徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

アーカイブ:2009年 2月 11日

JR稲荷駅ランプ小屋

 

JR稲荷駅ランプ小屋 (じぇいあーる いなりえき らんぷごや)  2008/05/10訪問 JR稲荷駅ランプ小屋  伏見稲荷大社の表参道から伏見街道に出ると目の前に朱の柱に白壁、瓦葺屋根のJR稲荷駅が現れる。駅舎に沿って南に下ると小さな切妻屋根をのせた赤レンガの小屋がある。これがJR稲荷駅ランプ小屋。  電気照明が普及するまでの間、鉄道の客車用や駅務・保線用のランプとその燃料を収納しておくために使用された危険物倉庫がランプ小屋である。そのため堅牢な煉瓦造りとなっていた。明治時代に建設された旧国鉄の主要駅には一般的に存在していたようだが、ランプの消滅と駅の増改築等により姿を消していった。… ►続きを読む

 

伏水街道の橋

 

伏水街道の橋 (ふしみかいどう の はし)  2008/05/10訪問 伏水街道第三橋 東福寺中門前  東山山麓から流れ出て鴨川にそそぐ河川が伏見街道に交差する箇所に4本の橋が架けられ、北から一ノ橋、二ノ橋、三ノ橋、四ノ橋と呼ばれていた。現在、一ノ橋と二ノ橋の川は暗渠となり元の橋の位置と異なった場所に親柱が保存されている。三ノ橋と四ノ橋は伏見街道の橋として使用されている。いずれの橋の親柱にも伏見街道ではなく“伏水街道”とある。  JRと京阪電鉄の東福寺駅より200m北、現在の本町12丁目にある清涼山寶寿寺の北側を一の橋川は流れていたようだ。泉涌寺より東大路通を越え大谷学園大谷高等学校の南… ►続きを読む

 

伏見街道

 

伏見街道 (ふしみかいどう)  2008/05/10訪問 伏見街道の町並み 玉屋  伏見街道は五条と伏見を結ぶ街道。伏見城を築いた豊臣秀吉が天正年間(1573~1593)あるいは文禄年間(1593~1596)に開いたといわれている。さらに江戸時代に入ると伏見は大阪につながる交通の要衝となり、京と伏見の間の物資の運搬路が必要となり、西側に並行する竹田街道や高瀬川水路が開かれた。沿道には東福寺や伏見稲荷大社など名所も多く、旅人や観光客の往来は絶えない。 京と伏見をつなぐ街道というわりには道幅も細く、地域の生活道路として使用されるのがやっとであり、観光客を乗せたタクシーが入ってくるとすぐに渋滞… ►続きを読む

 

伏見稲荷大社

 

伏見稲荷大社 (ふしみいなりたいしゃ)  2008/05/10訪問 伏見稲荷大社 外拝殿より見た楼門  お庭を拝観させていただいたことに御礼し大橋家を後にし伏見街道へ出る。あらためて伏見稲荷大社の表参道から第一鳥居そして第二鳥居をくぐると豊臣秀吉が寄進したと言われている楼門が現れる。楼門の前には阿吽の狛犬ではなく二体の狐の像が設置されている。 伏見稲荷大社 楼門前左側の狐像 伏見稲荷大社 楼門奥の外拝殿 伏見稲荷大社 本殿  伏見稲荷大社は全国約4万社の稲荷大神を祀る稲荷神社の総本宮とされています。稲荷大神(お稲荷さん)として信仰を集める宇迦之御魂大神(うかのみたまのお… ►続きを読む

 
 

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