大徳寺 塔頭 その5
大徳寺 塔頭(だいとくじ たっちゅう)その5 2009年11月29日訪問
東溪宗牧の法孫である第91世徹岫宗九の龍峯院、第93世清菴宗胃の正受院そして第94世天啓宗歅の玉雲軒以降の南派を見てゆく。
黄梅院は、第91世で瑞峯院の開祖となった徹岫宗九の法嗣である第98世春林宗俶が創立した庵居の黄梅庵が前身となっている。黄梅庵の地には、第87世休翁宗萬の塔頭龍福院があったが、宗萬の法嗣の第92世玉堂宗條が寂した永禄4年(1561)以降に後継者を欠いたため、本院である龍源院に寄進されていた。宗俶がこの土地を龍源院から買い取り黄梅庵を創設したのは、黄梅院文書より永禄5年(1562)の12月末と考えられている。永禄7年(1564)の宗俶の寂後に庵を継承したのは、宗俶の法嗣で第112世玉仲宗琇であった。宗俶の25年忌を迎える天正16年(1588)12月を機会に、敷地を広げ、新たな客殿の造立を行なっている。丁度同じ時期に、秀吉は玉仲宗琇を開山として、母大政所のための寿塔天瑞寺を創建していた。この創建に関わっていた小早川隆景は黄梅庵拡張造営を資金面から援助を行い、庫裏造営を寄進している。つまり宗琇は隆景と師檀契約を結んだことにより、黄梅院は小早川家の塔頭所に定められている。
元和年間(1615~24)に法系が続かず、第5世旧嶽宗容御所が第152世籃溪宗瑛に嗣法し、これより大慈院下となる。近世には南派の独住により護持されてきた。
重要文化財に指定されている玄関と本堂は、天正14年(1586)の建立で入母屋造の本瓦葺。大徳寺山内の本堂が、一般的に杮葺であるのに対して、黄梅院の本堂が創建当初より本瓦葺であることは注目に値する。永禄13年(1570)の皇居土御門内裏の修理において、先例を破って紫宸殿の屋根を瓦で葺いている。この修理に織田信長が関係していることから、黄梅院の造営もまた新秩序の建設を意図したものであったのかも知れない。 同じく重要文化財に指定されている庫裏も天正17年(1589)に建立された切妻造の妻入、杮葺の建物である。これらは、玉仲宗琇が整備した黄梅院創建当初の建築だと考えられている。
黄梅院は真中庭を含めて3つの庭がある。
書院南庭の直中庭は、拝観の栞によると利休66歳の時の作庭とされていることから、天正16年(1588)頃の庭となる。天正10年(1582)山崎に待庵の造営を始め、天正13年(1585)禁裏御所において秀吉が正親町天皇に茶を献じ、利休も茶堂として仕えている。そして黄梅庵をひらいた春林宗俶の25年忌を迎え、春林の法嗣である第112世玉仲宗琇が天正16年(1588)12月に敷地を広げ、新客殿を造立している。そのような時期に直中庭は造られたと考えられている。
真中庭は秀吉の希望による軍旗にも使われた瓢箪の形をした池を中心とした池泉回遊式枯山水庭園で、大徳寺第2世徹翁義亨が比叡山より持ち帰ったという不動三尊石、加藤清正が朝鮮との文禄・慶長の役の際に持ち帰ったといわれている朝鮮灯籠などが据えられ、池には伏見城遺構といわれる石橋も架けられている。
方丈南庭は破頭庭と呼ばれ、天正年間(1573~93)に作庭されたものと考えられている。手前に白川砂、その奥は南庭約三分の一の面積に苔地を配し、白砂を海に苔地を陸に見立てている。方形の空間に白砂を敷き詰めただけの禅宗の南庭の古い様式を継承しながら、新たな表現を試みているように見える。方丈西端の檀那の間の正面には、観音菩薩、勢至菩薩を表したともいう大小二石、東端には沙羅双樹が植えられ、釈迦を表したとも言われている。破頭庭を構成する要素は、白砂と苔そして一木二石だけと簡素なものである。限りなく抽象化された空間の持つ清々しさをここに感じる。
方丈の北側に作仏庭と呼ばれる枯山水式庭園がある。北東に組まれた滝口の立石を発した流れは、西と南へ下って行く。そして本堂と庫裏の間に作られた中庭に注ぎ込んだ流れに船に見立てた巨石が配され、やがて南の破頭庭の大海へと注ぎ込んでいる。
黄梅院には、新たに作られた茶室と同名の向春庵と不動軒の寮舎があったことが分かっている。
宝叔宗珍は、黄梅庵を黄梅院に改めた第112世玉仲宗琇の法嗣で、文禄2年(1593)に大徳寺に出世し、天瑞寺二世、黄梅院三世、そして和泉の禅通寺三世などを歴任している。また大徳寺の鐘楼や寝堂及び徳禅寺の客殿を一新するなど、寺観整備に尽力している。
瑞峯院の開祖である第91世徹岫宗九の法孫にあたる第129世天淑宗眼が開山となり、天正19年(1591)に創設された塔頭。あるいは「龍宝摘撮」によると天正年間(1573~92)の創設。大友宗麟の姉の見性院、織田信長の姉の安養院、越後村上藩主の村上義明、義兄の木村重成に属し大坂の陣で討死となった山口弘定等が檀越となっている。大徳寺第152世で大慈院第2世籃溪宗瑛の時、金屋宗知が昭堂を建立し、左京亮が池を穿ち山を築き樹木を植え、石をたたみ廟を造っている。天保元年(1830)に地震で倒壊すると。弘化4年(1847.)に古材を以って縮小して復興し、南派の輪住塔頭として護持されてきた。
