アーカイブ:2011年 3月
大沢池
大沢池(おおさわのいけ) 2008年12月21日訪問 大沢池 東側から大覚寺方向を眺める 大覚寺の拝観を終え、式台玄関から出る。表門を再び潜り勅使門の前を過ぎ、大沢池の畔に出る。 大沢池 南東側を眺める 大沢池 東側を眺める 周囲約1キロメートルの池は、嵯峨天皇が嵯峨院の造営にあたり中国の洞庭湖を模して造られたもので、庭湖とも呼ばれる。日本最古の人工の林泉であり、作庭者は平安時代の絵師・巨勢金岡、または百済河成ともいわれている。嵯峨天皇がこの地に山荘設営に着手したのは、まだ皇子時代とされている。西桂著「日本の庭園文化 歴史と意匠をたずねて」(学芸出版 2005年)によれば… ►続きを読む
大覚寺 その2
真言宗大覚寺派大本山 嵯峨山 大覚寺(だいかくじ)その2 2008年12月21日訪問 大覚寺 村雨の廊下と中庭 大覚寺の広い境内には多くの堂宇が並び、諸堂の拝観に東側の大沢池の池畔の散策まで含めると2時間くらいは必要である。 大覚寺の公式HPにある境内図を見ても、この寺院の伽藍配置が複雑であることが分かる。勅使門から北に向い、南庭、入母屋造、桟瓦葺の御影堂、八角堂の心経殿が一直線上に並ぶ。そして御影堂の手前、西に宸殿、東に本堂である五大堂を配する構成となっている。勅使門は幕末の嘉永年間(1848~54)に再建された四脚門、屋根は切妻造で正面と背面に唐破風を附けている。門全体は素木造であ… ►続きを読む
大覚寺
真言宗大覚寺派大本山 嵯峨山 大覚寺(だいかくじ) 2008年12月21日訪問 大覚寺 御影堂と宸殿 化野念仏寺から愛宕街道を下り、嵯峨鳥居本の重要伝統的建造物群保存地区の始まりの地点にある八体地蔵石仏が並ぶ三叉路まで戻る。渡月橋から着た道とは違う道を大覚寺に向って進む。 大覚寺 明智陣屋 大覚寺 表門前の堀 嵯峨野の町並みで触れたように、平安遷都を行った桓武天皇の第2皇子であった嵯峨天皇は、この嵯峨野の地に離宮を造営し居住している。都を京都に移した直後から、この地は風光明媚なことより天皇や大宮人たちの遊猟や行楽地となっていたのであろう。特に唐の文化に憧れていた嵯峨天皇は… ►続きを読む
化野念仏寺
浄土宗 華西山 東漸院・化野念仏寺(あだしのねんぶつじ) 2008年12月21日訪問 化野念仏寺 西院の河原 愛宕念仏寺の仁王門を出て、再び平野屋、愛宕神社の一の鳥居、そして「つたや」を眺めながら愛宕街道を下る。嵯峨鳥居本の重要伝統的建造物群保存地区の中間地点あたりに化野念仏寺の入口がある。 化野念仏寺 愛宕街道から続く参道 右手に石標が建つ 化野念仏寺 参道の途中で見かけた石像 化野念仏寺は、正式には華西山 東漸院と号する浄土宗の寺院である。伝承によれば、その起源は弘仁2年(811)空海による五智山如来寺建立に遡る。もともと化野は東山の鳥辺野、洛北の蓮台野とともに葬送の… ►続きを読む
愛宕念仏寺 その2
天台宗延暦寺派 等覚山 愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)その2 2008年12月21日訪問 愛宕念仏寺 千二百羅漢 愛宕念仏寺にとって大きな転機となったのは、大正11年(1922)堂宇保存のために行われた移築であろう。3年間をかけて現在の嵯峨の地に堂宇を移したものの、その後も寺門は興隆しなかったようだ。 昭和30年(1955)仏師で、後に天台宗の僧侶となった西村公朝が愛宕念仏寺の住職となり、復興に当たる。 愛宕念仏寺 本堂 愛宕念仏寺 本堂から多宝塔を眺める 西村公朝は大正4年(1915)大阪府高槻市に生まれ、昭和15年(1940)東京美術学校卒業。翌昭和16年(1941)… ►続きを読む
愛宕念仏寺
天台宗延暦寺派 等覚山 愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ) 2008年12月21日訪問 愛宕念仏寺 多宝塔と本堂を眺める 愛宕神社の一の鳥居を越え、平野屋の前を過ぎると上り勾配が強くなってくる。愛宕念仏寺は清滝トンネルの手前にある「おたぎでら前」バス停留所の前にある。 愛宕念仏寺 仁王門 愛宕念仏寺 千二百羅漢像 愛宕念仏寺は天台宗延暦寺に属し、山号は等覚山。 愛宕神社の入口にあることから「あたご」と読むように思われるが、山城国愛宕郡という地名から来ているため「おたぎ」である。愛宕郡は現在の京都市北区と左京区の地にあり、葛野郡とともに平安京を形成した地域である。嵐山の町並み項… ►続きを読む