伏見街道
伏見街道 (ふしみかいどう) 2008/05/10訪問
伏見街道の町並み 玉屋
伏見街道は五条と伏見を結ぶ街道。伏見城を築いた豊臣秀吉が天正年間(1573~1593)あるいは文禄年間(1593~1596)に開いたといわれている。さらに江戸時代に入ると伏見は大阪につながる交通の要衝となり、京と伏見の間の物資の運搬路が必要となり、西側に並行する竹田街道や高瀬川水路が開かれた。沿道には東福寺や伏見稲荷大社など名所も多く、旅人や観光客の往来は絶えない。
京と伏見をつなぐ街道というわりには道幅も細く、地域の生活道路として使用されるのがやっとであり、観光客を乗せたタクシーが入ってくるとすぐに渋滞してしまう。そのため現在は北への一方通行になっている。最初にこの道に入った時、これが伏見街道か分からず地図で何度も確認したことを覚えている。
この街道の北側部分は本町通(ほんまちどおり)、深草あたりから南側部分は直違橋通(すじかいばしどおり)と呼ばれている。墨染の交差点で西に折れ、府道35号で再び南に下る。伏見を過ぎ奈良まで続いていることから伏見街道自体を大和街道と呼ぶこともある。
伏見街道の町並み 伏見人形の丹嘉
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