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陵墓地形図集成



陵墓地形図集成(りょうぼちけいずしゅうせい)2017年9月18日記

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陵墓地形図集成 宗諄女王墓

 9月の三連休を使い陵墓地形図集成の京都府部分を表示する地図を作成してみた。陵墓地形図集成は、宮内庁書陵部保管の陵、墓、分骨所、火葬塚、灰塚などの測量図を纏めた書物。1999年に宮内庁書陵部陵墓課編で「宮内庁書陵部陵墓地形図集成」が刊行されている。53cm、343枚という大型書籍で15万円と高価なものである。とても個人の趣味で購入できるようなものではない。また東京の区立図書館や市立図書館にも蔵書が無く、本書を確認するためには広尾の都立中央図書館に出向かなければならない。 幸いにも2014年に「陵墓地形図集成[縮小版]」が18000円で刊行された。26cm463頁と普通の書籍の大きさになり、身近な図書館にも収蔵されるようになった。残念ながら縮小版のため測量図中の文字が鮮明ではなく、画数の多い人名には判読できないものがある。結局のところ必要な部分は広尾に確認しに行かなければならない。

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宗諄女王墓 2010年11月22日撮影
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宗諄女王墓 2010年11月22日撮影

 陵墓の定義については、『陵墓地形図集成[縮小版]』の刊行にあたって の最初に以下のように記されている。

皇室典範(昭和22年1月16日法律第3号)第27条には、陵墓の定義(天皇、皇后、太皇太后及び皇太后を葬る所を陵、その他の皇族を葬る所を墓)とともに、「陵及び墓に関する事項は、これを陵籍及び墓籍に登録する。」との規定がある。

 つまり書陵部で保管している陵墓地形図は、皇室典範第27条にある陵籍及び墓籍の付属図面として利用されるものである。陵墓地形図には図面番号が付され、1の蜂子皇子墓図は山形県鶴岡市羽黒町手向 出羽三山神社内にある崇峻天皇皇子 蜂子皇子の墓の測量図であり、343の天津日高彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 吾平山上陵 図は鹿児島県鹿屋市吾平町上名にある神武天皇の父にあたる彦波瀲武盧茲草葺不合尊の墓である。このように北から南に向けて343枚の測量図が所収されている。これらの図の大部分は大正末期から昭和初期にかけて作成されている。
 陵墓地形図集成[縮小版]の巻末には、陵墓等所在地一覧と歴代順陵墓等一覧が付けられている。前者は図面番号順に図名を並べたもので、所在地と図中に描かれている陵墓等とその陵墓番号が記されている。陵墓番号とは歴代数とその歴代数の中の順番を組み合わせたものである。第122代 明治天皇の伏見桃山陵は、122-1であり、昭憲皇太后の伏見桃山東陵は122-2、皇子 稚瑞照彦尊墓は122-3という番号がふられている。この陵墓番号を確認することによって、葬られている方がどのような方が分るような仕組みになっている。陵墓等所在地一覧の豊島岡墓地には、上記の明治天皇皇子 稚瑞照彦尊から朝香宮鳩彦王妃允子内親王までの63方が葬られていることが分る。ちなみに陵墓番号がない図面も存在する。例えば145の泉山陵墓地図や172の桃山陵墓地図のような陵墓が密集する地域の広域図的な役割を果たす地図や、153の東山本町陵墓参考地図のような宮内庁が皇族の墳墓とするも被葬者を特定する資料に欠ける陵墓である。

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明治天皇 伏見桃山陵 2011年12月24日撮影
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昭憲皇太后 伏見桃山東陵 2011年12月24日撮影

 陵墓等所在地一覧が所在地から調べるのに対して、歴代順陵墓等一覧は被葬者から陵墓等を探す時に使用するように作られている。最初が神-1の天津日高彦火瓊瓊杵尊 可愛山陵と陵墓番号順に並べられている。陵墓番号は通し番号になっていないため、歴代順陵墓等一覧から所収されている陵墓等の総数は分らない。陵墓地形図集成[縮小版]の『陵墓地形図集成[縮小版]』の刊行にあたって によれば、歴代天皇陵112、皇后と歴代外の天皇陵が76、併せて188となる。皇族墓が553、分骨所、火葬塚、灰塚などの準陵が42、髪歯爪塔(塚)、分骨塔、殯斂地などが68、そして陵墓参考地46である。宮内庁が管理している陵墓等は1都2府30県にわたる459箇所、897である。ちなみに、1999年に刊行された「宮内庁書陵部陵墓地形図集成」の陵墓地形図の概要―序文にかえて― には、皇后と歴代外の天皇陵が75、皇族墓が551の1都2府30県にわたる456箇所、894であったので、皇后と歴代外の天皇陵に1(香淳皇后陵)、皇族墓に2(三笠宮寬仁親王墓、高円宮憲仁親王墓)の追加がったことが分る。

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宮内庁書陵部月輪陵墓監区事務所 2008年12月22日撮影

 この陵墓地形図集成[縮小版]を地図上に配置することを思い立ったのは、後花園天皇火葬塚への訪問を予定に入れられなかったことです。折角、大応寺と水火天満宮まで行ったのにも係わらず、同じ町内にある火葬塚の存在に気が着きませんでした。今後の予定を組む上で、見落としのない計画を立案するために作成しました。
その様な理由のため、先ずは京都府内の陵墓等の配置から着手した。やはり1300年も都があった地だけに全体の6割強に及んでいる。図面数153、陵墓等数で595は、当然三連休が始まる以前に入力したものである。地図を管理するDBに登録、表示用のXMLの作成、そしてこのブログの入力が3日間の作業であった。

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宮内庁書陵部月輪陵墓監区事務所 2016年3月4日撮影


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:天皇陵   :歴代外天皇陵:皇后陵   :太皇太后他陵:皇族
:火葬塚   :髪歯爪塔・塚:その他   :分骨所他  :陵墓参考地 
:広域地図

「陵墓地形図集成」 の地図





陵墓地形図集成 のMarker List

No.名称緯度経度
赤●  泉涌寺 34.978135.7813
01  泉涌寺 総門 34.9816135.7767
02  泉涌寺 大門 34.9782135.7791
03  泉涌寺 仏殿 34.978135.7803
04  泉涌寺 舎利殿 34.9779135.7806
05   泉涌寺 霊明殿 34.9776135.7809
06  泉涌寺 御座所 34.9779135.7812
07  泉涌寺 御座所庭園 34.9777135.7813

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