京都・山城 寺院神社大事典
京都・山城 寺院神社大事典(きょうと・やましろ じいいんじんじゃだいじてん)
ゴールデンウィークの課題として、日頃お世話になっている「京都・山城 寺院神社大事典」(平凡社 1997年刊)について書いてみる。今では京都の寺院や神社の謂れを調べる上で欠かすことの出来な存在となっている。既に刊行して15年近い年数を経っているものの、取り扱っている内容からして記述が古くなる心配も余りない。恐らく新たな歴史上の発見が成されるまでは、その記述を改める必要はないだろう。
凡例でも触れているように、この事典の基は、「日本歴史地名大系」の26巻「京都府の地名」と同27巻「京都市の地名」である。「日本歴史地名大系」の初版が出版されたのが1981年なので、刊行後10年を経て「京都・山城 寺院神社大事典」として纏められたことが分かる。凡例でも「新たな視点で取捨を行うとともに増補し、記述内容もその後の史料発掘と新たな研究の成果を取入れて修正、加筆した」と述べている。この両者を細かく比較していないものの、多くの部分ではほぼ一致している印象が強い。また項目によっては「日本歴史地名大系」を簡潔に纏めているようにも見える。そのため、寺院や神社が立地している場所の歴史や地形的な意味合いを考える上でも「日本歴史地名大系」を参照する機会が今までも多かった。
「京都・山城 寺院神社大事典」が対象としている範囲は、京都市11区、宇治市、城陽市、向日市長岡京市、八幡市、乙訓郡大山崎町、久世郡久御山町、綴喜郡山城町・田辺町・井手町・宇治田原町と相楽郡山城町・木津町・加茂町・笠置町・和束町・精華町・南山城町としている。これは刊行された1997年の行政区であり、この後の2005年には北桑田郡京北町が京都市右京区に編入され、さらに2007年には相楽郡山城町・木津町・加茂町が合併、木津川市が新設されている。京都府における市の新設は昭和52年(1977)の八幡市、平成9年(1997)の京田辺市、平成16年(2004)京丹後市、平成18年(2006)南丹市に続くものである。市制化に伴い地名の変更も行われている。大まかには旧木津町は旧町名を使用せずに大字表記に、旧加茂町の町名は南加茂台を除いて「加茂町○○」に、旧山城町も「山城町○○」と改めている。つまり大事典が編纂された後の町名変更であるため、所在地の表示にも一部修正が必要となる。そして、この後で述べる作業に支障を生じる事となっている。
山城国とは、律令制に基づいて設置された律令国であり、大和国・河内国・和泉国・摂津国とともに畿内5国のひとつでもある。山城国は乙訓郡、葛野郡、愛宕郡、紀伊郡、宇治郡、久世郡、綴喜郡、相楽郡の8郡で構成されている。つまり京都府京都市以南の地域となる。現在の行政区と比較すると、左京区広河原、右京区京北は山陰道丹波国に属すなど、必ずしも一致はしない。大事典では左京区そして右京区の全域をも対象内としたためであろうか、“山城国”ではなく、正確を期すには“京都・山城”という名称になる。
そろそろ本題に入ることとする。「京都・山城 寺院神社大事典」は索引を含めると800頁近くの事典である。その内、最初の36頁が地図、後ろの36頁が索引になっている。索引は総索引と市町村別索引に分かれている。21頁に及ぶ総索引は1頁46行で2段組となっているので、92×21=1932と凡そ1900項目が納められていることが分かる。14頁の市町村別索引は46行3段組なので138×14=1932とほぼ同じ項目数となっている。ただし廃絶した寺院神社で所在地が分からないものは市町村別索引から省略しているとなっている。それ以外にも六地蔵や洛陽七観音など複数箇所に及ぶものも項目として挙げられているので、凡そ10件程度が省略されているようだ。
