京都の神社巡り その5
京都の神社巡り(きょうとのじんじゃめぐり) その5
祭 神: 天津児屋根命 別雷神 倉稲魂神
応神天皇
社 格: 旧村社
所 在: 長岡京市浄土谷宮ノ谷3
柳谷観音へと続く柳谷道の途中、浄土谷から山道を20分ほど上った集落にある神社。「山城名跡巡行志」(「京都叢書 第10巻 山城名跡巡行志 京町鑑」(光彩社 1968年刊行))では、
御谷ノ神社 在所未レ詳有カ云在二浄谷ニ一
今称二五社ト一右鎮守社歟
と既に江戸時代より在所が分からないものの乗願寺横の五社明神を御谷神社と比定している。五社については上記の「山城名跡巡行志」に、伊勢、(上下)加茂、(石清水)八幡、稲荷を産沙ノ神として祀る所とある。
境内に安永4年(1775)建立の伍社大明神と刻された常夜燈が残ることから、明治10年(1878)府庁の通達を以て五社明神を御谷神社としている。
祭 神: 素戔嗚命
社 格: 旧村社
所 在: 南区久世上久世町773-3
「山城名跡巡行志」では、
国中神社 簀原神社 在二乙訓郡一其所不レ詳
と江戸時代には在所不明となっている。現在、綾戸宮と合祀された綾戸宮国中神社を国中神社としている。しかし国中神社は500メートル北側にある光福寺蔵王堂の地にあったと考えられている。このあたりは蔵王の森あるいは春日の森とよばれていた。国中神社が綾戸神社に合祀された時期及びその理由は不明。
祭 神: 向日神 火雷神 玉依姫命 神武天皇
社 格: 旧府社
所 在: 向日市向日町北山65
乙訓坐火雷神社の論社・火雷神社で既述のように向日丘陵の南端に長岡宮址に面して建つ。西国街道に面して石鳥居が立ち、参道は西に三町続く。
向神社と火雷神社とは本来別社であった。「向日社略記」によれば、もともと上下二社に分かれ、現社地は上社で向日神が、下社には火雷神が鎮座していたことが分かる。承久の乱(1221)に火雷神社の神主六人部氏義が天皇方に組して敗れ、その子孫は丹波に隠棲している。建治元年(1275)に旧地に戻ったが社屋は頽廃していたため、向神社の神主の建議により火雷神社を向神社に納めたとされている。
祭 神: 大歳神 石作神 豊玉姫命
社 格: 旧村社
所 在: 西京区大原野灰方町575
灰方の集落の南方、善峰川に近く、灰方から小塩へ向かう道端に鎮座している。本殿は南面し本殿右側には春日、西ノ宮(蛭子神)、稲荷、天満、早尾等の小社が並ぶ。この灰方の地は西部山地を含めて、石作神社でも記したように石作氏によって支配されてきた。石作氏は先ず高地に石作神社を築き、農地を耕すようになると水田の傍らに大歳神社を祀ったと志賀剛は「式内社の研究 第三巻 山城・河内 和泉・摂津」(雄山閣 1977年刊)で推定している。
祭 神: 不詳
社 格: 不詳
所 在: 不詳
「山城志」には下記のようにある。
在所未レ詳或云在二上久世村一
今称二綾戸明神一
「式内社調査報告 第1巻 京・畿内1」(皇學館大學出版部 1979年刊)では、綾戸社であった確証がないため廃絶したと考えている。一方、「式内社の研究」では南区久世大藪町125・127の木下神社を茨田神社と推定している。本社に木花開耶姫を祀り、右に大神宮、左に二社神社がある。元は拝殿の西に聖神社があった。
祭 神: 不詳
社 格: 旧村社
所 在: 西京区大原野石作町586
現在は西京区大原野石作町586に祀られているが、これは昭和28年(1953)に神職と氏子の参詣を考慮して坂本の山王社に合祀したもので、旧地は西京区大原野石作町1639の金蔵寺境内、護摩堂の北側であった。現在、旧地には社殿もなく、間口7.5m奥行6m程の石垣が残されている。
祭 神: 底筒男命 中筒男命 上筒男命
表津少彦命
社 格: 旧村社
所 在: 伏見区羽束師鴨川町368
鴨川村は鴨川と桂川の合流地点の西岸に位置する。北及び西は久我村、南は志水村に接する。住吉大明神神川神社は、鴨川村内の北に位置する。文政年間(1818~30)に神主の古川為猛が著した「住吉社之略記」には、鴨川と桂川が落ち合う瀬であったため度々難船があり、そのため摂津住吉社の御神体を勧請したと記されている。
「山城名勝志」(新修 京都叢書 第7巻 山城名勝志 乾(光彩社 1968年刊)によると、
按村名モ神川ナルヘキヲ土俗鴨川ト云誤ル歟
と、かつては神社名と村名が一致していたことを記している。
また「山城名跡巡行志」には下記のように記されている。
神川神社 在二当村一 今称二雲ノ宮一
当村とは鴨川村のことであり、雲ノ宮と呼ばれる地域に神川神社があったとされている。志賀は「式内社の研究」で、神川神社から200m程度南南東にある神川神社御旅所の碑が建つ鴨川公会堂が元の神川神社があった地と推定している。明治になってから、200m程北の天神堤にあった住吉神社と雲ノ宮にあった神川神社が現在の地に合祀されたとしている。
祭 神: 別雷神 建角身神 玉依比売
社 格: 旧村社
所 在: 伏見区久我森ノ宮町8-1
「山城志」では下記のように記されている。
在二下久我村一 今称二森明神一
又有三花鎭宮在二上久我村一
久我村は鴨川と桂川が合流する付近を北に遡り、久我橋を渡河した辺りに位置する。北は石倉村、南は鴨川・志水・菱川村と境し、西は東土川村に接する。12世紀初めには当地に久我家の別邸久我水閣が営まれている。やがて久我家領久我上下庄が成立し中世を推移して行く。久我神社は上久我と下久我の間の竹林の中に位置していたが、現在では住宅に囲まれている。
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