望台を兼ねた記念塔を建て、行く行くは一般に公開し、京都の名物にすることを考えていたようだ。こうして祇園閣は真葛荘の一角に伊東忠太に設計によって建てられた。伊東忠太は、既に明治28年(1895)に平安神宮を手がけ、同じ時期に大倉の依頼で大倉集古館を設計している。そして震災祈念堂が昭和5年(1930)、築地本願寺が昭和9年(1934)に竣工していること… ►続きを読む

 

八坂の塔

 

八坂の塔(やさかのとう) 2008年05月16日訪問 八坂の塔 文の助茶屋前  清水寺の参道である松原通から、七味家総本店の脇の石段に入ると産寧坂となる。この坂は最初、北に向かって下って行くが奥丹のあたりで西側に曲がり始める。再び北に向かうニ寧坂に入らずこの道沿いに進むと右手に八坂の塔が現れる。この奥丹から下りながら塔に近づいてく道は、周りの町並みとともに最も塔が美しく見えるアプローチにもかかわらず、電柱と電線が景観を完全に破壊している。日本の都市景観の貧困さを象徴する光景となっている。 八坂の塔 竹内栖鳳旧宅前から  かつての翠紅館現在の京大和の中庭からの眺望はすばらしいものだと思われるが、なかなか庶民には訪問の機会がない。それでも東山を散策すると八坂の塔は、町並みの切れ間や町家の屋根の上… ►続きを読む

 

ホテルフジタ京都

 

ホテルフジタ京都(ほてるふじたきょうと) 2008/05/15訪問 ホテルフジタ京都 鴨川側の外観 撮影2005/08/16  鴨川にかかる二条大橋の西詰めに吉村順三設計による昭和45年(1970)竣工のホテルフジタ京都が建つ。こちらのホテルには一度予約を入れたことがあったが、三宮で阪神大震災に遭い、神戸から京都へ移動することができず、泣く泣くキャンセルの電話を入れた思い出がある。残念ながら今回もこちらに宿泊する予定を組むことができなかった。またいつか機会があれば一度訪れてみたいと思う。ホテルフジタ京都の敷地の北端に、藤田伝三郎の別邸 夷川邸が残されている。  藤田伝三郎は明治期の関西財界の重鎮で、藤田財閥の創立者。建設・土木、鉱山、電鉄、電力開発、金融、紡績、新聞、などの経営を手がけ、今… ►続きを読む

 

高瀬川

 

高瀬川(たかせがわ) 2008/05/15訪問 高瀬川 一之舟入  高瀬川は慶長19年(1614)に、京都の中心部と伏見を結ぶために角倉了以・素庵父子が開削した運河である。高瀬川の名前は、輸送に使われた平底の舟を高瀬舟と呼んでいたことから付けられたものであり,角倉川ともいわれていた。 角倉家は室町幕府に仕える医者の家系であったが、了以の祖父・宗忠が商人の手腕を発揮し、帯を独占的に販売する組合である帯座の座頭職を手に入れ、その資金をもとに現在の金融業である土倉業を営むようになった。その後、次男の宗桂は土倉業を引き継ぐ傍ら、天文年間に2度も明に渡り、中国の先進医術を学んでいる。 角倉了以は天文23年(1554)に宗桂の子として生まれている。父から諸外国の経済事情などを聞かされ、家長となった18歳… ►続きを読む

 

新島襄旧邸

 

新島襄旧邸(にいじまじょうきゅうてい) 2008/05/13訪問 新島襄旧邸  梨木神社の鳥居をくぐり、清和院御門の前の広場に再び出る。寺町通を南下する。右手は京都御苑の清和院駐車場が細長く続く。駐車場のさらに奥は仙洞御所である。単調な景色が続くので、府立鴨沂高等学校の角で左に入り、寺町通の一本東の新烏丸通を南下する。 ところで旧九条殿河原町邸はどこにあったのだろうか?九条殿は、閑院宮とともに御所内の南西にあったが、河原町邸は別のものと思われる。鴨川に架かる丸太町橋の西詰めに、昭和7年(1932)京都鴨沂会が創立60周年を記念して建てた碑が現在も残っている。この碑より、“本邦高校女学校之濫觴”である女紅場址が南西150メートルあたりに存在していたことが分かる。濫觴とは難しい言葉だが物事の起こ… ►続きを読む

 

南禅寺 水路閣

 

南禅寺 水路閣(なんぜんじ すいろかく) 2008/05/12訪問 南禅寺 水路閣  南禅寺本坊から出て法堂の南側に廻るとアーチ型橋脚を持ったレンガ造の建造物が現れる。琵琶湖疎水の水路閣は、京都を代表する景観の一つとなっている。しかし、京都駅や京都タワーや平安神宮と比較すればやや古いかもしれないが、まだ120年しか経っていないことを考えると京都においては新しい風景のひとつである。  明治2年(1869)都が東京へ移り,京都は産業も人口も急激に衰退し始めていた。明治14年(1881)第3代京都府知事に就任した北垣国道は,京都の産業振興を目的として、水運、灌漑、上水道、そして水車による動力に利用できる疎水の開鑿を計画した。そして明治16年(1883)現在の東京大学工学部の前身に当たる工部大学校を… ►続きを読む

 

三栖閘門

 

三栖閘門(みすこうもん)  2008/05/10訪問 三栖閘門  寺田屋を後にし、竹田街道を南下する。東浜南町を西に入り歩いていくと右手側にモリタ製作所のレンガ造りの建物が一瞬道筋からのぞく。そのまま進み濠川に出る。橋を渡り川沿いに南下し、京阪電鉄の橋梁をくぐると伏見みなと橋と対岸に広がる伏見港広場が見えてくる。巨大な京都外環状線の高架を越えると2本のタワーを持った赤い水門が現れる。これが三栖閘門である。  昔から淀川は氾濫を繰り返してきたが、本格的に治水工事に着手したのは豊臣秀吉が伏見城を築き、城下町を整備してからのことだった。現在の地図からは想像することが難しいが、伏見と宇治と淀を結ぶ地域に巨大な巨椋池が存在していた。この池には宇治川・桂川・木津川が流れ込んでいるため、大雨が降ると河川が… ►続きを読む

 

JR稲荷駅ランプ小屋

 

JR稲荷駅ランプ小屋 (じぇいあーる いなりえき らんぷごや)  2008/05/10訪問 JR稲荷駅ランプ小屋  伏見稲荷大社の表参道から伏見街道に出ると目の前に朱の柱に白壁、瓦葺屋根のJR稲荷駅が現れる。駅舎に沿って南に下ると小さな切妻屋根をのせた赤レンガの小屋がある。これがJR稲荷駅ランプ小屋。  電気照明が普及するまでの間、鉄道の客車用や駅務・保線用のランプとその燃料を収納しておくために使用された危険物倉庫がランプ小屋である。そのため堅牢な煉瓦造りとなっていた。明治時代に建設された旧国鉄の主要駅には一般的に存在していたようだが、ランプの消滅と駅の増改築等により姿を消していった。  JR稲荷駅ランプ小屋は明治11年(1879)築、現存している最古のランプ庫であり、準鉄道記念物に指定されて… ►続きを読む

 

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