徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

興聖寺



曹洞宗永平寺派 仏徳山 興聖寺(こうしょうじ)  2008/05/11訪問

画像
興聖寺 法堂と前庭

 橘島から朝霧橋を渡り、宇治川右岸を川に沿って上流に進む。茅葺屋根の朝日焼窯芸資料館を過ぎると観流橋が現れる。観流橋は宇治発電所からの流水路が宇治川に合流する地点に架けられた橋である。前日の雨のせいか発電所からの放水量も多く、周囲に大きな水音を轟かせていた。

画像
観流橋 興聖寺へと続く道筋

 橋を渡りきりしばらく進むと、石造の門柱に瓦屋根を載せた表門と興聖寺と書かれた碑がある。日本における曹洞宗最初の寺院、山号は佛徳山。

画像
興聖寺 表門
画像
興聖寺 琴坂と石塔

 興聖寺へはこの表門をくぐり、琴坂を200メートル登っていかなければならない。坂の両側には石垣が積まれ、モミジや山吹が植えられているため、新緑のトンネルの中を分け進むような感じがある。さぞかし紅葉の時期は美しいものだと思う。この琴坂は宇治十二景の一つに数えられているといわれている。江戸時代中期の寛永3年(1750)に大坂を代表する狩野派の画家 大岡春卜が編纂した「和漢名画苑」には、土佐行光筆 山州宇治十二景(http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/cgi-bin/edeimg.pl?owndir=83&list=wakan-meigaen02d003a.jpg&title=和漢名画苑%20ニ : リンク先が無くなりました )が収められている。和漢名画苑はもともと名画の縮図を集めた、一種の複製画集である。ここには

     一  春岸酴驟 春岸山吹
     二  清瑞蛍火
     三  三室紅楓
     四  長橋暁雪
     五  朝日靄暉
     六  薄暮柴船
     七  橋姫水社
     八  釣殿夜月
     九  扇芝孤松
     十  槙島曝布
     十一 浮舟古祠
     十二 興聖晩鐘

と数えられている。ここでは興聖晩鐘ではなく山吹を指しているのだろうか。

画像
興聖寺 琴坂

 琴坂を登りつめ、竜宮門をくぐると、右手に宇治十二景の「興聖晩鐘」に数えられている鐘楼、左手に岩を積み上げた上に小さな六角堂が置かれている。立札より火の神を祭る秋葉大権現とわかる。続いて中門の薬医門をくぐると正面に法堂(本堂)、左に僧堂、右に庫裡が配置され、それぞれを回廊がつないでいる。中央部分には石組みの庭園が拵えられ、法堂前庭となっている。法堂の背後には天竺殿、さらにその左側に配された開山堂も回廊でつながれている。

画像
興聖寺 竜宮門
画像
興聖寺 秋葉大権現
画像
興聖寺 中門の薬医門

 安貞2年(1228)に中国から帰国した道元禅師は、天福元年(1233)伏見・深草の極楽寺観音導利院に滞在する。そして嘉禎2年(1236)に伽藍を整備し、観音導利興聖宝林禅寺に改名した。これが興聖寺の創建となる。その後、禅師は越前の永平寺に移られ、寺は衰退し、応仁の乱の兵火で焼失してしまう。

 寛永10年(1633)、下総国古河藩主の永井尚政が老中職を解かれ、山城国淀藩10万石へ加増移封される。廃絶した道元禅師開祖の興聖寺を惜しみ、慶安2年(1649)寺地を宇治七名園の一つの朝日茶園に移し、万安英種を招聘して諸堂を建立し復興した。尚政は寛永年間の大規模な飢饉においては領民の救済にあたり、島原の乱が起きた際には京都の守備を命じられ、その後も江戸城や禁裏の普請などで功績を挙げた。寛文8年(1668)に享年82で死去、興聖寺を墓所とした。

画像
興聖寺 法堂
画像
興聖寺 法堂から薬医門をのぞむ

 境内は自由であるが、法堂の見学には事前申し込みが必要のようである。拝観は庫裡から始まり、方丈、大書院そして法堂へと続く。法堂縁側の天井材は慶長5年(1600)に落城した伏見城の遺構が使われているため、血天井となっている。

 今回は申し込みを行っていなかったので、境内のみの拝観となった。

画像
興聖寺 庫裏から僧堂をのぞむ
画像
興聖寺 庫裏前の石組み

 法堂前庭は、3つの堂宇と薬医門そしてそれらを結ぶ回廊によって方形の囲まれた空間となっている。

 薬医門から法堂への石を敷いた参道とその両側のサツキの刈り込みによって庭は左右に分かれている。法堂に向かい左側には五重の石塔、右側には亀島のような石組みが苔地の上に配されている。この前庭の石塔以外にも興聖寺には、表門の左側と法堂裏側の庭園にも同様のものがあるようだ。石塔と石組みと刈り込みの他には、それほど背は高くないがアクセントとなっている数本の木が植わっている。全般的に苔の生育状況があまり良くなく、地肌の上に石組みが置かれているようにも見える。

 竜宮門をくぐりこの前庭に入ったためか、中国風の色彩の濃い庭という印象が残る。基壇の上に建てられた法堂から眺めると石組みの配置など、もう少し庭の構成が分かるのかもしれない。

画像
興聖寺 開山堂とその前庭
画像
興聖寺 開山堂への石橋

 法堂の裏側にある開山堂へは法堂の左側から回り込むことができる。開山堂は裏山の斜面に建てられたため、わずかではあるが法堂前庭より高い位置にある。手前には小さな石橋が架けられているが、川底は枯れ水の流れがあった痕跡も見あたらない。今回は拝観できなかったが、聞知尋会さんのHP(http://www.kadode.com/kousyouji.htm : リンク先が無くなりました )によると法堂の東北側の庭には池泉があるようだ。ここより法堂の裏側を流れ、開山堂の前の堀に注ぎ込むということもあるのかもしれない。
 いずれにしても次回は天気の良い日にもう少し時間を割いて眺めてみたい庭である。

画像
興聖寺 琴坂と表門
画像
興聖寺 表門脇の石塔

画像
興聖寺 石塔

「興聖寺」 の地図





興聖寺 のMarker List

No.名称緯度経度
 興聖寺 34.8901135.8134
01  朝日焼窯芸資料館 34.8899135.8103
02  観流橋 34.8889135.8113
03  興聖寺 表門 34.8881135.8122
04  興聖寺 琴坂 34.8892135.8128
05  興聖寺 竜宮門 34.8899135.8132
06  興聖寺 薬医門 34.89135.8133
07  興聖寺 法堂 34.8903135.8135
08   興聖寺 僧堂 34.8902135.8131
09   興聖寺 庫裏 34.89135.8136
10  興聖寺 開山堂 34.8905135.8133

「興聖寺」 の記事

「興聖寺」 に関連する記事

「興聖寺」 周辺のスポット

    

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

 

サイト ナビゲーション

過去の記事

投稿カレンダー

2009年4月
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930  

カテゴリー