縣神社
縣神社(あがたじんじゃ) 2008/05/11訪問
橋姫神社の前を過ぎ、さらに「あがた通り(縣神社参道)」をしばらく進むと道は突き当たり、左側は宇治田原経由で大津へ、右側は久御山経由で淀に至る。縣神社はこの分岐する交差点の左角に位置する。
縣神社は木花開耶姫命を祭神に祀る神社。
「縣」の名の由来には、木花開耶姫命の別名である「吾田津姫(あがたつひめ)」という説と古代の行政区である宇治県の守護神として祀られていたという説がある。いずれにしても神代の頃からの地主神だとされている。
藤原道綱母によって書かれた「蜻蛉日記」には、宇治の「あがたのゐん」に訪れた記述がある。蜻蛉日記は天延2年(974)ごろに成立したと考えられるため、1000年以上の歴史を持つ古社だともいえる。
永承7年(1052)に藤原頼通卿が父の遺した別荘 宇治殿を寺院に改めて平等院を開創した際には、宇治離宮明神と共に鎮守社とされた。宇治離宮明神は明治16年(1883)に本宮の宇治上神社と若宮の宇治神社に分社する。
縣神社では6月5日から翌未明にかけて、神が乗るとされる梵天を御輿に乗せて練り歩く縣祭が行われる。梵天とは1600枚もの奉書紙を短冊状に切って束ねた御幣を青竹に挟みこんで作り上げられた約1メートルの球形の祭具である。沿道の灯りが消され、真っ暗にされることから「暗夜の奇祭」と称されている。
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