徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

カテゴリー:東山

東福寺 塔頭 その6

 

東福寺 塔頭(とうふくじ たっちゅう)その6  2009/11/28訪問 東福寺 塔頭  東福寺 塔頭  その3で紹介したように、「古寺巡礼 京都 18 東福寺」(淡交社 1977年刊)には、東福寺の塔頭について比較的詳細な説明が記されている。歴代の住持一覧や法嗣を現わす系図等ともに、「東福寺塔頭子院」が掲載されているので、今後の検索の便宜のために活字化しておく。    番号 塔頭名 開 山 名 (赤字は現存する塔頭)     1 安枕軒 香仲見橘     2 怡雲軒 自悦宗懌     4 一枝軒 香仲見橘     5 雲居庵 平田慈均     6 雲興庵 平田慈均     7 永安院 … ►続きを読む

 

東福寺 塔頭 その5

 

東福寺 塔頭 (とうふくじ たっちゅう)その5  2009/11/28訪問 東福寺 栗棘庵 山門内 ■18 東光寺 東福寺 東光寺 2008年11月22日撮影 無為昭元の開創による塔頭。無為昭元は寛元3年(1245)京に生まれる。円爾弁円の法を嗣ぎ、博多承天寺、三聖寺、東福寺そして鎌倉円覚寺の住持を務める。応長元年(1311)寂。67歳。諡号は大智海禅師。 ■19 桂昌院 東福寺 桂昌院 2008年12月22日撮影  元亨元年(1321)東福寺第12世双峰国師(宗源)が開創し、後宇多上皇より「万年桂昌精舎」の額寺を賜わる。その後、兵乱のために荒廃したが、幕末の天保年間(183… ►続きを読む

 

東福寺 塔頭 その4

 

東福寺 塔頭 (とうふくじ たっちゅう)その4  2009/11/28訪問 東福寺 龍吟庵 ■11 栗棘庵 東福寺 栗棘庵 東福寺 栗棘庵 山門内  永仁2年(1294)東福寺第4世住持、白雲慧暁が開創した塔頭。はじめ西陣白雲村(新町今出川上ル付近)にあったが、応仁の乱後に東福寺山内に移されている。 慧暁は貞応2年(1223)讃岐に生まれている。はじめ比叡山に登り行泉法師より法華玄義を学び、17歳で得度受具する。25歳で泉涌寺に入り開観律師に師事し、律宗の僧侶となる。その後、円爾弁円に参じて禅宗に帰投する。8年間の修行を経て、文永3年(1266)39歳の時に入宋し、瑞巌寺の希… ►続きを読む

 

東福寺 塔頭 その3 

 

東福寺 塔頭 (とうふくじ たっちゅう)その3  2009/11/28訪問 東福寺 退耕庵 山門内  天龍寺、妙心寺(1,2,3,4,5,6,7)、大徳寺、相国寺そして南禅寺などともに東福寺の塔頭の歴史については、なかなか調べることが困難である。「古寺巡礼 京都 18 東福寺」(淡交社 1977年刊)には、東福寺の塔頭について比較的詳細な説明が記されている。これに従って、東福寺 塔頭と東福寺 塔頭 その2を補っておく。■01 万寿寺 東福寺 万寿寺 2008年12月22日撮影  万寿寺は九条通を隔て、東福寺の境内の最北端に位置する。「京城山万寿禅寺記」によれば、21歳の若さで亡くな… ►続きを読む

 

東福寺 その7 

 

臨済宗東福寺派大本山 東福寺 (とうふくじ)その7  2009/11/28訪問 東福寺  東福寺 その6で記したように、九条道家は嘉禎2年(1236)に曽祖父の九条忠道や祖父の九条兼実にならい、法性寺山内に釈迦像を安置した仏殿を建立することを思い立っている。これが東福寺の創設とされている。その翌年の嘉禎3年(1237)には摂政と藤原氏長者を辞して、法性寺内の月輪殿のかたわらに光明峰寺を建立し、嘉禎4年(1238)准三宮宣下を固辞し出家している。そして延応元年(1239)には発願した仏殿の上棟式を行なっている。この開山に相応しい名僧を求めていたところ、仁治2年(1241)に宋より帰朝した円… ►続きを読む

