梅宮社
梅宮社(うめみやしゃ) 2010年9月18日訪問
叡山電鉄鞍馬線の貴船駅から京都府道361号上黒田貴船線を北上し貴船神社に向かう途中、蛍岩から凡そ250m歩くと今度は末社の梅宮社が道路の右手側に現れる。傍らには、貴船神社末社 梅宮社と記された駒札があるのでほぼ見落とすことはない。お社の周囲もきれいに砂利敷きとなっており玉垣も朱色が映えていることから、近年整備されたのであろう。
左手奥に梅ノ宮橋が見える
梅宮社の御祭神は木花之佐久夜毘売。安産の神で例祭は10月15日。
「古事記」では本名を神阿多都比売(かむあたつひめ)、別名を木花之佐久夜毘売とされ、「日本書紀」では神吾田津姫あるいは神吾田鹿葦津姫(かむあたかあしつひめ)、別名を木花開耶姫と表記する。読みはコノハナノサクヤビメ、コノハナサクヤビメ、コノハナサクヤヒメ、または単にサクヤビメと呼ばれることもある。
日向に降臨した天照大御神の孫・邇邇芸命と出会い求婚される。父の大山津見神は喜び姉の石長比売と共に差し出したが、天孫は醜い石長比売を送り返し美しい木花之佐久夜毘売とだけと結婚した。
我之女二並立奉由者、使石長比賣者、天神御子之命、雖雨零風吹、恒如石而、常堅不動坐。亦使木花之佐久夜毘賣者、如木花之榮榮坐、宇氣比弖自宇下四字以音貢進。此令返石長比賣而、獨留木花之佐久夜毘賣。故、天神御子之御壽者、木花之阿摩比能微此五字以音坐。
つまり大山津見神は姉の石長比売を返されたことに大いに恥じ、「我が娘二人を一緒に差し上げたのは、石長比売を妻にすれば天津神の御子の命は岩のように永遠のものとなり、木花之佐久夜毘売を妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと誓約を立てたからである。木花之佐久夜毘売だけと結婚すれば、天津神の御子の命は木の花のようにはかなくなるだろう」と告げている。そのために邇邇芸命の子孫である天皇の寿命は神々のように長くはならなかった。
右手奥の擁壁上に梅宮社が見える
木花之佐久夜毘売は一夜で身篭ったため、邇邇芸命は国津神の子ではないかと疑った。疑いを晴らすため、誓約をして産屋に入り火を放った。誓約とは「天津神である邇邇芸命の本当の子なら何があっても無事に産める 吾妊之子 若國津神之子者 幸難産 若為天津神之御子者 幸産 」というものであった。火の中より火照命(海幸彦)、火須勢理命、火遠理命(山幸彦)の三柱の子を産んだ。この火遠理命の孫が初代・神武天皇とされている。
この記事へのコメントはありません。