文書と写真・地図による「記憶」の再現

アーカイブ:2009年 6月

京都御苑

 

京都御苑(きょうとぎょえん) 2008/05/13訪問 京都御所 皇后門と西面  京都御所の参観後、京都御苑内を散策しながら、烏丸今出川の方向へ向かう。 京都御苑 西園寺邸跡 京都御苑 西園寺邸跡に建つ白雲神社 もとは邸内にあった社 京都御苑 白雲神社  幕末の京都御所周辺の状況は、国際日本文化研究センターに保管されている文久3年(1863)に作られた内裏圖を見ることで想像できる。この内裏圖の外周部には北に今出川通、南に丸太町通、西に烏丸通、東に寺町通が描かれている。現在の京都御苑の外郭線を収めた図であることが分かる。この地域の大部分の土地が公家の屋敷によって占められていた。京都御所、仙洞御所を除くほぼ全てが、今では想像できないが、大小の区画に分割され公家の邸宅が建てられていた。しかし明治2年(… ►続きを読む

 

京都御所 その2

 

京都御所(きょうとごしょ) 2008/05/13訪問 京都御所 御池庭  京都御所の主だった建物については、その1で記したので、参観順路に従いそれ以外のことを含めて見て行く。参観者は清所門から中に入り、そのまま南に進んだところにある参観者休所で、事前のビデオを見て開始時刻を待つ。 京都御所 宣秋門 京都御所 宣秋門の装飾  参観者休所を出ると右手に宣秋門が現れる。この門は5月15日に行われる葵祭りの際、御所から出発する隊列が通る順路となっていることで有名である。もともと宮家、摂家その他の公卿が参内する時に用いられた門であることから公卿門とも呼ばれている。また檜皮葺き、切妻屋根に四脚門で破風屋根は載っていないが唐御門ともよばれる。この門を親王、摂政関白あるいは老齢の大臣でも牛車で通るためには牛車… ►続きを読む

 

京都御所

 

京都御所(きょうとごしょ) 2008/05/13訪問 京都御所 承明門から紫宸殿を眺める  昼食を終え、再び烏丸丸太町の交差点に戻ったのが13時近かった。仙洞御所の参観と同様、13時20分までに清所門に到着しなければならない。京都御苑の中でも北よりなので、地下鉄烏丸線で1駅先の今出川駅で下車して歩くこととした。烏丸通沿いの乾御門より京都御苑に入り御所の清所門を目指す。 京都御所 月華門から日華門を眺める  元々平安京の皇居は、朝堂院の北東に隣接する内裏であった。内裏の規模は南北300メートル、東西220メートルと少し小さなものであった。当時の内裏の紫宸殿の回廊の南正面にあった承明門の跡は、現在上京区下立売通浄福寺西入南側のあたりと考えられている。現在の承明門と比較するとおよそ西に1700メー… ►続きを読む

 

丸太町十二段家

 

丸太町十二段家 (まるたまちじゅうにだんや) 2008/05/13訪問 丸太町十二段家 丸太町通に面した店の外観  仙洞御所の見学を終え、大宮御所の正門から外に出たのが11時45分。次の京都御所の参観は13時30分から。まだ1時間30分あるので、昼食のため下立売門より京都御苑の外に出る。烏丸通を南に下り、烏丸丸太町の交差点を西に入ったところに丸太町十二段家がある。こちらの店のメニューには元祖お茶漬け と 牛肉のしゃぶしゃぶ、そしてビーフステーキが並べられている。旅館の夕食と朝食は比較的しっかりしたものが出るので、旅先での昼食はそれほど重いものでない方が良いかと思いこの店のお茶漬けを選んだ。もっとも、あまり京都御苑から離れることもできず、料理が出てくるにに時間がかかるのも困るという事情でこちらの… ►続きを読む

 

仙洞御所 その2

 

仙洞御所(せんとうごしょ) 2008/05/13訪問 仙洞御所 南池の洲浜  仙洞御所の北池に続き南池とともにこの庭園を造営させ、おそらく自分の好みに変更させた後水尾上皇と徳川幕府について書いていく。 仙洞御所 八ツ橋と洲浜 仙洞御所 八ツ橋からもみじ橋を眺める  しかし慶長8年(1603)徳川家康が征夷大将軍に任じられ江戸幕府を開くと情勢に変化が出た。徳川幕府は、京都を離れ東の江戸で権力基盤の形成を行った。室町幕府以降秀吉まで政権を京都あるいは大阪に置き朝廷の距離をなるべく近づけていたのに対して、徳川幕府は一定の距離を朝廷との間にとる政策に変更してきた。そして権威の抑制をはかるため、朝廷に対する干渉を強め、官位の叙任権や元号の改元も幕府が握る事となった。 仙洞御所 鷺の森に現れた鷺  一旦は… ►続きを読む

 

仙洞御所

 

