徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

アーカイブ:2012年 9月 15日

大徳寺 塔頭 その8

 

大徳寺 塔頭(だいとくじ たっちゅう)その8 2009年11月29日訪問 大徳寺 塔頭 三玄院  北派の塔頭その2に引き続き、さらに北派の塔頭について記してゆく。 大徳寺 塔頭 三玄院  三玄院は第111世春屋宗園を開祖とし、石田三成、浅野幸長、森忠政等が檀越となり創建されている。創建年次については、天正14年(1586)や天正年間(1573~92)とする説もあるようだが、京都市の駒札に明記されている天正17年(1589)が一般的な説となっている。創建時の位置は龍翔寺の西隣で大徳寺と龍翔寺の買い取ったことが「大徳寺西之林充状」と「龍翔寺西之林充状」が高桐院文書として残っている。これ… ►続きを読む

 

大徳寺 塔頭 その7

 

大徳寺 塔頭(だいとくじ たっちゅう)その7 2009年11月29日訪問 大徳寺 塔頭 聚光院  北派の塔頭その1に引き続き北派の塔頭について記してゆく。 大徳寺 塔頭 聚光院  聚光院は第107世笑嶺宗訢を開山として永禄9年(1566)三好長慶(法号 聚光院殿前匠作眠室進近大禅定門)の墓所として創建されている。弘治3年(1557)三好元長の菩提を弔うために、第90世大林宗套を開山として迎えて南宗寺を開創した三好長慶は永禄7年(1564)7月4日居城の飯盛山城で病死している。享年43。聚光院の開基は長慶の甥で養子の義継であった。長慶の死後を継いだ義継が若年であったため… ►続きを読む

 

大徳寺 塔頭 その6

 

大徳寺 塔頭(だいとくじ たっちゅう)その6 2009年11月29日訪問 大徳寺 塔頭 大仙院  ここより北派の塔頭について記してゆく。  先にも触れたように、第56世實傳宗眞のもとからは、南派の開祖となる第72世東溪宗牧とともに、北派の古嶽宗亘を輩出している。古嶽宗亘は寛正6年(1456)近江蒲生郡の佐々木氏に生まれている。初めは近江岩間寺(真言宗醍醐派の正法寺)の義済に投じ、ついで建仁寺の塔頭瑞光庵の喜足和尚に師事する。しかし23歳の時、喜足和尚より大灯国師の存在を教わり、五山を出て大徳寺第40世春浦宗熈に参ずる。しかし久しく悟りに至らず、宗熈寂後は如意庵の實傳宗眞に謁し、20年に及… ►続きを読む

 
 

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