徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

カテゴリー:東山

東山の町並み その2

 

東山の町並み(ひがしやまのまちなみ) その2 2008年11月23日訪問 東山の町並み 祇園閣  昨日同様に、円山公園より、祇園閣の屋根を眺めながら大雲院の前を通る。あまり上を見すぎていると、大雅堂跡、西行庵そして芭蕉堂を見逃してしまう。前回の訪問の時にも大雅堂跡の碑と芭蕉堂を見つけることが出来なかったので、次回はもう少し時間を作って調べてみることとする。ねねの道に入り、御陵衛士の屯所となった月真院と圓徳院の間を抜けると、高台寺の台所坂が左手に見える。石塀小路の入口を過ぎると高台寺の塔頭である春光院の門が現れる。 東山の町並み 祇園閣 東山の町並み 祇園閣  豊臣秀吉の妻であ… ►続きを読む

 

円山公園 その2

 

円山公園(まるやまこうえん) その2 2008年11月23日訪問 円山公園 南側の池に設けられた噴水  この日は円山公園から、昨日人出が多くて訪問することが出来なかった清水寺成就院を巡る。円山公園からねねの道に入り、高台寺前を通る。一念坂から二寧坂、産寧坂を経て、清水寺の参道である松原通に出る。 円山公園 北側の池 円山公園 中央にかかる石橋 円山公園 南側の池  7時40分過ぎに京阪電鉄 祇園四条駅に到着する。ここから八坂神社の西楼門を目指して歩く。円山公園の西口から入り、そのまま東に進むと昨晩歩いた知恩院と高台寺を結ぶ道に出会う。円山公園の庭園はこの道の東側から始ま… ►続きを読む

 

東山の町並み

 

東山の町並み(ひがしやまのまちなみ) 2008年11月22日訪問 東山の町並み 八坂の塔 東山の町並み 青蓮院門跡 御幸門 東山の町並み 知恩院 山門 東山の町並み 長楽館  青蓮院門跡(その2 その3 その4)の御幸門を後にして、神宮道を南に下ると十樂院上陵への参道が左手に見える。さらに先に進むと華頂道が西から入ってくる.。このあたりから、知恩院の寺域が始まる。程なくするとライトアップされた知恩院の山門が現れる。さらに南に進むと、いつの間にか円山公園の中に入り込んでいる。長楽館本館の前を過ぎると、高台寺は目の前である。祇園閣のある大雲院を左に折れると一念坂、二寧坂そ… ►続きを読む

 

青蓮院門跡 その4

 

天台宗 青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき) その4 2008年11月22日訪問 青蓮院門跡 相阿弥の庭  残念ながら長屋門から青蓮院に入ることはできない。「粟田御所 青蓮院門跡」という提灯のかかる門から境内に入り、玄関を上がる。反時計回りに入母屋造桟瓦葺きの宸殿から廻っていく。宸殿南庭には右近の橘、左近の桜が配されている。もともとは御所の庭と同じく白砂が敷かれていたが、今は苔の庭となっている。この苔の上に置かれた無数の青色LEDが一定間隔に点滅し、南庭の先にある白壁には雲の流れを現したような青色の映像が投影されている。この方形のシンプルな南庭では、暗闇の中に浮かび上がる青い光によって宇… ►続きを読む

 

青蓮院門跡 その3

 

天台宗 青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき) その3 2008年11月22日訪問 青蓮院門跡 美しい竹林  青蓮院門跡で既に触れたように、天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡(青蓮院、三千院、妙法院)の一つとして古くより知られている。そして現在も天台宗の京都五箇室門跡(青蓮院門跡、三千院門跡、妙法院門跡、曼殊院門跡、毘沙門堂門跡)の一つに数えられている。 青蓮院の起源は、比叡山延暦寺に作られた僧侶の住坊の一つである青蓮坊と考えられている。青蓮坊は日本天台宗の祖最澄から円仁、安恵、相応等、延暦寺の法燈を継いだ著名な僧侶の住居であり、比叡山東塔の主流をなす坊であった。また、上記の京都五箇室門跡で… ►続きを読む

 

青蓮院門跡 その2

 

