アーカイブ:2013年 2月 03日
八条ヶ池(はちじょうがいけ)その2 2009年12月9日訪問
八条ヶ池 水上橋
寛永15年(1638)長岡天満宮の境内東に池を開削した八条宮智仁親王は、正親町天皇第5皇子である誠仁親王の第6皇子として天正7年(1579)に生まれている。母は勧修寺晴右の女・新上東門院(藤原晴子)で、同母兄に後陽成天皇や定輔親王・勝輔親王・邦慶親王らがいる。父の誠仁親王については、大雲院の項で記したように、天正10年(1582)6月2日、すなわち本能寺の変が起きた日、二条新御所には皇太子であった誠仁親王が在宅していた。 もともと二条晴良・昭実父子の邸宅であったが、織田信長が上洛時の宿舎とするため、京都所司… ►続きを読む
八条ヶ池(はちじょうがいけ) 2009年12月9日訪問
八条ヶ池
乙訓寺より再び文化センター通りを南に歩き、八条ヶ池に至る。長岡天満宮の歴史については次の訪問地であるため、そこで記すこととする。しかし創設時期を特定できる明らかな記録は、どうも残っていないようだ。それに対してこの八条ヶ池の開削については以下のようなことが残されている。
八条ヶ池 中堤の北側
八条ヶ池 中堤の南側は錦水亭
明治3年(1870)にまとめられた長岡天満宮の由緒書上によると、元和9年(1623)境内一帯は八条宮智仁親王の家領となっている。この家領は後に京極宮に継がれていく。長岡京市観光協会のブログ … ►続きを読む
過去の記事
カテゴリー