 

東福寺 その6

 

臨済宗東福寺派大本山 東福寺 (とうふくじ)その6  2009/11/28訪問 東福寺 洗玉澗の紅葉と通天橋  2009年の秋も東福寺から始まる。東京駅を6:00に出る新幹線に乗車すると京都駅に8:11に到着する。今回はJR奈良線に乗り換え、次の東福寺駅で下車する。ここから徒歩で東福寺を目指す。前回の訪問が2008年11月22日であったのに対して、暦の上では1週間程度遅い。紅葉も見頃を迎え、人出も昨年以上のような気がする。 東福寺 北門前の石橋  東福寺については、最初の訪問の時に創設の歴史に少し触れている。それ以来、東福寺 その2で、法性寺から東福寺への移行について、東福寺 その… ►続きを読む

 

大橋家庭園 苔涼庭 その2

 

大橋家庭園 苔涼庭 (おおはしけていえん たいりょうてい) 2009年1月11日訪問  下記の項は2009年2月11日に記した。しかし訪問順に並べ替えるために、2012年3月7日に再更新したこととする。大橋家で行われていた工事は既に終わっていると思われる。 大橋家庭園 門は閉ざされ貼り紙が…  以前に大橋家庭園を訪れた際、伏見稲荷大社との位置関係が良く分からず、伏見街道から入り大橋家庭園を訪問し再び伏見街道に戻るというような経路をとった。その後、地図で調べると大橋家の隣が産場稲荷社であり、東に20~30m進むと八島ヶ池に至ることが分かった。伏見稲荷大社の境内からこのように近い… ►続きを読む

 

伏見稲荷大社 その3

 

伏見稲荷大社 その3(ふしみいなりたいしゃ) 2009年1月11日訪問 伏見稲荷大社 山内  伏見稲荷大社 その2で秦大津父について記してきたが、この大津父より凡そ200年後の和同年間(708~715)に秦伊呂巨が稲荷山の三つの峯にそれぞれの神を祀ったのが伏見稲荷大社の始まりとされている。伏見稲荷大社の沿革にも、秦大津父から伊呂巨までの200年たらずの脈絡についてはほとんど不明とした上で。     しかし不明であるから全く関連はないとは言えないでしょう。深草の里が早くから開拓されて、人の住むところであったことは深草弥生遺跡に見ることができます。 としている。いずれにしても大津父と伊呂巨の… ►続きを読む

 

伏見稲荷大社 その2

 

伏見稲荷大社 その2(ふしみいなりたいしゃ) 2009年1月11日訪問 伏見稲荷大社 楼門  2011年11月にねりこべ地蔵の項を書いて以来、3ヶ月間以上お休みしてしまいました。今年の年末年始はいろいろなことがあった。そんな多忙な中でも結局延4日間京都を訪れることが出来たのは大収穫であった。深草から伏見、桃山そして竹田と第46回京の冬の旅の非公開文化財特別公開を巡った。お休み期間が長かったのは、この訪問の下準備と撮影した写真等の後片付けに結構な時間を費やしたためともいえる。 伏見稲荷大社 一の鳥居と楼門  2回目の石峰寺訪問も拝観時間が過ぎていたため、今回も山門前からの夕日を眺める… ►続きを読む

 

ぬりこべ地蔵

 

ぬりこべ地蔵(ぬりこべじぞう) 2009年1月11日訪問 ぬりこべ地蔵  白河天皇の成菩提院陵の拝観を済ませ、再び交通量の多い油小路通に出る。ここから伏見稲荷大社の御茶屋に向かう。この御茶屋は通常非公開で、今回開催されている第43回京の冬の旅で、教王護国寺五重塔内陣、教王護国寺観智院、東福寺退耕庵そして安楽寿院などともに特別公開されている。かなり不鮮明ではあるが30年くらい前に大学の建築史の先生の案内で一度訪問した記憶が残っている。 ぬりこべ地蔵 墓地の中に立つ小さな堂宇に近所の方が手を合わせる ぬりこべ地蔵  既に3時30分を過ぎているため、歩いて竹田駅まで向かい電車等を乗… ►続きを読む