天台宗 青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき) その2 2008年11月22日訪問 青蓮院門跡 長屋門の夜の姿  柳馬場三条下ルの晃庵で夕食を終え、青蓮院門跡の夜間拝観に向う。坂本龍馬妻お龍実家楢崎家跡の碑が建つ晃庵から、お龍の父である楢崎将作が侍医として仕えていた青蓮院宮尊融法親王に向うことは、意図していたものではなく偶然である。 青蓮院門跡 長屋門の昼 2008年5月16日撮影 青蓮院門跡 粟田御所  繰り返しになるが、青蓮院宮尊融法親王は文政7年(1824)伏見宮邦家親王の第4王子として生まれ、天保7年(1836)仁孝天皇の猶子となる。嘉永5年(1852)青蓮院門跡門主の… ►続きを読む

 

櫻本陵 その2

 

櫻本陵 (さくらもとのみささぎ) その2 2008年11月22日訪問 櫻本陵  安楽寺の石段を下りた先に、東西50メートル南北100メートル位の大きな緑地が残っている。既に周囲は宅地化された中に、矩形の敷地が手付かずに残されている。この冷泉天皇の櫻本陵の正面は、哲学の道をよーじや銀閣寺店の角から東に入った先にある。 冷泉天皇は天暦4年(950)村上天皇の第2皇子・憲平親王として生まれる。生後間もなくして、第1皇子の広平親王を押しのけて立太子となる。これは時の権力者である藤原実頼・師輔兄弟の力が働いていたと考えられている。広平親王の母は大納言藤原元方の娘・祐姫であり、憲平親は藤原師輔の娘・… ►続きを読む

 

安楽寺 その2

 

浄土宗住蓮山 安楽寺 (あんらくじ) その2 2008年11月22日訪問 安楽寺 方丈の東庭  霊鑑寺門跡の石段を下り、道を北に進むと右手に安楽寺の大樹と石段、その上に建つ萱葺きの山門が現れる。 安楽寺 山門前 拝観者の途切れることがない  安楽寺は2008年5月に訪れたが、霊鑑寺と同様に非公開のため山門の写真を撮影し、中の様子を伺うだけであった。こちらの寺院も春と秋に特別公開が行われる。春は桜、躑躅、皐の美しい時期に土日と祝日のみ公開される。夏は7月25日に行われる鹿ケ谷カボチャ供養の日、そして秋は紅葉の11月から12月初旬の土日、祝日に公開される。前回の5月の訪問は丁度、躑躅と… ►続きを読む

 

霊鑑寺門跡 その2

 

臨済宗南禅寺派円成山 霊鑑寺門跡 (れいかんじもんぜき) その2 2008年11月22日訪問 霊鑑寺門跡 中門から庭園を眺める  大徳寺の塔頭 総見院を出て再び東門を出てタクシーを捜す。大徳寺を訪問する観光客は、この東門の前にある駐車場で下車するため、乗車客待ちのタクシーが停まっている確率が高い。 タクシーは霊鑑寺門跡と法然院を目指して北大路通を東に進む。賀茂川と高野川を越えると一乗寺町に入る。白川通で右折し南に下り、今出川通の交差点から鹿ケ谷通に入る。鹿ケ谷通は観光客の多い哲学の道の西側を平行に走る道である。そして市立第三錦林小学校の角を東に入り、霊鑑寺門跡の石段の前に約30分で到着す… ►続きを読む

 

東福寺 東光寺

 

東福寺 東光寺 (とうふくじ とうこうじ) 2008年11月22日訪問 東福寺 東光寺  天得院の山門を出て臥雲橋から続く南北路を南に下ると、六波羅門と勅使門の手前の右手に東光寺の山門が見える。通常は非公開の塔頭であるが、この11月は公開しているという噂を聞いて訪れたが、どうも公開していないようだったので、庫裏前の路地のみを拝見させていただいた。 東福寺 東光寺 山門 東福寺 東光寺 庫裏へ続く路地  東光寺は、鎌倉時代末期の応長元年(1311)東福寺第7世無為昭元(大智海禅師)によって創建された。無為昭元は、寛元3年(1245)生まれ、東福寺の開山聖一国師(円爾)の法を嗣ぎ… ►続きを読む

 

東福寺 天得院

 

