カテゴリー:洛中
建勲神社
建勲神社(たけいさおじんじゃ) 2008年05月19日訪問 建勲神社 拝殿 大徳寺の塔頭・高桐院を後にして船岡山を目指す。玉林院、龍光院、大光院の前を通り、北大路通に出る。北大路通を南側に渡り船岡東通を南に下る。住宅街の中を進むと右側から船岡北通、左から建勲通が合流する角に建勲神社の鳥居が建つ。 建勲神社 船岡東通に建つ石標 天下統一の大事業とともに朝儀復興を進めた織田信長の偉勲とを称え、明治2年(1869)明治天皇による健織田社の創建が決定する。翌明治3年(1870)織田信長の子孫で天童藩知事織田信敏の東京邸内と旧領地の山形県天童市に建勲社が造営されている。明治8年(1875… ►続きを読む
大徳寺 塔頭
大徳寺 塔頭(だいとくじ たっちゅう) 2008年05月19日訪問 大徳寺真珠庵 大徳寺には現在22の塔頭がある。茶の湯の楽しみ に掲載されている大徳寺 諸堂 塔頭を見ると大徳寺の塔頭の変遷の激しさがよく伝わってくる。この内で常時公開されている塔頭は、龍源院、瑞峰院、大仙院、高桐院の4か院で、黄梅院、真珠庵、聚光院、総見院、芳春院、興臨院、孤篷庵などは期日を限って特別公開される場合もある。 大徳寺龍翔寺 山門 「大徳寺 諸堂 塔頭」で別山として扱われている寺院 ■21 龍翔寺 瑞鳳山萬歳龍翔禅寺。南浦紹明(円通大応国師)の開山。南浦紹明は、大徳寺開山宗峰妙超の師にあたり、筑前国… ►続きを読む
大徳寺 高桐院
大徳寺 高桐院(こうとういん) 2008年05月19日訪問 大徳寺高桐院 客殿南庭 大仙院を出て、法堂から孤蓬庵をつなぐ東西道を西に進む。総見院の前を過ぎて、南に入ると右手に高桐院の入口が現れる。ここには表門はなく、築地塀がコ字状に囲み、訪問者を参道に導いている。 戦国武将で熊本藩細川家初代となる細川忠興は、父細川藤孝の弟にあたる玉甫紹琮を開山として慶長7年(1602)高桐院を創建している。忠興の遺言により遺歯が高桐院に埋葬され、細川家の菩提寺となる。 大徳寺高桐院 左奥に表門が見える 細川忠興は永禄6年(1563年)第13代将軍足利義輝に仕える幕臣・細川藤孝の長男として京都で… ►続きを読む
大徳寺 大仙院
大徳寺 大仙院(だいせんいん) 2008年05月19日訪問 大徳寺大仙院 表門 瑞峯院を出て、興臨院の前を通り、勅使門の横に出る。そのまま山門、仏殿、法堂そして本坊の西側を北に向かい進むと、正面に芳春院、右に大仙院と真珠庵が並ぶ。大仙院は常時公開している塔頭ではあるが、写真撮影不可である。そのため庫裏に入るところまでしか記録が残っていない。一番最初に大仙院を訪れたのは中学校の修学旅行の時であったように記憶している。前の住職である尾関宗園氏が昭和40年(1965)に33歳で大仙院12世住職・桃林宗園禅師となった頃のことである。ともかく大きな声で叱られる様に感じるほどの講話を頂いたことは鮮… ►続きを読む
大徳寺 瑞峯院
大徳寺 瑞峯院(ずいほういん) 2008年05月19日訪問 大徳寺瑞峯院 方丈南庭 独坐庭 玄関側から眺める 興臨院を出て、南隣の瑞峯院を訪れる。瑞峯院は常時公開されている4つの塔頭のひとつである。 瑞峯院は大友宗麟が帰依していた大徳寺91世徹岫宗九を開祖に迎え、自らの菩提寺として創建している。瑞峯院という寺号は宗麟の法名・瑞峯院殿瑞峯宗麟居士から名付けられたもの。 大徳寺瑞峯院 表門 大徳寺瑞峯院 庫裏の花頭窓が見える 大友宗麟は大友氏第21代、豊後の戦国大名でキリシタン大名として有名である。享禄3年(1530)大友義鑑の嫡男・義鎮として生まれる。天文19年(1550)… ►続きを読む
