徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

タグ:寺院・庭園

大徳寺 孤篷庵

 

大徳寺 孤篷庵(こほうあん) 2009年11月29日訪問 大徳寺 孤篷庵 山門  京福電気鉄道の北野白梅町駅で北野線を下り、駅前の京都市営バスの停留所から205号に乗車する。大徳寺へ行くのならば、7つ目の大徳寺前で下車すればよいのだが、塔頭の孤篷庵を訪問するならば、4つ目の千本北大路で下りる方がよいだろう。 京都市営バス205号を下車した後、北大路通を東に進む。南北に走る船岡西通と北大路通の角に大徳寺納豆と和菓子の紫竹庵本店が建つ。この紫竹庵本店の店舗前に大きな円柱状の「孤篷庵前」という道標が建てられている。ここから北側は住宅地となっているため、この道標は非常に有難い。北大路通から船岡西… ►続きを読む

 

天龍寺 弘源寺

 

天龍寺 弘源寺(こうげんじ) 2009年11月29日訪問 天龍寺 弘源寺 虎嘯の庭  宝厳院の山門を潜り、紅葉の美しい参道を北に進むと再び法堂の前に出る。放生池の北側を東に進み、松巌寺、慈済院を過ぎると、毘沙門天の提灯を吊るした弘源寺の山門が現れる。 天龍寺 弘源寺 山門  永享元年(1429)あるいは文安3年(1446)6月、後に室町幕府管領となる細川持之が、玉岫禅師を開山として創建した寺院。寺名は、持之の院号による。細川持之は細川満元の次男として応永7年(1400)に生まれている。兄は細川持元で、応永33年(1426)父の満元の死去に伴い、細川京兆家の家督を継いだが、僅か3年後… ►続きを読む

 

天龍寺 宝厳院 その2

 

天龍寺 宝厳院(ほうごんいん)その2 2009年11月29日訪問 天龍寺 宝厳院 苦界と三尊石の庭 移転した2002年に作庭されたと思われる  前回、宝厳院を訪れた時は、冬の夕暮れ時期であったため、光量の少ない写真しか撮影できなかった。特に亀山の東に広がる庭園は、日没も早い上に逆光になってしまう。そういう点でも天龍寺方丈庭園や宝厳院は午前中の早い時間に訪れるべき庭園だと思う。 天龍寺 宝厳院 天龍寺 宝厳院 天龍寺 宝厳院  前回も指摘した通り、宝厳院の変遷には明確でない点がある。Wikipediaに掲載されている宝厳院の記述に従うと、寛正2年(1461)室町幕府の管領… ►続きを読む

 

天龍寺 その6

 

臨済宗 天龍寺派大本山 霊亀山 天龍寺(てんりゅうじ)その6 2009年11月29日訪問 天龍寺 方丈庭園  国司信濃が天龍寺に駐留し蛤御門に進攻した経緯と薩摩軍の長州兵掃討隊が天龍寺全山を焼失させた状況については、寿寧院月航住職に日単に詳細に残されている。この日単については、「古寺巡礼 京都 天龍寺」(淡交社 1976年刊)でかなりのページを割いて掲載されている。また石田孝喜氏の「幕末京都史跡大辞典」(新人物往来社 2009年刊)の福田理兵衛邸跡の項にも天龍寺の記録として、ほぼ同じ内容が記載されている。 天龍寺 方丈庭園 天龍寺 方丈庭園 天龍寺 方丈庭園  禁門の変… ►続きを読む

 

天龍寺 その5

 

臨済宗 天龍寺派大本山 霊亀山 天龍寺(てんりゅうじ)その5 2009年11月29日訪問 天龍寺 方丈庭園  既に嵯峨野の町並み その4でも触れたように、天龍寺はその創建から室町時代までに、延文3年(1358)、貞治6年(1367)、応安6年(1373)、康暦2年(1380)、文安4年(1447)そして応仁元年(1467)の6度、そして江戸時代に入ってからも、文化12年(1815)の火災、さらには元治元年(1864)の禁門の変の長州兵討伐のため全山焼失にみまわれている。 天龍寺 方丈庭園 亀山の形状がよく分かる 天龍寺 方丈庭園  この項では禁門の変と天龍寺について記してみる… ►続きを読む

 