東福寺 天得院(とうふくじ てんとくいん) 2008年11月22日訪問 東福寺 天得院 方丈南庭 手前にチャボヒバの木が見える  即宗院の山門を出て、偃月橋を渡り、方丈と本堂の間を西に進む。日下門を出て右側に天得院の山門が見える。 前回東福寺を訪れた際は公開されていなかったため、山内の塔頭のひとつとして紹介はしたが、今回は龍吟庵や即宗院とともに、秋の特別公開が行われているので訪問する。 東福寺 天得院 山門  天得院の公式HPによると正平年間(1346~70)玉渓慧格をとして、東福寺第30世無夢一清によって開創された道場とされている。無夢一清は永仁2年(1294)に生まれ、玉渓慧&… ►続きを読む

 

東福寺 即宗院 その3

 

東福寺 即宗院(とうふくじ そくしゅういん) その3 2008年11月22日訪問 東福寺 即宗院  公開されていないが、即宗院墓地には、道島五郎兵衛、奈良原喜左衛門、田中新兵衛そして中井弘(桜洲)の墓が残されている。  文久2年(1862)4月23日伏見の旅館・寺田屋に集まった薩摩藩尊攘派を鎮撫するため、道島五郎兵衛は大山綱良や奈良原繁と共に島津久光によって使わされた。急進派の有馬新七、柴山愛次郎、橋口壮介、西田直五郎、弟子丸龍助、橋口伝蔵の6名が死亡、重傷を負った田中謙助と森山新五左衛門の2名も切腹、さらに大阪藩邸で療養していたため寺田屋に参加できなかった山本四郎も藩命に背き抵抗した後… ►続きを読む

 

東福寺 即宗院 その2

 

東福寺 即宗院(とうふくじ そくしゅういん) その2 2008年11月22日訪問 東福寺 即宗院 薩摩藩士東征戦亡之碑  即宗院と島津家の関係で記しておかなければならない出来事が幕末から維新にかけて起きている。  まず幕末の勤王僧・月照について始めなければならないだろう。文化10年(1813)大坂の町医師玉井宗江の子として生まれている。文政10年(1827)清水寺成就院蔵海の室に入り,得度して忍介(忍鎧)と称する。天保6年(1835)蔵海の死去により成就院持住となる。一山の改革に着手するも成功せず、嘉永6年(1853)に出奔する。翌安政元年(1854)境外隠居の処分を受ける。 この頃より… ►続きを読む

 

東福寺 即宗院

 

東福寺 即宗院(とうふくじ そくしゅういん) 2008年11月22日訪問 東福寺 即宗院 庭園  龍吟庵の中門を出て、小振りな表門を背にして偃月橋を眺めると、左手に即宗院の山門が石段の上に見える。即宗院は最勝金剛院とともに東福寺の境内の中でも東端にあるため、東山の峰々の斜面上に位置する。この地形的な特徴は、泉涌寺の塔頭・悲田院から日吉ヶ丘高校の南東を通り、東福寺へと向うと即宗院の高台に突き当たることで良く分かる。つまり即宗院の境内の東半分は、鬱蒼とした樹木に覆われているが、明らかに日吉ヶ丘高校や周囲の民家に比べて小高くなっている。どうも東福寺自体が一様な傾斜面上にあるわけでなく、悲田院・… ►続きを読む

 

東福寺 龍吟庵 その2

 

東福寺 龍吟庵 (とうふくじ りゅうぎんあん) その2 2008年11月22日訪問 東福寺 龍吟庵  方丈側から偃月橋を渡り切ると、右手の石段の上に即宗院の山門、正面の石段の上には龍吟庵の方丈へと続く表門が現れる。もともと常時公開していないためか、この表門の左手に仮設の券売所が作られている。緩やかな反りを持つ杮葺切妻屋根の表門は、桃山時代に造られ、現在は重要文化財に指定されている。この表門は偃月橋を渡る手前から、方丈の大屋根の手前に美しい姿を現しているが、公開時は券売所が邪魔をしてしまう。ここで拝観券を購入し、斜め右手に続く敷石を進み中門を潜る。右手の庫裏と正面の方丈玄関へ… ►続きを読む

 

東福寺 龍吟庵

 

