アーカイブ:2011年 8月 16日
七条油小路の辻(しちじょうほんこうじのつじ) 2009年1月11日訪問
七条油小路の辻 南側から眺める当時の七条通は現在の半分位の幅員だったと考えられている
油小路通を下り、木津屋橋通の本光寺の山門まで至る。慶応3年(1867)11月18日の夜、この山門前に置かれた題目石塔に倒れ掛かるようにして伊東甲子太郎は絶命する。新選組は伊東の遺骸を七条油小路の辻に運び、月真院に伊東の死を伝えさせる。現在の七条通は4車線の大通りとなっている。これは大正から昭和に入ってから行われた都市計画事業により、七条通が北側に拡幅された結果である。そのため伊東の遺骸が置かれた幕末の七条通は現在の中央線から南側… ►続きを読む
日蓮宗 実相山本光寺(ほんこうじ) 2009年1月11日訪問
本光寺 山門
正面通を過ぎてさらに油小路通を南に下ると七条通に出る。現在の七条通は4車線の大通りとなっているが、これは大正から昭和に入ってから行われた都市計画事業によって西大路通までが拡幅された結果である。そして京都市電七条線が敷設された。そのため幕末の七条通は現在の中央線から南側で、北側に向かって拡幅されたようだ。新選組はこの七条油小路に伊東甲子太郎の遺骸を移し、御陵衛士をおびき出した。油小路事件の後半部分は、時系列に合わせて記すため本光寺の項の後に触れることとする。
七条通を渡りさらに油小路通を進むと、油小路町の地名が… ►続きを読む
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