鯖街道
鯖街道(さばかいどう) 2008年05月17日訪問
下鴨神社と糺の森から出て、鴨川に架かる出町橋を渡り、地下鉄・今出川駅に向かう。この出町橋の西詰めには鯖街道と記された、まだ新しい碑が立つ。
鯖街道とは,京から高野川左岸を北上して、八瀬から大原そして近江国朽木から越前小浜へ至る若狭街道のことである。昔より日本海で採れた魚介類が京の都に運ばれてきたが、なかでも鯖が多かったことより鯖街道と呼ばれるようになった。取れたての鯖に塩をまぶし、夜も寝ないで京都まで運ぶと丁度良い味になっていたと言われ、京の一般庶民がその到着を待ち望んでいた。
出町橋から国道367号を高島市今津町保坂まで進み、国道303に替わった後、若狭町三宅で国道27号に入る若狭街道自体を指し示す名称ではあるが、現在の嶺南から京都を結んだ街道全てを鯖街道と呼ぶこともあるようだ。
京都への最短距離となる峠道の針畑越や小浜からおおい町を経由し京都に至る周山街道がある。この周山街道は、現在では国道162号となり、若狭街道よりかなり西側を通る道となっている。また小浜より北東にある美浜町新庄から高島市マキノ町へ抜ける粟柄越など多くの道が存在している。
先の碑にあるように、是より西側は洛中となる。京都には「京の七口」という、各国につながる街道の代表的な入口がある。七口とはあるが、場所および名称は史料によっても異なり、定まっていないと考えてよさそうである。これらの口は鎌倉時代後半から使われていたようである。室町時代になるとその出入口を始めとして、幕府、寺社、朝廷などが七口の関と称される関所を設け、関銭を徴収するようになったため、記録に残るようになる。
江戸時代に入ると、京の出入口は七口という表現が一般的に使われるようになる。豊臣秀吉の都市改造により、京の周囲を囲む惣構である御土居を築き、京の出入口を土塁に開いた口として資格化したことが七口という表現を一般的なものとした。しかし秀吉が御土居建造当時に穿った出入口は、「三藐院記」によると10口であった。七口の七は単なる数字ではなく、古代からの五畿七道の地方諸国へつながる道とその入口という意味合いだと考えられている。
現在一般的な七口とは、
鞍馬口
大原口
荒神口、今道の下口
粟田口、三条口
伏見口、五条口
竹田口
東寺口、鳥羽口
丹波口
長坂口、清蔵口
鞍馬口は鞍馬に至る鞍馬街道の入口として、出雲路橋の西側に御土居の出入口があった。相国寺から下鴨神社に向かう途中に出雲路鞍馬口という碑が立つように、ここが正に鞍馬口である。
鯖街道の碑の立つ地は、八瀬、大原を経て朽木、若狭につながる若狭街道の大原口にあたる。御土居の出入口が河原町今出川交差点の西側にあり、寺町今出川付近に「大原口町」の地名が残っている。
ちなみに粟田神社の項
で触れた粟田口は、鴨川三条大橋の西岸、現在の河原町三条交差点の西側に御土居が設けられていた。しかし近世以前には鴨川の東岸に関が設けられたこともあり、蹴上の近くに粟田口という地名が残ったと考えられる。この粟田口からは東海道や中山道がのびている。
この記事へのコメントはありません。