東福寺 龍吟庵(とうふくじ りゅうぎんあん) 2008年11月22日訪問 東福寺 龍吟庵 龍吟庭  2008年秋の特別拝観を見るため、6時発の新幹線で東京を出て京都を訪れる。京都駅の八条口より徒歩で東福寺に向う。新幹線からJR奈良線に乗り換えて東福寺駅で下車することも可能だが、乗り換えの時間を考えると歩くのとそれ程変わらないので、今回は歩いて東福寺に行くこととした。東洞院通の京都駅から先の部分は竹田街道とされているが、この道を南に下り九条通を東に入る。 東山橋から鴨川を眺める 東福寺駅の踏切 電車が来る直前  鴨川に架かる東山橋を渡ると、JR奈良線と京阪電鉄の東福寺駅の踏み切… ►続きを読む

 

白沙村荘 橋本関雪記念館 その2

 

白沙村荘 橋本関雪記念館 その2(はくさそんそう) 2008年05月17日訪問 白沙村荘 倚翠亭より問魚亭を眺める  今出川通に面した北門を潜ると、供待と呼ばれる待合の脇に不許葷酒入山門の碑が立つ。庭園に入ると木々の中に静御前の供養塔との言い伝えもある国東塔が現れる。総高さは750センチメートルと国内に現存する中で最大のものであり、個人が所有する大きさとは思えない。関雪が大正時代の初期に大分の別府に訪れたときに購入したものである。そのまま進むとかつての主屋で現在は和食を供する瑞米山とその前に広がる庭へ続く中門が現れる。この建物は後で説明する存古楼と同じく大正5年(1916)に建てられてい… ►続きを読む

 

白沙村荘 橋本関雪記念館

 

白沙村荘 橋本関雪記念館 その1(はくさそんそう) 2008年05月17日訪問 白沙村荘 芙蓉池と存古楼  慈照寺から白沙村荘へは、銀閣寺橋を渡り、今出川通を西に進む。程なくバス停・銀閣寺前が現れ、その脇に白沙村荘の入口がある。 白沙村荘は日本画家の橋本関雪が、大正5年(1916)に南禅寺からこの地に制作の場を移したことに始まる。この時から、亡くなる昭和20年(1945)までのおよそ30年間にわたり、約1万平米の敷地にアトリエから住居、そして庭園が作られている。関雪はこの30年間の間に、何回も敷地を買い増しながら庭園と建物群を拡張させている。自らの感性に従い設計し、心血を注ぎ造り上げたと… ►続きを読む

 

慈照寺 その3

 

臨済宗相国寺派東山 慈照寺 その3(じしょうじ) 2008年05月17日訪問 慈照寺 銀閣  慈照寺 その1で造営者である第8代将軍足利義政についてと、慈照寺が建てられた土地の意味、そして義政が東山殿で実現しようと考えていたことについて書いてきた。そして慈照寺 その2では、慈照寺造営にあたり行ってきた掠奪の一端を見ることで、義政の東山殿にかける執念を知ることができた。そして掠奪で完成した理想の庭園が、義政の死後掠奪の対象となり、衰退していく様を見てきた。この項では、その後の慈照寺がどのように再興され、現在私達の見るものとなったかについて触れていく。 慈照寺 銀閣、方丈、東求堂 吉田山… ►続きを読む

 

慈照寺 その2

 

臨済宗相国寺派東山 慈照寺 その2(じしょうじ) 2008年05月17日訪問 慈照寺 錦鏡池と東求堂  法然院から再び哲学の道に戻り北に向かう。銀閣寺道に架かる銀閣寺橋で熊野若王子神社から始まった哲学の道が終わる。そして、この橋の傍らに哲学の道という碑が置かれている。西から来た今出川通は鹿ケ谷通と交わり、銀閣寺橋から東側は両側に土産物屋が並ぶ銀閣寺の参道となる。この参道を150メートルくらい進むと慈照寺の総門に達する。 慈照寺 東求堂 慈照寺 洗月泉  一般に銀閣寺と呼ばれることも多いが、臨済宗相国寺派萬年山 相国寺の山外塔頭で山号は東山、寺号は慈照寺である。これは北山 鹿苑… ►続きを読む

 
 

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