アーカイブ:2019年 1月
浄土宗知恩院派 堯天山 報恩寺(ほうおんじ)2010年1月17日訪問
報恩寺 境内
泉妙院の山門越しに尾形光琳とその一族の墓を拝観した後、寺之内通を再び西に戻り小川通を南に下る。凡そ40メートルくらい歩くと、通りの西側に報恩寺の山門と石橋が現れる。新しく建てられた寺号標には“浄土宗鳴虎 報恩寺”と記されている。寺之内通より北側の小川通は小川に沿って南下するが、百々橋の東橋詰めで通りが20メートル東に付け替えられている。そのため小川通から報恩寺の石橋までの間に20メートル程度の参道が生じている。その両側には民家の妻面が見えるため、少し不思議な空間になっている。山門手前の石橋は、かつて流れ… ►続きを読む
泉妙院(せんみょういん)その2 2010年1月17日訪問
泉妙院 緒方家墓所 2016年3月5日撮影右側宝塔:光琳・乾山両人の供養塔
2019年最初のエントリーは、正月に相応しい国宝「紅白梅図屏風」の作者・尾形光琳になりました。
泉妙院では、尾形家の来歴から光琳が画家への道を歩み始める契機について、さらに門前に建立された 尾形光琳 尾形家一族 乾山菩提所の石碑を手掛かりに、建立者の三越が明治後期から行ってきた尾形光琳に対する顕彰活動について見て来た。この項では白崎秀雄の「尾形光琳取材ノート」を元にして、光琳が生存していた頃の三越との関係を調べてみる。 雑誌「日本美術工芸」に「尾形光琳… ►続きを読む
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