大徳寺 興臨院
大徳寺 興臨院(こうりんいん) 2008年05月19日訪問 大徳寺興臨院 方丈南庭 龍源院を出て、勅使門まで戻ると興臨院の表門が左手に見えてくる。興臨院は通常非公開寺院であるが、春と秋に特別公開が行われるので、丁度訪問した時が幸運にも春の特別公開日に入っていたのだろう。 大徳寺興臨院 平唐門の表門 大徳寺興臨院 方丈玄関を眺める 興臨院は大永年間(1521~1528)あるいは天文年間(1521~1533)に、能登の守護・畠山義総が、自らの法名・興臨院殿伝翁徳胤大居士を寺号として建立している。 畠山義総は能登畠山氏の第7代当主で、能登畠山氏の全盛期を創出した名君として知られ… ►続きを読む
大徳寺 龍源院
大徳寺 龍源院(りゅうげんいん) 2008年05月19日訪問 大徳寺 龍源院 龍吟庭 大徳寺の本坊は非公開であるので、勅使門、山門、仏殿、法堂を見終わると、次は公開されている塔頭に入ることとなる。龍源院は、北大路通から勅使門に向って参道を進んで行った先の左手に位置している。 龍源院は文亀2年(1502)能登の畠山義元、周防の大内義興、豊後の大友義親の三氏によって創建されている。開祖は大徳寺72世住持の東溪宗牧で大徳寺南派の本庵となっている。いわゆる大徳寺四法脈とされている龍源派、大仙派、龍泉派、真珠派であるが、その中でも大仙院を北派の本庵、そして龍源院を南派の本庵としている。茶の湯の楽… ►続きを読む
大徳寺
臨済宗大徳寺派大本山 龍宝山 大徳寺(だいとくじ) 2008年05月19日訪問 大徳寺 勅使門 若宮神社の楼門から銀杏並木の今宮門前通を南に下る。市立紫野高校の角で小堀遠州が開設した孤篷庵から東に延びる道に交差する。この道を左に入ると広大な大徳寺の境内に入っていく。今も孤篷庵の周辺には、寸松庵・梅巌庵趾の碑、大光院趾・瑞源院趾の碑、金龍院趾の碑が建つ。これらの碑からも、現在は大徳寺の境内から離れて建つ孤篷庵も東西に広がる大徳寺の境内にあったことが分かる。 大徳寺 今宮門前通沿いの塀と龍翔寺の竹林 大徳寺は臨済宗大徳寺派大本山で山号は龍宝山。開基は正中2年(1325)大燈国師宗峰… ►続きを読む
今宮神社
今宮神社(いまみやじんじゃ) 2008年05月19日訪問 今宮神社 本殿と疫社 正伝寺を出て、再び神光院前の停留所へ戻る。西賀茂の公共交通での移動は、市営バスと京都バスに頼るほか無い。京都バスの高野車庫―市原は本数も少ないため、時間が合わない限り使用できないことを考えると、神光院前の停留所から市営バス1、9、37号などに乗車することとなる。そのため西賀茂の社寺を巡るためには、神光院を中心にして徒歩で廻るしかない。今回は神光院前から、市営バス1号に乗車し南に下る。6つ先の佛教大学前停留所で下車し、今宮通を東に進むと北側に今宮神社の楼門が現れる。 今宮神社 楼門 今宮神社 拝殿… ►続きを読む
壬生寺
律宗別格本山 宝憧三昧寺心浄光院(壬生寺(みぶでら)) 2008年05月18日訪問 壬生寺 本堂 現在の壬生寺は、律宗別格本山の寺院である。律宗とは戒律の研究と実践を行う仏教の一宗派であり、日本での律宗は、天平勝宝5年(753)鑑真が6度の航海の末に、唐から招来し東大寺に戒壇を開き、聖武上皇、称徳天皇を初めとする人々に日本で初めて戒律を授けたことに始まる。後に唐招提寺を本拠として南都六宗の一つとして今日まで続いているが、平安時代以降平安京を中心に栄えた平安二宗(天台宗・真言宗)とは異なるため、京都の寺院の中でも珍しい存在となっている。なお、壬生寺は通称で、寺号を宝憧三昧寺、院号を心浄光… ►続きを読む