 

東山本町陵墓参考地 その2

 

東山本町陵墓参考地(ひがしやまほんまちりょうぼさんこうち)その2 2009年1月11日訪問 東山本町陵墓参考地  六波羅門から東福寺の境外に出る。塔頭寺院の東光寺、桂昌院、荘厳院そして願成寺の前を通り、南門を潜り伏見街道に出る。伏見街道、すなわち本町通を北上し、京阪電鉄京阪本線の東福寺駅に向かう。東福寺の中門を過ぎた先、東側の町家の並びが一瞬途絶える箇所がある。地図上では、リカー&フーズおおにしの手前、丁度霊雲院の九山八海の庭の西側に位置する。ここは仲恭天皇の陵墓参考地とされている。既に仲恭天皇については仲恭天皇九條陵 その2で、陵墓参考地についても東山本町陵墓参考地で既に書いているので… ►続きを読む

 

東福寺 その5

 

臨済宗東福寺派大本山 慧日山 東福寺(とうふくじ)その5  2009年1月11日訪問 東福寺 五社成就宮  東福寺の三門の東側に鳥居が見える。鳥居の北側に見える最勝金剛院の参道が緩やかに上っていくのに対して、この部分はいきなり高台となっているので、鳥居の先から石段が始まる。登り切った先に五社成就宮が現れる。石清水、賀茂、稲荷、春日、日吉の五社神を祀るので五社明神社ともいわれる東福寺の鎮守社である。 東福寺 五社成就宮 東福寺 五社成就宮  東福寺 その4で触れたように、寛元元年(1243)3月15日に九条道家は法性寺鎮守惣社を東福寺の鎮守として遷宮を行い、成就宮と号している。… ►続きを読む

 

東福寺 その4

 

臨済宗東福寺派大本山 慧日山 東福寺(とうふくじ)その4  2009年1月11日訪問 東福寺  東福寺 その2、東福寺 その3に続き、創建の頃の東福寺の歴史と共に、東福寺の開山となる聖一国師が住した普門寺と東福寺の北側にあった三聖寺、後の時代に移転してきた万寿寺の歴史についても眺めていく。 東福寺 海蔵院 東福寺 龍眠庵  東福寺開山堂・普門院その3でも記したように、東福寺自体が完成する前に創建された普門寺の存在も現れてくる。凌霄山普門寺は、東福寺常楽庵(現在の開山堂と普門院のある寺域)の西方低地に実在した寺院で、かつては京都十刹の六位に位置付けられていた。開山は東福寺と同じ… ►続きを読む

 

東福寺 その3

 

臨済宗東福寺派大本山 慧日山 東福寺(とうふくじ)その3  2009年1月11日訪問 東福寺 偃月橋から洗玉澗を眺める  東福寺 その2に続き、福山敏男氏の「法性寺の位置について」(佛教芸藝術100巻 毎日新聞社 1975年2月)を参照しながら、どのように法性寺が東福寺に替わって行ったかについて考えていく。 東福寺 九条通に面した寺号標石  九条道家の日記・玉藻から、嘉禎3年(1237)10月、最勝金剛院の地より東福寺造営に着手したことが分かるようだ。東福寺 その2で記したように、この時期の法性寺と最勝金剛院の力関係は逆転していたから、法性寺を改めて東福寺とすることは最勝金剛院の敷… ►続きを読む

 

東福寺 その2

 

臨済宗東福寺派大本山 慧日山 東福寺(とうふくじ)その2  2009年1月11日訪問 東福寺 三門 (国宝 応永32年(1425)再建、現存する禅寺の三門としては日本最古)  最勝金剛院の山門を出て参道を下ると、正面に東福寺の本堂が現れる。 東福寺の公式HPに記されている歴史は、京都五山の第四位の大寺院にしては非常に簡潔なものである。嘉禎2年(1236)九条道家が奈良の東大寺と興福寺から一字づつ採り、それを寺号とする京都最大の伽藍の造営を思い立ったこと、寛元元年(1243)に聖一国師を開山に迎え、天台・真言・禅の各宗兼学の堂塔を完備したことを記した後、戦火等を受けるもその度に復興し、現在… ►続きを読む

