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鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 その4



鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 (とばふしみせんぼうちょうじゅなんしゃのはか)その4  2008/12/22訪問

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鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 墓地入口から全景を眺める

 石田孝喜著「幕末京都史跡大辞典」(新人物往来社 2009年刊)には、この墓地の成り立ちついて詳細に記されている。鳥羽伏見の戦いは慶応4年(1868)1月10日に終わり、千両松の戦いで戦死した石川厚狭介を含む長州藩士の24体の遺体は、この地に埋葬され、一名ずつ木の墓標が建てられた。そして明治33年(1900)の33回忌に墓標が現在の石標に替えられ、この時に14名の戦傷病死者が追祀されている。

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鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 墓地入口近くにある石燈籠と石碑

 現在の墓地の構成は、仲恭天皇 九條陵の西側の一段下った敷地上に、石壇を築きその上に石標を並べている。この石壇は北から南に向かって作られ、この石壇の傍らにある2基の石標を加えて、後列には29基が祀られている。この後列の石壇の手前に、2つの石壇が築かれている。そして左の石壇に14基、右の石壇に4基が建てられている。この2列の石壇の手前の北端に小さな石壇が築かれ、2基の石標が南向きに祀られている。この2基の石標の西に長州軍戊辰戦戦没者の功を刻んだ「崇忠之碑」が建てられている。全高約2メートル、石碑の高さ153センチメートル、幅66センチメートル。碑文は草書で刻まれており、藤原芳樹誌とある。2列の石壇の手前には巨大な石燈籠が1基置かれ、その火袋に灯を入れるための踏み台が置かれている。この墓地の南端には、石燈籠と共に鳥羽伏見戦防長殉難者墓と記された石碑が建つ。昭和43年(1968)に京都市によって建立されているが、この年は慶応4年(1868)の100年後にあたる。この石碑と石燈籠の先に2本の四角い断面の門柱が建つ。ここが本来の参道からの入口にあたるようだ。墓参後、この参道を降りていく。皇嘉門院月輪南陵の陵域を護るための石柱を右手に見ながら、日の沈む西の空を眺める。参道を下りきると住宅地の中に出る。丁度、九條陵の参道が敷地の北西角としたら、鳥羽伏見戦防長殉難者之墓の参道は南西角から始まっている。九條陵参道入口には九條陵月輪南陵参道の道標とともに右維新戦役防長藩士之墓道標が建つ。既に民家の敷地なってしまったが、かつて九條陵参道と防長藩士之墓への参道を結ぶ道があったことは、先の「幕末京都史跡大辞典」でも記されている。すなわち、この道標が建つ場所が参道の入口ではなく、右(南)に正しい参道の入口があることを示している。

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鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 参道を下る 右手は皇嘉門院月輪南陵
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鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 墓地への参道入口

 最後に「幕末京都史跡大辞典」より、この墓地に祀られている方々を記しておく。

後列左より
(小さい石で別の石垣の中)
 1 岩国日新隊小者万蔵  正月6日於八幡戦場為銃丸中而死行年19歳

(以下は後列の一つの台座上に並ぶ)
 2 岡崎高槌藤原守正墓
 3 上山讃五郎源忠之墓
 4 吉田順之助源良久墓
 5 十川三郎大江良久墓
 6 石川厚狭介正臣墓   慶応4年戊辰正月5日於淀堤戦死行年22歳
 7 伊藤京次橘秀奇墓
 8 松原善人源義明墓
 9 河上四郎源道正墓
10 黒瀬千代太郎藤原頼近墓
11 植田滝之介清信墓
12 品川喜市源義屯墓
13 河村梅吉
14 多々良正義墓
15 入江隼人源重忠墓
16 山下翠藤原貞政墓
17 原川金蔵源保邦墓
18 後藤深造藤原則正墓
19 宇佐川熊太郎平忠次墓
20 相本岡四郎師継墓
21 原田粂之進義固墓
22 竹田二郎藤原常忠墓
23 小林隼太源義光墓
24 久保直吉源義房墓
25 徳山藩福島男也源正盛墓
26 尾川猪三郎直忠墓
27 三浦竜輔孝之墓
28 片山金治茂定墓
(二列目北端、別石垣内、東向きに低く)
29 長藩干城隊石井範次郎墓(以上28基)

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鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 九條陵参道入口に建つ道標と現在は閉ざされている参道へ続く道 民家の駐車場に変わっていた

(二列目、後列と同じく西面し、左右後を石柱で囲み同じ台座上に並ぶ。北から順に)
30 藤原英次郎足穂舎稔彦墓
31 石川伊三郎義忠墓
32 戸沢竹次郎政勝墓
33 有田彦兵衛忠光墓
34 入江勝馬一義墓
35 石川和三郎勝久墓
36 佐伯鉄之進墓
37 大村清次郎義忠墓
38 十川彦四郎義彰招魂之碣
39 美香房之進正義招魂之碣
40 小須賀逸衛源知良招魂之碣
41 巌佐三郎槌平重敏之墓
42 蘆原田守菅原直諒墓
43 静間彦太郎之墓(以上14基)

(二列目の右の区画。先の区画よりやや離れて一画を成す)
44 原川助右衛門安則招魂之碣
45 宮田半四郎源師人招魂之碣
46 田代三之丞義孝招魂之碣
47 平野光次郎平忠国招魂之碣(以上4基)

(以上二列の全面右方、北隅に南面して建つ)
48 別能仁三郎源義勝招魂之碣
49 小遣好兵衛招魂之碣(以上2基)

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鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 墓地参道から見た西の空

「鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 その4」 の地図





鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 その4 のMarker List

No.名称緯度経度
 鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 34.9742135.7765
  九條陵参道01 34.975135.7753
  九條陵参道02 34.9748135.7755
  九條陵参道03 34.9746135.7758
  九條陵参道04 34.9745135.7763
  九條陵参道05 34.9742135.7766
  鳥羽伏見戦防長殉難者之墓参道01 34.974135.7761
  鳥羽伏見戦防長殉難者之墓参道02 34.9739135.7761
  鳥羽伏見戦防長殉難者之墓参道03 34.9739135.7758
  鳥羽伏見戦防長殉難者之墓参道04 34.974135.7754
  鳥羽伏見戦防長殉難者之墓参道04 34.974135.7751
01  仲恭天皇 九條陵 34.974135.7767
02  崇徳天皇中宮皇嘉門院月輪南陵 34.9744135.7757

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