徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

アーカイブ:2017年 4月

応仁の乱勃発地

 

応仁の乱勃発地(おうにんのらんぼっぱつち) 2010年1月17日訪問 応仁の乱勃発地  上御霊神社の西の楼門と鳥居を潜り、上御霊前通に出ると鳥居の右手側に応仁の乱勃発地の石碑がある。これは京都市が昭和45年(1970)に建てた碑である。 応仁の乱とは、室町時代の応仁元年(1467)から文明9年(1477)まで続いた内乱である。そもそも室町幕府管領家の畠山氏と斯波氏の家督争いから始まり、やがて細川勝元と山名宗全の勢力争いに発展し、さらに室町幕府8代将軍足利義政の継嗣問題も加わり、ほぼ全国に紛争が拡大していった。この応仁の乱とその後の明応2年(1493)に起きた明応の政変によって、戦国時代に… ►続きを読む

 

上御霊神社

 

上御霊神社(かみごりょうじんじゃ) 2010年1月17日訪問 上御霊神社 本殿  閑臥庵の山門前を過ぎてすぐに鞍馬口通を南に折れる。閑臥庵を含めてこの辺りは北区新御霊口町で、寺町通より西側の鞍馬口通の両側町である。複雑なことに、この北区新御霊口町の南東、西園寺の寺町通を挟んで西側には上京区新御霊口町がある。その西側の上京区上御霊馬場町は上御霊前通の両側町、そして現在の上御霊神社の境内を含む上京区上御霊竪町、さらに西側の上京区上御霊前町と上京区上御霊中町、北区上御霊上江町と御霊を冠する町名が複雑に入り組んでいる。この内、新御霊口町と上御霊上江町の2つの町が北区に属し、それ以外の5町が上京区… ►続きを読む

 

閑臥庵

 

黄檗禅宗 瑞芝山 閑臥庵(かんがあん) 2010年1月17日訪問 閑臥庵 竜宮門  西園寺の山門を出て天寧寺の前を過ぎ、再び寺町通と鞍馬口通が交わるところまで戻る。鞍馬口通を東に曲がれば上善寺そして出雲路鞍馬口に至るが、今度は西に曲がる。通りの北側に閑臥庵の竜宮門が現われる。 閑臥庵は黄檗宗の禅寺で山号は瑞芝山。黄檗宗は日本における三禅宗のうちの一宗派で、隠元隆琦が江戸時代に開いた宇治市の黄檗山萬福寺を本山とする。隠元禅師は中国明朝時代の臨済宗を代表する僧で、中国福建省福州府福清県の黄檗山萬福寺の住持を務めていた。当時の中国は明末清初の混乱の真っ只中にあった。禅師は日本からの度重なる招請… ►続きを読む

 

西園寺

 

浄土宗 宝樹山竹林院 西園寺(さいおんじ) 2010年1月17日訪問 西園寺 山門  天寧寺の山門を出て寺町通を南に下ると、すぐに次の西園寺の山門が現われる。西園寺は寺名から分かるように清華家・西園寺家に所縁がある。 西園寺 本堂 西園寺 地蔵堂 左は稲荷社  西園寺家は藤原公実の四男・藤原通季を祖とする。父の公実は平安時代の藤原北家閑院流の公卿で、正二位権大納言に至り三条大納言と称された人物である。また、通季の異母兄である実行が三条家、実弟の実能は徳大寺の祖となるなど、公実の子達から清華家七家の内、実に三家が生まれている。西園寺家の家業は四箇の大事(節会・官奏・叙位・除目)… ►続きを読む

 
 

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