柊家 その2
柊家(ひいらぎや) 2008/05/13訪問
今回柊家で宿泊した部屋は、鍵に書かれた名称によると32号室とある。麩屋町通から西方向へ玄関を入り、「来者如歸」の額のかかる間に上がる。そこから北側に伸びる廊下の右手側の部屋であったので、部屋の窓先は麩屋町通に面した塀となる。
板張りの廊下から部屋の開き戸を開けると踏込みとなっている。正面に棚が架けられ、その上に一輪挿しが置かれている。棚の右手上には灯りと開けることのできない装飾として拵えられた窓が付けられている。棚の下には冷蔵庫が置かれ、その上には消毒済みのワイングラスや栓抜きなどが入れられた籠と懐かしい洋酒のミニチュアボトルが置かれている。この部分の腰壁にはスクラッチタイルが貼られているため、華やかさを感じる。床は廊下と同じように使い込まれた板敷き、天井は角材の竿縁天井となっている。踏込みの左手は引き戸になっており、次の間につながる。
次の間の左手側にも開けることのできない窓が設けられている。その上には帽子掛けのようになっているが、この帽子掛けの左端を押さえるように天井から一本の竹の見切り縁が下りてくる。それほど広くはない壁面ではあるが単調にならないようにしている。正面には2つの収納があり、左はクローク、右は寝具入れで、どちらも開き戸となっている。踏込みとの間の引き戸の懐には給茶用の赤い道具箱と確認はしなかったが火鉢のような加熱器の上に鉄瓶が置かれている。天井は竹の竿縁天井であるため、踏込の天井より柔らかさを感じる。照明は天井裏の懐に付けられ、天窓のように見せている。次の間は2畳ほどの狭い部屋であるが、主室との間の欄間や天井そして照明などに意匠が凝らされている。
主室は6畳間で、座卓に座椅子と共に置かれた白い布カバーに覆われた大きな脇息がまず目に留まる。主室の正面は障子が入り、その先には応接セットが置かれている。主室の障子は上に上げると外が見える雪見障子になっている。主室から直接庭にはつながっていないが、そのような雰囲気を感じられるように設えていると考えるべきだろう。
床の間は主室の右手奥に設けられている。畳敷きの床の間には掛け軸が掛けられ、香炉が置かれている。香炉の左には備前焼のように見える花器にお花が生けられている。床の左には障子が入れられている、この裏側は洗面台となっているため、これも意匠的なものである。床の右側には棚があり、現在は液晶テレビが載せられている。この棚には文箱が置かれているので、昔は文机として使われていたと思われる。天井に近い部分を見れば、床の間とこの棚?は一体として作られていることが分かる。この部分は床脇の棚というよりは書院的な扱いとなっている。
主室の左側は障子が付けられ次の間の帽子掛けと同様に竹の押し縁が加えられ、単調な壁ならないように配慮されている。
この主室の天井も複雑な構成となっている。窓側から畳1枚分内側に垂れ壁が作られている。窓側は竹の竿縁天井となっているが、さらに細い竹を横は2本、縦は1本で格子状に組んでいる。窓側に向けて勾配が掛けられている。それ以外の部分は網代天井となっている。中央部に板を渡し、長方形の照明器具を釣っている。垂れ壁のため照明器具のない窓際が暗くならないように、垂れ壁には穴が明けられている。
窓先の部分は絨毯が敷かれている。絨毯には柊家の印が入っている。部屋の鍵、荷物のタグ、手拭などあらゆる場所にこの印を見ることが出来る。このようなデザインの統一はそれ程昔からのことではないと思われるが、ブランドイメージにブレを生じさせないためには重要なことと思う。複数のマークやキャラクターを混在させるとブランドイメージは拡散し、ぼやけたものとなる。その上認知度も下がっていくので、デザイン戦略として重要なポイントでもある。
この部分の天井も凝ったつくりとなっている。杉の磨垂木と思われる竿縁天井に次の間と同じく掘り込み照明が付けられている。およそ60センチーメートル間隔の竿縁だけでは間が抜けてしまうため、削いで作られた竹が装飾的に入れられている。天井は裏板に張られた竹小舞のように見える。平天井ではあるが、この部分は軒庇に見立てている。
窓の外はすぐに塀が建ち、その先は麩屋町通となっている。坪庭には柄杓の置かれた石の手水鉢と灯りのともされたと釣り灯籠と庭に置かれた石灯籠、そして塀の内側には葦簀が釣られている。この葦簀のお蔭で狭い坪庭に僅かながらの奥行きを与えている。塀の右手には外へとつながる木戸が見える。
この部屋は茶室に見立てて作られているということを女将から教えていただいたが、次の間の意匠や主室の天井、この塀に設けられた木戸などを見るとそれが良く分かる。
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