文書と写真・地図による「記憶」の再現

東福寺 東光寺

東福寺 東光寺 (とうふくじ とうこうじ) 2008年11月22日訪問

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東福寺 東光寺

 天得院の山門を出て臥雲橋から続く南北路を南に下ると、六波羅門と勅使門の手前の右手に東光寺の山門が見える。通常は非公開の塔頭であるが、この11月は公開しているという噂を聞いて訪れたが、どうも公開していないようだったので、庫裏前の路地のみを拝見させていただいた。

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東福寺 東光寺 山門
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東福寺 東光寺 庫裏へ続く路地

 東光寺は、鎌倉時代末期の応長元年(1311)東福寺第7世無為昭元(大智海禅師)によって創建された。
無為昭元は、寛元3年(1245)生まれ、東福寺の開山聖一国師(円爾)の法を嗣ぎ、正安2年(1300)には三聖寺の住持となっていることが分かる。この三聖寺は、弘長元年(1261)頃、覚空によって創立された禅宗寺院で、鎌倉時代には大伽藍を持つ有力寺院であったが次第に衰微し、明治6年(1873)に京都5山の5位に数えられた万寿寺に合併されている。
 安永9年(1780)に刊行された都名所図会には東福寺北門、万寿寺、三聖寺と記された図会が残されている。また寛政11年(1799)に刊行された都林泉名勝図会には下記のような記述がある。
     「北門の内にあり。古天台宗。釈迦阿難迦葉を仏殿に安ず、唐仏なり。」

 この後、万寿寺も明治19年(1886)に東福寺の塔頭となっている。明治14年(1881)に東福寺の仏殿が焼失した際、万寿寺にあった釈迦三尊像を東福寺に移して新しい本尊としているが、本来は三聖寺に安置されていたものであることは上記の都林泉名勝図会からも明らかである。この他にも東福寺境内にある愛染堂と仁王門、万寿寺入口にある鐘楼も三聖寺の建物であった。

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東福寺 東光寺 南庭をのぞく

 話しを再び無為昭元に戻すと、嘉元3年(1305)に東福寺の第7世住持となる。その後、徳治2年(1307)に円覚寺の住持となり、応長元年(1311)に円覚寺を退き相州宝満寺に寓し、ここで示寂している。東福寺塔頭東光寺に埋葬されている。昭元には正中3年(1326)智海の二字を賜る事になっていたが、東福寺第23世住持無徳至孝が大の字を加えるように主張したらしい。後醍醐天皇は、前例の無い三字の諡号に難色を示したが、嘉歴4年(1329)大智海禅師の諡号を賜わっている。

 本尊は室町時代後期とされている文殊菩薩半跏像。同じく方丈に祀られている大智海禅師像は、体部が室町時代の作で、頭部は江戸時代と推測されている。中興開山の古林智教像は江戸時代の作、そして現在の東光寺の寺域にあり廃絶した長慶寺の開山直山和尚像も室町時代の作と考えられている。

 また、今回は一部しか見ることができなかったが、方丈を囲むように東から南に広がる庭園は、美しい苔の上に松や楓等の多くの木々や白砂が配された枯山水庭園となっている。手入れは行き渡っているが、作庭者の強い美意識を表現した庭ではなく、どちらかと言えば天得院の南庭のように、ある程度自然に任せた優しさを感じる庭に仕上がっているようだ。

 hiropi1700のブログ 京都を感じる日々★古今往来part2 に掲載されている東光寺(http://blogs.yahoo.co.jp/hiropi1700/22381005.html : リンク先が無くなりました )は2009年に公開された時に撮影された写真が掲載されていますので、是非参照して下さい。

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東福寺 東光寺

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