アーカイブ:2012年 7月 14日
臨済宗 天龍寺派大本山 霊亀山 天龍寺(てんりゅうじ)その6 2009年11月29日訪問
天龍寺 方丈庭園
国司信濃が天龍寺に駐留し蛤御門に進攻した経緯と薩摩軍の長州兵掃討隊が天龍寺全山を焼失させた状況については、寿寧院月航住職に日単に詳細に残されている。この日単については、「古寺巡礼 京都 天龍寺」(淡交社 1976年刊)でかなりのページを割いて掲載されている。また石田孝喜氏の「幕末京都史跡大辞典」(新人物往来社 2009年刊)の福田理兵衛邸跡の項にも天龍寺の記録として、ほぼ同じ内容が記載されている。
天龍寺 方丈庭園
天龍寺 方丈庭園
天龍寺 方丈庭園
禁門の変… ►続きを読む
臨済宗 天龍寺派大本山 霊亀山 天龍寺(てんりゅうじ)その5 2009年11月29日訪問
天龍寺 方丈庭園
既に嵯峨野の町並み その4でも触れたように、天龍寺はその創建から室町時代までに、延文3年(1358)、貞治6年(1367)、応安6年(1373)、康暦2年(1380)、文安4年(1447)そして応仁元年(1467)の6度、そして江戸時代に入ってからも、文化12年(1815)の火災、さらには元治元年(1864)の禁門の変の長州兵討伐のため全山焼失にみまわれている。
天龍寺 方丈庭園 亀山の形状がよく分かる
天龍寺 方丈庭園
この項では禁門の変と天龍寺について記してみる… ►続きを読む
臨済宗 天龍寺派大本山 霊亀山 天龍寺(てんりゅうじ)その4 2009年11月29日訪問
天龍寺 大方丈と東庭
夢窓疎石が定めた天龍寺十境は下記のとおりである。
普明閣 広大慈光照世間 善財当面隔重関 眼皮横蓋虚空界 弾指開門匹似間
絶唱谿 灘声激出広長舌 莫謂深談在口辺 日夜流転八万偈 灼然一字未嘗宣
霊庇廟 精藍分地建霊宮 専冀神風助祖風 莫怪庭前松屈曲 天真正直在其中
曹源池 曹源不涸直臻今 一滴流通広且深 曲岸回塘休著眼 夜闌有月落波心
拈華嶺 霊山拈起一枝蕚 分作千株在此峰 只… ►続きを読む
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