天龍寺 その4

 

臨済宗 天龍寺派大本山 霊亀山 天龍寺(てんりゅうじ)その4 2009年11月29日訪問 天龍寺 大方丈と東庭  夢窓疎石が定めた天龍寺十境は下記のとおりである。   普明閣     広大慈光照世間 善財当面隔重関     眼皮横蓋虚空界 弾指開門匹似間   絶唱谿     灘声激出広長舌 莫謂深談在口辺     日夜流転八万偈 灼然一字未嘗宣   霊庇廟     精藍分地建霊宮 専冀神風助祖風     莫怪庭前松屈曲 天真正直在其中   曹源池     曹源不涸直臻今 一滴流通広且深     曲岸回塘休著眼 夜闌有月落波心   拈華嶺     霊山拈起一枝蕚 分作千株在此峰     只… ►続きを読む

 

天龍寺 その3

 

臨済宗 天龍寺派大本山 霊亀山 天龍寺(てんりゅうじ)その3 2009年11月29日訪問 天龍寺 庫裏  亀山殿最後の継承者である恒明親王は、大覚寺統の亀山上皇の末子として嘉元元年(1303)に生まれている。嘉元3年(1305)の上皇崩御に伴い、如来寿量院を相続したことが「亀山院御処分状」に記されている。亀山殿と浄金剛院は、恒明親王の母である昭訓門院(西園寺実兼女)に、薬草院は兄の後宇多院に渡っている。翌年の嘉元4年(1306)に亀山院の周忌が行われた際に、後宇多院によって薬草院と如来寿量院の両堂が壊され、その資材を以って灌頂堂が建立されている。また亀山殿を継いだ昭訓門院も延元元年(13… ►続きを読む

 

天龍寺 その2

 

臨済宗 天龍寺派大本山 霊亀山 天龍寺(てんりゅうじ)その2 2009年11月29日訪問 天龍寺 法堂  琴きき橋の碑から渡月橋を眺めながら小督塚に至る。この塚自体は後世になって作られたものとされている。塚の西側には民家が建ち、三軒茶屋あるいは三軒家と呼ばれていたようだ。安永9年(1780)に刊行された都名所図会の小督桜(塚)にも下記のように記されている。     小督桜は大井河の北三軒茶屋の東、薮の中にあり。  このことからも、江戸時代の中期には既に天龍寺の境内外にあり、民家が建っていたことが分かる。なお、この三軒茶屋は元治元年(1864)の禁門の変の後に行われた薩摩軍による長州兵掃討… ►続きを読む

 

東福寺 龍吟庵 その5

 

東福寺 龍吟庵(とうふくじ りゅうぎんあん)その5  2009/11/28訪問 東福寺 龍吟庵 開山堂  偃月橋の手前に掲げられている看板「国宝龍吟庵」の通り、龍吟庵方丈は現存する最古の方丈建築として国宝に指定されている。龍吟庵方丈の基本構成は、南北を軸とした左右対称の建物であり、現在は南庭と西庭そして東庭が配され、方丈北側の軸線上に、昭和50年(1975)開山堂が建設されている。この開山堂、方丈そして表門さらには偃月橋が軸線上に配置されている。単層入母屋造杮葺き屋根を持つ建物で、桁行七間、梁間五間で、桁行正面には両開き双折桟板唐戸、両端の柱間には外部側に蔀戸、内部側には明… ►続きを読む

 

東福寺 龍吟庵 その4

 

東福寺 龍吟庵(とうふくじ りゅうぎんあん)その4  2009/11/28訪問 東福寺 龍吟庵 方丈西庭 「龍の庭」  東福寺 龍吟庵 その3では、一条実経が無関普門禅師を東福寺に招いたところまで記した。ここからは亀山上皇と無関普門とのことに記してみる。 東福寺 龍吟庵 方丈西庭 東福寺 龍吟庵 方丈西庭 東福寺 龍吟庵 方丈西庭  弘安の役終結後の正応2年(1289)亀山上皇は離宮禅林寺殿で落飾し、法皇となっている。虎関師錬が記した南禅寺の由来書「文応皇帝外紀」によれば、この当時の離宮には怪異な事が頻繁に生じていた。法皇は、高僧の徳を以って収めるしかないと考え、奈良西… ►続きを読む

