アーカイブ:2014年 2月 24日
最福寺跡(さいふくじあと)その2 2009年12月20日訪問
最福寺跡 平治元弘応仁元亀の乱 戦火ゆかりの地
最福寺は延朗の死後、伽藍を整備し、南北朝期には峰ヶ堂(現在の西京区御陵峰ヶ堂)にあった法華山寺とともに西岡屈指の大名刹となっている。「太平記」巻八の「谷の堂炎上の事」には、延朗の出自から最福寺の興隆について記されている。元弘3年(1333)4月8日の千種忠顕による六波羅探題攻略が失敗に終わり、翌9日に六波羅軍が、谷の堂や峰の堂から浄住寺、松尾、万石大路、葉室、衣笠に乱れ入ったことを記した段である。六波羅軍は千種軍を掃討するという名目で、仏閣神殿を打ち破り僧坊民屋を追捕し財宝略奪… ►続きを読む
最福寺跡(さいふくじあと) 2009年12月20日訪問
最福寺跡
月読神社とその鳥居の右手にある押見宿祢霊社遺跡碑の前から、浄土宗西山禅林寺派 帰峰山 西光寺に出る。同じ浄土宗でも右京区太秦多藪町の来迎山 西光寺は嘉禄の法難で有名である。光明寺の項で、来迎坊圓空と太秦の西光寺に少しふれているので興味のある方はご参照を。
最福寺跡 帰峰山 西光寺
この松室山添町の西光寺から華厳寺に向かう途中に「谷の堂最福寺 開山延朗上人旧蹟地」の碑と小さな堂宇を見かけた。 最福寺跡は松尾山南麓を流れる西芳寺川の谷の入口北岸にある。延朗上人の木像を安置する延朗堂の他には、いくつかの碑と石造の観音立… ►続きを読む
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