文書と写真・地図による「記憶」の再現

アーカイブ:2009年 4月

宇治上神社

 

宇治上神社(うじがみじんじゃ)  2008/05/11訪問 宇治上神社 本殿  宇治神社の本堂に面し、左側に進むと石畳の道に出る。宇治川東岸から源氏物語ミュージアムに至る、さわらびの道である。 さわらびの道 石畳が敷かれ整備されている 早蕨之古跡碑  この道を北に進むと宇治神社の北西角に早蕨之古跡碑が現れる。宇治十帖の古跡を記念した石碑であるが、江戸から明治時代にかけて所在を転々としてきた。JR奈良線の元となる奈良鉄道の工事に伴い、現在の場所に移ったといわれている。 早蕨の巻の大半は八宮邸が舞台となっているが、莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)が八宮のモデルではないかと思われている。莵道宮の跡とも考えられるこの地に置かれるのもふさわしいのかもしれない。この石碑は昭和63年(1988)に建てられて… ►続きを読む

 

宇治神社

 

宇治神社(うじじんじゃ)  2008/05/11訪問 宇治神社 宇治川に面した鳥居  興聖寺を出て、再び観流橋を渡り朝霧橋のたもとまで戻ると右手に宇治神社の鳥居が現れる。この鳥居をくぐり、短い参道の先の石段を登ると桐原殿の額のかかる小さな拝殿が現れる。拝殿の裏側に廻ると小さな鳥居があり、10段程度の石段の先に宇治神社の本殿がある。 宇治神社 拝殿へつながる石段 宇治神社 本殿  宇治神社の祭神は菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)。  応神天皇の末の皇子・菟道稚郎子は寵愛され、応神天皇40年(309)に皇太子となる。翌年に天皇が崩じたが即位せず、大鷦鷯尊と互いに皇位を譲り合った。異母兄の大山守皇子の挙兵の知らせを大鷦鷯尊から聞いた太子は渡し守に扮し、宇治川を渡る大山守皇子を溺死させた。この後3年、… ►続きを読む

 

興聖寺

 

曹洞宗永平寺派 仏徳山 興聖寺(こうしょうじ)  2008/05/11訪問 興聖寺 法堂と前庭  橘島から朝霧橋を渡り、宇治川右岸を川に沿って上流に進む。茅葺屋根の朝日焼窯芸資料館を過ぎると観流橋が現れる。観流橋は宇治発電所からの流水路が宇治川に合流する地点に架けられた橋である。前日の雨のせいか発電所からの放水量も多く、周囲に大きな水音を轟かせていた。 観流橋 興聖寺へと続く道筋  橋を渡りきりしばらく進むと、石造の門柱に瓦屋根を載せた表門と興聖寺と書かれた碑がある。日本における曹洞宗最初の寺院、山号は佛徳山。 興聖寺 表門 興聖寺 琴坂と石塔  興聖寺へはこの表門をくぐり、琴坂を200メートル登っていかなければならない。坂の両側には石垣が積まれ、モミジや山吹が植えられているため、新緑のトンネ… ►続きを読む

 

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