アーカイブ:2012年 3月
太秦の町並み
太秦の町並み(うずまさのまちなみ) 2009年1月12日訪問 太秦の町並み 木嶋神社から広隆寺への道 太子道 木嶋神社の境内から、二の鳥居を潜ると東西に走る通りに出る。この通りは太子道とよばれている。一般的に太子道とは、日本の古代道路のうち、聖徳太子が通ったとされているものを指し示すようだが、この太子道は太秦広隆寺への参詣道として利用されていたようだ。京都観光Naviの太子道の項(https://vinfo06.at.webry.info/201203/article_4.html : リンク先が無くなりました )によると、中京区西ノ京壺井町にある壷井という井戸の前の道。上京区の出世稲… ►続きを読む
木嶋坐天照御魂神社 その2
木嶋坐天照御魂神社 その2(このしまにますあまてるみたまじんじゃ) 2009年1月12日訪問 木嶋神社 三柱鳥居 木嶋神社の起源は定かではない。続日本紀の大宝元年(701)4月3日の条にこの神社の名があることからそれ以前から祭祀されていたことが分かる。延喜5年(905)醍醐天皇の命により藤原時平らが編纂を始め、延長5年(927)に一応完成をみた延喜式では、名神大社に列し月次・相甞・新甞の官祭を受ける社として記載されている。山城国式内社122座、葛野郡の20座(葛野坐月讀神、木嶋坐天照御魂神社、堕川神社、阿刀神社、松尾神社二座、深川神社、堕川御上神社、櫟谷神社、平野祭神四社、梅宮坐神四社… ►続きを読む
木嶋坐天照御魂神社
木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ) 2009年1月12日訪問 木嶋神社 二の鳥居 1月11日の最後に訪問した伏見稲荷大社の八島ヶ池から、大橋家の前を通り過ぎ、東福寺駅から京阪電鉄に乗車し、祇園四条で下りる。ここから四条通を西に歩き、室町通のホテルに戻る。 木嶋神社 三条通に面した石造の一の鳥居 木嶋神社 木造の二の鳥居 一晩明けて1月12日の朝は、まさに銀世界だった。夜のうちにかなりの量の雪が降っていた。烏丸駅から市営地下鉄烏丸線に乗車し、烏丸御池で東西線に乗り換える。そして4つ先の終点・太秦天神前で下車し地上に出る。オフィス街である四条烏丸とは異… ►続きを読む
大橋家庭園 苔涼庭 その2
大橋家庭園 苔涼庭 (おおはしけていえん たいりょうてい) 2009年1月11日訪問 下記の項は2009年2月11日に記した。しかし訪問順に並べ替えるために、2012年3月7日に再更新したこととする。大橋家で行われていた工事は既に終わっていると思われる。 大橋家庭園 門は閉ざされ貼り紙が… 以前に大橋家庭園を訪れた際、伏見稲荷大社との位置関係が良く分からず、伏見街道から入り大橋家庭園を訪問し再び伏見街道に戻るというような経路をとった。その後、地図で調べると大橋家の隣が産場稲荷社であり、東に20~30m進むと八島ヶ池に至ることが分かった。伏見稲荷大社の境内からこのように近い… ►続きを読む
伏見稲荷大社 その3
伏見稲荷大社 その3(ふしみいなりたいしゃ) 2009年1月11日訪問 伏見稲荷大社 山内 伏見稲荷大社 その2で秦大津父について記してきたが、この大津父より凡そ200年後の和同年間(708~715)に秦伊呂巨が稲荷山の三つの峯にそれぞれの神を祀ったのが伏見稲荷大社の始まりとされている。伏見稲荷大社の沿革にも、秦大津父から伊呂巨までの200年たらずの脈絡についてはほとんど不明とした上で。 しかし不明であるから全く関連はないとは言えないでしょう。深草の里が早くから開拓されて、人の住むところであったことは深草弥生遺跡に見ることができます。 としている。いずれにしても大津父と伊呂巨の… ►続きを読む
伏見稲荷大社 その2
伏見稲荷大社 その2(ふしみいなりたいしゃ) 2009年1月11日訪問 伏見稲荷大社 楼門 2011年11月にねりこべ地蔵の項を書いて以来、3ヶ月間以上お休みしてしまいました。今年の年末年始はいろいろなことがあった。そんな多忙な中でも結局延4日間京都を訪れることが出来たのは大収穫であった。深草から伏見、桃山そして竹田と第46回京の冬の旅の非公開文化財特別公開を巡った。お休み期間が長かったのは、この訪問の下準備と撮影した写真等の後片付けに結構な時間を費やしたためともいえる。 伏見稲荷大社 一の鳥居と楼門 2回目の石峰寺訪問も拝観時間が過ぎていたため、今回も山門前からの夕日を眺める… ►続きを読む