仙洞御所(せんとうごしょ) 2008/05/13訪問 仙洞御所 北池  閑院宮邸を出て、京都御苑の中を仙洞御所に向かう。11時からの参観であるため、10分前までに大宮御所の正門に到着しなければならない。閑院宮から大宮御所へは早歩きでも10分以上かかる。正門で出力した参観許可通知を見せると門内の参観者休所に導かれる。こちらでロッカーに荷物を入れ、仙洞御所の紹介ビデオを見ながら参観開始時刻を待つ仕組みになっている。 仙洞御所 北池への潜戸  皇居・桂離宮・修学院離宮・京都御所、そして仙洞御所の参観は事前に宮内庁に申し出なければならない。以前に訪れたときは、往復葉書のみだったが、現在はWeb上からも申し込むことも出来るようになり、便利になっている。参観希望日の3ヶ月前の月の1日午前5時から申し込み… ►続きを読む

 

京都御苑 閑院宮邸

 

京都御苑 閑院宮邸(きょうとぎょえん かんいんのみやてい) 2008/05/13訪問 閑院宮邸 中庭  新島襄旧邸の前の寺町通をそのまま南に下るとすぐに丸太町通に出る。右に曲がり、京都御苑沿いに歩くと富小路口の門が現れる。ここから御苑内に入り、御苑の南西角にある閑院宮邸まで歩く。苑内は砂利敷きとなっているのでなかなか歩きにくい。その上、目標が見えていてもなかなか近づいて行く感触が沸かない。私たちの暮らしている町並みとはスケールが違い、感覚が合わないためだろう。九条池を過ぎ、やっと閑院宮邸の門が見えた。 国際日本文化研究センターに所蔵されている文久3年(1863)に作成された内裏図によると内裏の南西角に閑院宮 家領千石とある。東隣はさらに広い九条殿に面している。 閑院宮邸 東門 閑院宮邸 玄関… ►続きを読む

 

新島襄旧邸

 

新島襄旧邸(にいじまじょうきゅうてい) 2008/05/13訪問 新島襄旧邸  梨木神社の鳥居をくぐり、清和院御門の前の広場に再び出る。寺町通を南下する。右手は京都御苑の清和院駐車場が細長く続く。駐車場のさらに奥は仙洞御所である。単調な景色が続くので、府立鴨沂高等学校の角で左に入り、寺町通の一本東の新烏丸通を南下する。 ところで旧九条殿河原町邸はどこにあったのだろうか?九条殿は、閑院宮とともに御所内の南西にあったが、河原町邸は別のものと思われる。鴨川に架かる丸太町橋の西詰めに、昭和7年(1932)京都鴨沂会が創立60周年を記念して建てた碑が現在も残っている。この碑より、“本邦高校女学校之濫觴”である女紅場址が南西150メートルあたりに存在していたことが分かる。濫觴とは難しい言葉だが物事の起こ… ►続きを読む

 

梨木神社

 

梨木神社(なしのきじんじゃ) 2008/05/13訪問 梨木神社 拝殿  廬山寺から寺町通に出て、南に下るとほどなく京都御苑の清和院御門が現れる。梨木神社の鳥居は清和院御門の手前右手にある。 梨木神社 清和院御門脇の鳥居 梨木神社 二の鳥居  梨木神社の祭神は三條実萬と三條実美の父子である。三條実美を祀る神社ということから明治以降に創建された新しい神社であることが分かる。梨木神社の公式HPによると明治18年(1885)に三條実萬を祭神として旧邸の地名 梨木町にちなみ、現在の地に梨木神社として創建された。三條実美が第二座の祭神として合祀されたのは大正4年(1915)の大正天皇即位式のことだった。 九条尚忠は幕府との協調路線を推進し、公武合体運動の一環として和宮降嫁を積極的に推し進めた人物である。… ►続きを読む

 

廬山寺

 

天台系圓浄宗大本山 廬山寺(ろざんじ) 2008/05/13訪問 廬山寺 源氏庭 中央の石が紫式部邸宅址の碑  ウェスティン都ホテル京都をチェックアウトし、荷物を持って地下鉄東西線蹴上駅へ向かう。京都市役所前で下車し、荷物を駅構内のコインロッカーに入れ、地上に出る。京都市営バスに乗り、3つ目の府立医大病院前で下車する。廬山寺の山門はこの河原町通沿いにはない。一本西側の寺町通にあるため、府立文化芸術会館の角を左に折れると正面に京都御苑への入口と梨木神社の鳥居が見える。寺町通に入り北に200メートルくらい上ると右手に廬山寺の山門が現れる。 廬山寺 南の山門 廬山寺 北の山門 拝観者はこちらから入る  廬山寺は天台系の単立仏教寺院で圓浄宗の本山である。寺号は廬山天台講寺と称する。 廬山寺 大師堂 廬山寺… ►続きを読む

 

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