本堂前庭にある紫式部碑は、寛政7年(1795)に紫野御所田町の式部の墓(現在の島津製作所紫野工場にある紫式部墓所)の傍らに建立する予定だったものが、故あって大徳寺塔頭碧玉庵に建立されている。明治維新により同庵が廃寺になった際、大慈院に移されたものと伝えられている。また、この時、碧玉庵にあった立花宗茂の位牌や墓、肖像画も当院に引き継がれている。頓庵は、表千家12代惺斎、裏千家の円能斎の監修により建てられた珍しい茶室。
第98世春林宗俶が創立した庵居を整備し、現在の黄梅院の礎を築いた第112世玉仲宗琇は、瑞峯院の開祖である第91世徹岫宗九の法孫にあたる。宗琇が黄梅院の本堂を上棟した天正16年(1588)に、豊臣秀吉が母大政所のために寿塔を創立するため、宗琇を開山に請じたのが天瑞寺である。黄梅院に残る伝えによると、最初天瑞寺は黄梅院の地に建てられる予定であったが、小早川隆景の進言により、総見院西隣の新地に変更されている。そのため黄梅院の地は隆景に与えられ、現在の黄梅院につながっていったとされている。天瑞寺客殿及び庫裏の棟札銘文之写(黄梅院文書)によると、秀吉の弟の大和大納言秀長が作事奉行を務め、天正16年(1588)6月22日に着工し、約5ヵ月後の12月に客殿と庫裏を竣工させている。この天瑞寺建立を契機として、南の高桐院、玉林院、龍光院そして大光院の順に寺域は南と西の両方向へ一層拡張が行なわれている。
天瑞寺が創建されると、病気も快癒した大政所は玉仲宗琇に深く帰依し、秀吉から天瑞寺に300石が寄附されている。大政所(法名:天瑞院春岩)は天正20年(1592)7月22日に聚楽第で逝去すると、五山の僧衆が大徳寺の僧とともに天瑞寺で葬儀を執り行われている。天瑞寺は、始め南派、後に一山の輪住により護持されてきたが、明治7年(1874)に廃寺となる。大徳寺山内において最大の規模であった本堂と客殿は、この時に取り壊されている。ただ本堂の西北にあり、四周を築地で囲んでいた天瑞院霊堂は、明治24年(1891)に瑞光寺(興臨院の寮舎の瑞光院か?)に、そして明治33年(1900)に黄梅院へ移建された後、明治35年(1902)に三渓園に移されている。現在、旧天瑞寺寿塔覆堂として重要文化財に指定されている。
第152世籃溪宗瑛が天正年間(1573~92)に創設した大慈院の子庵。寛永年間(1624~44)に入り、天瑞寺の西に壮麗な堂宇を造り、碧玉庵と号するようになる。これを第182世雪庵宗圭に付与されている。最初の主唱者は京都の金屋宗長の寡婦であったが、後に棚倉藩主、次いで柳河藩主となる立花宗茂が壇越となる。南派独住により護持されてきた準塔頭であった。後山に紫式部碑碣があったとされている。明治維新の塔頭統廃合によって廃寺となったため、宗茂の位牌や墓と共に大慈院へと移されている。
霜筠軒は永禄・元亀年間(1558~73)に第103世和溪宗順が創設した寮舎であった。宗順の法嗣である第124世先甫宗賢が、慶長年間(1596~1615)に会津藩の礎を築いた蒲生氏郷を檀越とし、霜筠軒を改めて昌林院となしている。氏郷の法名は昌林院殿高岩宗忠大居士である。南派独住により継承されてきたが、天保年間(1830~44)に堂宇は破壊し崩倒する。なお蒲生氏郷の墓は小早川隆景とともに黄梅院墓地にある。
第137世松嶽紹長を開祖として、文禄元年(1592)あるいは慶長年間(1596~1615)に飛騨高山藩初代藩主となる金森長近が天瑞寺西に創建している。長近は慶長13年(1608)京都伏見で没し、金龍院に葬られている。長近の死後、養子の金森可重が高山城を居城として飛騨高山藩を統治し3万3000石、次男の長光が上有知藩2万石で統治することとなる。しかし上有知藩主となった長光が慶長16年(1611)に夭折し、継嗣がなかったため上有知藩は廃藩となっている。この時、久昌院は金森家の所領だった河内国金田3000石を化粧地として家康から直々に賜っている。大坂の役の後に三男の重頼に家督を継いだ可重も元和元年(1615)に没している。その後、元和3年(1617)長近の夫人の久昌院の請を受けて、第150世傳叟紹印が住持となり開祖となる。久昌院は長光の実母であり、その夭折後に金龍院を開創したこととなる。
近世には南派の独住となって護持されてきたが、明治に入り廃寺となり、龍源院に統合されている。紫野高校脇に金龍院趾の石標がある。
慶長年間(1596~1615)に、金龍院の北書院として建立され、金森長近の夫人袈裟子の法名久昌院を院号とする塔頭。宝暦年間(1751~64)に廃されている。
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