文書と写真・地図による「記憶」の再現

アーカイブ:2010年 11月

金戒光明寺 西雲院

 

金戒光明寺 西雲院 (こんかいこうみょじさいうんいん) 2008年11月22日訪問 金戒光明寺西雲院  真如堂から金戒光明寺の境内に入り、御影堂へと続く道の途中に会津藩殉難者墓地がある。道の東側に墓地、そして西側の塀の中が金戒光明寺の塔頭である西雲院の境内となっている。また会津藩殉難者墓地自体も西雲院の墓地の一部である。 西雲院の開山である宗厳は天正3年頃(1575)朝鮮に生まれたとされている。文禄・慶長の役の時に秀吉の家来小野木重勝に捕らえられ、日本に渡っている。その後、蜂須賀正勝(小六)の長男である家政が宗厳を北政所に献上し、北政所の命により滝川雄利の娘の使用人となっている。大変器量の良い娘で北政所にも大層気に入れられていたから宗厳が遣わされたのであろう。また宗厳も娘に良く仕えたが、慶長… ►続きを読む

 

会津藩殉難者墓地 その2

 

会津藩殉難者墓地 (あいづはんじゅんなんしゃぼち) その2 2008年11月22日訪問 会津藩殉難者墓地  真如堂から金戒光明寺の境内につながる道の左側に会津藩殉難者墓地がある。 金戒光明寺にある会津藩殉難者墓地は、坂本龍馬や天誅組の祀られている霊山墓地と違い、訪れる人も疎らで永久の眠りを護る静寂さを常に保っている。前の道は真如堂から金戒光明寺へ抜ける裏道になっているので、ある程度の数の人が行き交っているが、この墓地内で人に出会うことは少ない。恐らく明治維新史に名を留めることのない無名の人々の墓であること、そして旧幕府軍として鳥羽伏見で戦い、敗れ去った人々の慰霊の場であるからかもしれない。同じ旧幕府軍でも壬生寺の新選組との間には大きな差がある。 会津藩殉難者墓地 明治43年(1909)3月に建… ►続きを読む

 

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