八木邸
八木邸(やぎてい) 2008年05月18日訪問 八木邸 京都鶴屋 鶴寿庵の奥に八木邸の長屋門が見える 京福電鉄嵐山本線の踏み切りを越え、坊城通と綾小路通の角には新選組の屯所として使われた旧前川邸が残されている。その先に京都教育会が昭和6年(1931)に建立した新選組遺蹟が現れる。 八木家の始祖である朝倉氏は但馬国朝倉(兵庫県養父郡朝倉庄)に発している。鎌倉時代初期に朝倉高清の次男・重清が八木庄に入り、八木安高を名乗っている。その後、承久の乱(承久3年(1221))で鎌倉幕府に加勢したことにより一族は興隆する。八木家の宗家となる朝倉高清から7代後の朝倉広景が越前朝倉を興す。八木氏も越前を… ►続きを読む
旧前川邸
旧前川邸(きゅうまえかわてい) 2008年05月18日訪問 旧前川邸 壬生の町並みで触れたように、浪士組が京に着くと更寉寺、新徳禅寺、壬生村会所、南部亀次郎邸、中村小藤太邸、四出井友太郎邸、八木源之丞邸、浜崎新三郎邸、柳恕軒邸、百姓玖太郎邸、百姓新三郎邸の11軒に分宿している。この宿割には旧前川邸が含まれていないが、八木邸には近藤たち10名が宿泊している。旧前川邸の公式HPでは、浪士組の宿舎を選定するに当たって、市中情勢にも詳しく役人の信頼も厚かった前川本家に任されたとしている。前川本家は油小路六角にあり、御所や所司代の掛屋であった。公金の出納や資金運用の仕事など現在で言うところの金融… ►続きを読む
壬生の町並み
壬生の町並み(みぶのまちなみ) 2008年05月18日訪問 壬生の町並み 民家の屋根に見かけた鍾馗様と仁丹の町名表示板 鳥羽殿跡から再び城南宮を経由し、城南宮道を東に進み、市営地下鉄烏丸線竹田駅に向かう。この間徒歩でほぼ30分近い。この竹田の地は、鳥羽街道、京阪国道、阪神高速8号京都線、近鉄京都線、竹田街道、京阪本線、JR奈良線、伏見街道と南北への移動は容易だが、東西を結ぶ公共交通機関は少ないのでただひたすら歩くしかない。鳥羽殿跡を出たのが15時30分頃だったので、壬生寺を目指して市内に戻ることとしたが、この城南の地にある安楽寿院などの鳥羽殿に関連する史跡を巡ったほうが効率的であったか… ►続きを読む
島原の町並み その2
島原の町並み(しまばらのまちなみ)その2 2008年05月18日訪問 島原 輪違屋 かつての置屋建築を偲ばせる輪違屋と島原に残されている文芸碑に従って、町並みを見ていく。 島原 輪違屋 ■01 輪違屋 輪違屋は、現在も営業している置屋兼お茶屋である。元禄元年(1688)置屋として始まっている。創業当時は養花楼という名称であった。現在の建物は安政4年(1857)に再建されたものであるが、明治4年(1871)に現在の姿となっている。そして明治5年(1872)よりお茶屋を兼業している。かつては芸妓等も抱えていたが 現在は太夫のみを抱え、太夫の教育の場と宴席の場となっている。建物は昭和… ►続きを読む
島原の町並み
島原の町並み(しまばらのまちなみ)その1 2008年05月18日訪問 島原 大門 角屋もてなしの文化美術館から町に出る。現在の島原は、東の大門から西は千本通までの東西約200メートル、北は中央市場青果棟の南側道路から南は正面通南一筋目の道路までの南北約250メートルの範囲となる。島原の中には中之町、上之町、中堂寺町、太夫町、下之町そして揚屋町の6つの町が存在している。 日本の公娼地の始まりは、第3代将軍・足利義満が現在の東洞院通七条下ルに許可した傾城町とされている。それからかなりの時が経ち、角屋の項で触れたように、天正17年(1589)原三郎左衛門らが豊臣秀吉の許可を得て、柳馬場二… ►続きを読む