 

東福寺 龍吟庵 その3

 

東福寺 龍吟庵(とうふくじ りゅうぎんあん)その3  2009/11/28訪問 東福寺 龍吟庵 方丈南庭 「無の庭」  2008年秋に引き続き、2009年も龍吟庵特別拝観のため、東福寺を訪れる。前回と同じように6時発の新幹線で東京を出る。今回はJR京都駅より徒歩ではなく、JR奈良線に乗車し東福寺駅で下車してみた。乗り換えの時間を入れるとほぼ歩くのと変わらないことが確認できた。京都から東福寺までの区間の料金精算に多少の時間を要したが、東福寺へ向かう人々の列に加わり、前へ前へと進む。 東福寺 龍吟庵 偃月橋の先に方丈の屋根が見える 東福寺 龍吟庵 表門  北門から入り霊源院の前の… ►続きを読む

 

天龍寺

 

臨済宗天龍寺派大本山 霊亀山 天龍寺(てんりゅうじ) 2009年1月12日訪問 天龍寺 本坊庭園 曹源池と左に嵐山 右に小倉山  本坊を拝観した後に塔頭の拝観を行なうつもりであったが、宝厳院の拝観時間が早く終わるため、天龍寺本坊を後回しにした。宝厳院から再び法堂まで戻り、庫裏への石段を上って行く。既に16時を大きく回っているため、庭園だけの拝観とする。庫裏には行かず、大方丈東庭の入口から中へ入る。 天龍寺 本坊大方丈と東庭 禅宗寺院の南庭を思わせる構成 天龍寺 本坊東庭 広大な白砂の空間 大方丈の大きさが分かる  臨済宗天龍寺派大本山天龍寺の山号である霊亀山は、小倉山の別称の… ►続きを読む

 

天龍寺 宝厳院

 

天龍寺 宝厳院(ほうごんいん) 2009年1月12日訪問 天龍寺 宝厳院 中央に龍門滝が見える  法金剛院の五位山と双ヶ岡の連なりを眺めながら、花園駅からJR嵯峨野線に乗車し、2つ先の嵯峨嵐山駅で下車する。駅南口に出て、京福電気鉄道嵐山線の嵐電嵐山駅に進む。駅の直前を西に折れてさらに300メートル程度進むと、京都府道29号宇多野嵐山山田線に突き当たり、その先に天龍寺の総門が現れる。今回は塔頭の宝厳院を先に訪問するため、放生池を右手に見ながら通り過ぎ、法堂の手前を南に入る。そのまま150メートルくらい進むと宝厳院の山門が現れる。 天龍寺 宝厳院 茅葺屋根を載せた長屋門風の山門… ►続きを読む

 

法金剛院 その2

 

律宗別格本山 五位山 法金剛院(ほうこんごういん) その2 2009年1月12日訪問 法金剛院 庭園  大治5年(1130)第74代鳥羽天皇の中宮待賢門院は、仁和寺の御堂として復興する。養父で寵愛を受けた白河法皇追善のためであり、この時に寺号を法金剛院と改めている。そして待賢門院は晩年をこの地で過ごす。大治4年(1129)7月24日に白河院が崩御する。同年9月10日、待賢門院は仁和寺御堂を建立するため、候補地の視察を源師時に命じている。師時は中原師能と伴い花園の天安寺を視察する。東西に川が流れ後方に山があり、南は開けているという地形は、御堂の建立地としては最適であると考えるに至る。法金剛… ►続きを読む

 

法金剛院

 

律宗別格本山 五位山 法金剛院(ほうこんごういん) 2009年1月12日訪問 法金剛院 山門  妙心寺の南総門を出ると、東側から来た丸太町通が南西に緩やかに曲がって行く。道なりに進むと通りの向こう側にJR山陰本線の高架と花園駅が見えてくる。そのまま南総門から200メートルくらい進んだ右手に法金剛院の山門が現れる。道路幅員が広く、交通量の多い丸太町通に面して、小さく簡素な門が迎えてくれる。山門の左手には、文徳天皇御旧跡 律宗別格本山 法金剛院と記された石柱標識が建つ。 法金剛院 山門脇の碑 法金剛院 境内図  現在の法金剛院の地には、平安時代初期、右大臣清原夏野の山荘が営まれて… ►続きを読む

