徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

アーカイブ:2012年 8月 05日

大徳寺 孤篷庵 その3

 

大徳寺 孤篷庵(こほうあん)その3 2009年11月29日訪問 大徳寺 孤篷庵 石橋  大徳寺 孤篷庵その2に続き、二条城への行幸以降の小堀遠州の後期の仕事を年代順に見ていく。二条城行幸を無事に終えた寛永3年(1626)小堀政一は大阪城再建の現場に再び戻り、天守並びに本丸御殿の作事に従事している。そして寛永4年(1627)より仙洞女院御所の作事を手がけている。慶長18年(1613)幕府は、寺院・僧侶の圧迫および朝廷と宗教界の関係相対化を図る目的で、「公家衆法度」「勅許紫衣之法度」「大徳寺妙心寺等諸寺入院法度」を定め、さらに慶長20年(1615)に禁中並公家諸法度を定めて、朝廷がみだりに紫… ►続きを読む

 

大徳寺 孤篷庵 その2

 

大徳寺 孤篷庵(こほうあん)その2 2009年11月29日訪問 大徳寺 孤篷庵 石橋と山門  大徳寺 孤篷庵に続き、小堀遠州の前期の仕事を年代順に見ていく。まず慶長11年(1606)に後陽成院御所の造営奉行となっている。この造営は関ケ原の戦いに勝利した徳川家康が、織田信長、豊臣秀吉の皇室政策を継承して秀吉の造営した禁裏を拡張し、女御御殿と後陽成天皇の院御所を新造するものであった。宮内庁書陵部には後陽成院御所指図が遺されている。総奉行は板倉伊賀守勝重が務め、その指揮下にいた9名の奉行の中に小堀作介(政一)が含まれていた。 また同時期に遠州は江戸城普請の手伝いも行なっている。既に慶長8年(1… ►続きを読む

 

大徳寺 孤篷庵

 

大徳寺 孤篷庵(こほうあん) 2009年11月29日訪問 大徳寺 孤篷庵 山門  京福電気鉄道の北野白梅町駅で北野線を下り、駅前の京都市営バスの停留所から205号に乗車する。大徳寺へ行くのならば、7つ目の大徳寺前で下車すればよいのだが、塔頭の孤篷庵を訪問するならば、4つ目の千本北大路で下りる方がよいだろう。 京都市営バス205号を下車した後、北大路通を東に進む。南北に走る船岡西通と北大路通の角に大徳寺納豆と和菓子の紫竹庵本店が建つ。この紫竹庵本店の店舗前に大きな円柱状の「孤篷庵前」という道標が建てられている。ここから北側は住宅地となっているため、この道標は非常に有難い。北大路通から船岡西… ►続きを読む

 
 

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