 

東福寺 最勝金剛院

 

東福寺 最勝金剛院(さいしょうこんごういん) 2009年1月11日訪問 東福寺 最勝金剛院 山門へと続く参道に並ぶ石灯籠  前回の訪問の時、一番奥にある最勝金剛院の山門前で時間切れとなり、引き返らざるを得なかった。 もともと月下門と勅使門は使用されていないため、残りの日下門と六波羅門を閉じると、臥雲橋の架かる道から東側の東福寺の境内は隔離される。拝観時間終了前に寺院関係者がスクーターに乗車し、境内に人が残っていないか確認していた。広い境内だから当たり前のことかもしれないが、初めて見る光景だったので驚いた。速やかに日下門から外に出るように促されたため、最勝金剛院の山門より中に入ることができ… ►続きを読む

 

東福寺 退耕庵

 

東福寺 退耕庵(たいこうあん) 2009年1月11日訪問 東福寺 退耕庵 客殿の妻面の眺める  東寺の南大門を潜り、九条通に出る。次の東福寺退耕庵は、徒歩でも行ける距離ではあるが、何回か歩いたことがあるので、今回はバスに乗車することとした。比較的待たずにバスは来たが、車庫に入るため途中の九条車庫前で一度下車させられた。時間が押していたので、バスの方が早く着くと考えたが、どうも徒歩と変わらなかったようだ。 九条通の陸橋に登り鴨川を渡り、JR奈良線、京阪電鉄そして伏見街道を越えると、万寿寺の前にある東福寺停留所に至る。東福寺の大きな「大本山東福寺」の寺号標石の脇を抜け、そのまま南に進むと退耕… ►続きを読む

 

鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 その4

 

鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 (とばふしみせんぼうちょうじゅなんしゃのはか)その4  2008/12/22訪問 鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 墓地入口から全景を眺める  石田孝喜著「幕末京都史跡大辞典」(新人物往来社 2009年刊)には、この墓地の成り立ちついて詳細に記されている。鳥羽伏見の戦いは慶応4年(1868)1月10日に終わり、千両松の戦いで戦死した石川厚狭介を含む長州藩士の24体の遺体は、この地に埋葬され、一名ずつ木の墓標が建てられた。そして明治33年(1900)の33回忌に墓標が現在の石標に替えられ、この時に14名の戦傷病死者が追祀されている。 鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 墓地入口… ►続きを読む

 

鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 その3

 

鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 (とばふしみせんぼうちょうじゅなんしゃのはか)その3  2008/12/22訪問 鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 献花台の奥に墓碑が二列並ぶ  慶応4年(1868)1月3日の夕方、小枝橋での通過交渉が決裂し、ついに鳥羽伏見の戦い、あるいは1年半に及ぶ戊辰戦争が始まる。詳しい戦いの経過は、野口武彦著「鳥羽伏見の戦い 幕府の命運を決した四日間」(中央公論新社 2010年刊)や以前の項に譲るものとする。長州軍の出兵した伏見方面も、この小枝橋での武力衝突の砲声を受けて始まる。伏見奉行所に詰めていた会津軍や新選組は、奉行所を出て市街戦を挑むが、碁盤の目に配置された伏見の町並みに… ►続きを読む

 

鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 その2

 

鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 (とばふしみせんぼうちょうじゅなんしゃのはか)その2  2008/12/22訪問 鳥羽伏見戦防長殉難者之墓  仲恭天皇 九條陵より参道を戻る途中を左手に入ると鳥羽伏見戦防長殉難者の墓地がある。前回の訪問は新緑の季節で木々も緑濃かったが、今回は葉もすっかり落ち、墓地の地面を茶色に染めている。やや高台にある九條陵と鳥羽伏見戦防長殉難者之墓の位置関係がよく分かるようになっている。 まず参道から墓地に入ると、この空間の広さに驚く。九條陵の一段下の斜面にこれだけの面積の平地を作り出している。この墓所には鳥羽伏見戦で戦死した石川厚狭介をはじめ、病死した者を含めた49名の長州… ►続きを読む

 
 

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