角屋 その3
角屋(すみや) その3 2008年05月18日訪問 角屋 臥龍松 最後に角屋の1階の座敷を見ていく。玄関を潜り、右手に曲がると入口の奥には右手の網代の間の庭が見える。この小さな坪庭が入口の暗さを救っている。この明るさに引かれて客は建物に上がっていく。角屋 その2で説明したように、客は建物に入ると壁に設けられた刀架けに刀を預けることとなる。そのまま真直ぐ進むと右手に28畳の網代の間が広がる。ここは表棟の1階の部分にあたると思われる。赤壁に大長枌網代組の天井で、棹縁は長さ4間の北山杉の丸太を使用している。床の地板は2間の松の大節木、柱は大木皮付が用いられている。 襖絵は長谷川等雲による「唐… ►続きを読む
角屋 その2
角屋(すみや) その2 2008年05月18日訪問 角屋 玄関の露地 角屋の2階部分は、各部屋毎に異なったテーマのもとに意匠を競う個性的な部屋となっている。これに対して1階には網代の間と松の間の2つの座敷以外は、揚屋を支える機能で満たされている。2階は撮影不可ではあるが、1階では写真撮影が許されている。 角屋 外観全景 角屋 玄関 角屋の建物が国の重要文化財に指定されたのは揚屋建築の遺構であるためである。既に江戸時代後期には衰退しているようで、嘉永6年(1853)に喜田川守貞が著した「守貞謾稿」には、揚屋を下記のように紹介している。 揚屋 あげやと訓ず。京師島… ►続きを読む
角屋
角屋(すみや) その1 2008年05月18日訪問 角屋 外観 渉成園の西門を出て、間之道通を南に下り七条通へ出る。七条河原町通から市バスで島原へ向かう。角屋の2階部分は午前1回、午後2回特別公開される。そのため既に予約しておいた10時30分までに角屋に着かないとならないのだが、乗車するバスを誤ったようで思っていた方向とは違う方に進み始めた。そこで七条堀川で下車しタクシーに乗り換える。かなりバスが来るまで停留所で待ったことも含めて最初からタクシーに乗れば良かったと後悔する。 既に10時30分の回は巡回を始めていたようで、入館料の1000円と特別公開の800円を支払った上で、ロッカーに荷… ►続きを読む
渉成園 その3
渉成園(しょうせいえん)その3 2008年05月18日訪問 渉成園 渉成園は、江戸時代の頃より六条河原院の跡地とされていた。安永9年(1780)に刊行された都名所図会では東殿(東本願寺別館)という名称で、下記のようなことが記されている。東殿〔今いふ百間屋鋪なり〕台命によつて増地を賜り、東本願寺の別館とす。旧此所は河原院の旧蹟にして、池辺の出島に九重塔あり、是則融大臣の古墳なり。〔いにしへ此所に融公の社あり、境内の隣地下寺町万年寺にうつすなりといふ〕池水は東の高瀬川より流れて常に溶々たり、水戸を獅子口といふ。臨池殿の庭は小堀遠州の好なり、風光奇々として真妙なり。 台命とは将軍や三公や皇… ►続きを読む
渉成園 その2
渉成園(しょうせいえん)その2 2008年05月18日訪問 渉成園 漱枕居 渉成園 その1で紹介した他にも東本願寺が作成した「名勝 渉成園-枳殻邸-」の冊子には名物や景物が掲載されているのでそれらをさらに見ていく。■高石垣 西門の正面に南北に続く石垣。石橋のような切石、礎石、石臼などが見られる表情豊かなアイストップとなっている。 渉成園 高石垣 渉成園 高石垣 ■檜垣の燈篭 滴翠軒の東側に置かれた石燈籠。 渉成園 檜垣の燈篭 右手に見える石燈篭 ■亀石井戸 代笠席の南東にある亀の形に石組みされた井戸。甲羅の部分が掘り込まれ中心に井筒が埋められている。 ■獅子吼 印月池… ►続きを読む