 

妙心寺 衡梅院

 

妙心寺 衡梅院(こうばいいん) 2009年1月12日訪問 妙心寺 衡梅院 南庭  退蔵院の山門を出ると、再び朱塗りの三門が目に入る。勅使門、放生池、三門、仏殿そして法堂が一列に並ぶ妙心寺の主要伽藍を東に横切り、東海庵の豪華な唐門を眺めながら、右に曲がり再び衡梅院の山門前に戻る。 妙心寺 衡梅院 山門 本山四派創源雪江禅師塔所の石碑が建つ 妙心寺 衡梅院 方丈玄関と庫裏 妙心寺 衡梅院 長法庵へと続く中門  衡梅院は文明12年(1480)に細川政元によって創建されている。開山は妙心寺中興六祖のひとり、妙心寺9世雪江宗深である。開基である細川政元については、既に大心院の項で… ►続きを読む

 

妙心寺 退蔵院 その3

 

妙心寺 退蔵院(たいぞういん) その3 2009年1月12日訪問 妙心寺 退蔵院 余香苑  前回の訪問の時に確認ができなかった方丈南庭を眺める。恐らく瓢鮎図の複写画と元信の庭に気を取られていたために、記憶に残っていなかったのであろう。今回の訪問が冬であったためか、工事中であるためなのかは分からないが、苔地が剥がれ地肌が表われているものの、拝観の栞に記されている通り、     南庭は一面の苔に松樹一本を植えるのみで背景には、椿、かなめ等常緑樹が植えられている。 であった。確かに見落としてしまうほど地味な南庭である。そのためか、わざわざ南庭と書いた小さな木札が立てられている。 妙心寺 退… ►続きを読む

 

妙心寺 退蔵院 その2

 

妙心寺 退蔵院(たいぞういん) その2 2009年1月12日訪問 妙心寺 退蔵院 庫裏へのアプローチ  大心院を後にして、通年公開されている最後の塔頭である退蔵院を目指す。東海庵と玉鳳院の間を進むと、正面に衡梅院が現れる。今回、衡梅院も第42回京の冬の旅の非公開文化財特別公開で公開されているが、後で訪れることとする。ここを右に曲がると、法堂と仏殿が見える。退蔵院はその先に並ぶ朱塗りの三門の西側にある。前回訪問した際には、元信の庭に気を取られたためか、帰った後で確認すると方丈南庭を撮影した写真がなかった。今回は前回に撮影できていなかった場所を中心に見て行くこととした。 妙心寺 退蔵院 … ►続きを読む

 

妙心寺 大心院

 

妙心寺 大心院(だいしんいん)  2009年1月12日訪問 妙心寺 大心院 切石の庭 奥に祖堂が見える  桂春院の山門を出て、再び法堂を目指して進む。途中には大雄院、養徳院、蟠桃院、海福院そして雑華院の山門が並ぶが、いずれも開門しているものの非公開のため中に入ることはできない。雑華院の山門の斜め前には妙心寺の小方丈の山門があるようだ。さらに南に進むと、東に入る路地を越えた先に東海庵と大心院の山門が向かい合うように建てられている。 妙心寺 大心院 右側 妙心寺 大心院 前庭と方丈  大心院は、室町時代の文明11年(1479)あるいは明応元年(1492)に、足利幕府管領の細川政元… ►続きを読む

 

妙心寺 桂春院

 

妙心寺 桂春院(けいしゅんいん)  2009年1月12日訪問 妙心寺 桂春院 真如の庭  妙心寺の北総門から入り、そのまま参道に従って南に進むと、庫裏、法堂、仏殿そして三門という妙心寺の主要伽藍に行き着く。北総門を潜ってすぐに左手に曲がり、そのまま東に進むと光國院の山門が現れわれる。さらに道なりに進むと、蟠桃院の東側に空地がある。この空地に面して雲祥院、長慶院そして桂春院、大雄院の4つの塔頭が並ぶ。この内で常時公開しているのは桂春院である。 妙心寺 桂春院 山門 妙心寺 桂春院 左は庫裏 妙心寺 桂春院  桂春院は臨済宗東海派に属する。妙心寺の公式HPにも、龍泉庵、東海… ►続きを読む

 
 

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