また、この大事典は現役の寺院神社のみを扱っている訳ではなく、樫原廃寺のように既に失われた施設を多く含んでいる。この索引を見る限り、どの寺院が現存しているかが分からないのが残念な点である。さらに巻頭の地図に寺院神社がプロットされているが、これも全ての現存する施設がプロットされているものではない。どうも総索引でM××という頁がふられた寺院神社が地図に掲載されているようだ。試しに数えてみると572件となった。総索引の項目数の三分の一程度であったことが分かる。
今回この項を書くこととなったのは、「京都・山城 寺院神社大事典」には、一体何箇所の寺院神社が掲載されているのか?そしてそれが地図上でどこにあるのか?この2点の疑問を明らかにすることが、今後効率の良い旅程作成の役に立つのではないかと考えたためでもある。この時点では廃絶したものを含めても1900件近い施設が掲載していると思っていた。しかし43頁から750頁までの本編を見てゆくと、どうも1900件の全てが立項されている訳ではないことも分かった。
本編は大項目、中項目、小項目の三段構成となっている。例えば大項目として450頁で大徳寺を取り上げている。大徳寺が船岡山の北にある臨済宗大徳寺派の総本山であることを説明した後、[草創]、[寺基の確立]、[官刹辞退と寺勢の伸張]、[寺域の拡張と寺領]、[茶人の参禅]、[紫衣事件]、[近世の伽藍整備]、[文化財]の中項目に分けて大徳寺の歴史が説明される。そして最後の中項目の[塔頭]で23塔頭があることを記した上で、龍翔寺、徳禅寺、真珠庵、聚光院、大仙院、高桐院、総見院、黄梅院、三玄院、芳春院、玉林院、龍光院、孤篷庵、龍源院、養徳院の15塔頭に関しては個別説明を行っている。ここで大仙院の説明を行っているため、447頁にある大項目の大仙院では→大徳寺の記述のみとなっている。また総索引でも大仙院の大項目の447頁は省略されて、大徳寺内で大仙院の説明している455頁を見るように指定している。このことから全ての塔頭が取り上げられている訳でないことも分かる。
「京都・山城 寺院神社大事典」では、天龍寺の塔頭の説明として宝厳院を上げるのみである。しかし同じく塔頭の弘源寺も総索引に掲載されている。指定された504頁を探すと、宝永8年(1711)朱印改の際の記録に、弘源院を含む32院が確認できると記述している。しかしここで一緒に記されている禅昌院や妙智院は総索引に掲載されていない。天龍寺の塔頭でも記したように、禅昌院は妙智院に併合され現存しない塔頭であるが、妙智院は放生池の東南に現存している。このあたりの索引の作り方に疑問を感じる。
そういうことで「京都・山城 寺院神社大事典」だけから地図を作成してもこれから見るべきところ網羅しない恐れもあるので、情報の範囲を少し広げることとした。寺院に関しては、納骨堂infoが掲載している京都府の「お寺一覧」を参照し、神社についても京都府神社本庁の「京都府神社紹介」を使用いたしました。寺院で3107件、神社で1580件、総数としては4687件になった。この内、「京都・山城 寺院神社大事典」の範囲(京都市11区、宇治市、城陽市、向日市長岡京市、八幡市、乙訓郡大山崎町、久世郡久御山町、綴喜郡山城町・田辺町・井手町・宇治田原町と相楽郡山城町・木津町・加茂町・笠置町・和束町・精華町・南山城町 1997年時点の名称)に絞り込むと、2580件となる。このデータと「京都・山城 寺院神社大事典」を足し合わせることで新たなデータベースの作成を行う。
「京都・山城 寺院神社大事典」は先の大項目のみを取り上げることとする。総索引では1800件近い項目があったが、大項目のみに絞り込むと、772件となった。この内、154件は現存しない寺院神社であるため、上記現役の2580件に対応するのは618件となる。
「京都・山城 寺院神社大事典」にあって、2580件のデータベースに存在しないものが79件発見できた。その大部分が神社であることから、神社本庁に所属していない神社が多くあったということだろう。以上のことから2580+79=2659件が今回の求めるべき総数となるようだ。
地図上に寺院神社の位置をマーキングするために寺院神社の所在地からジオコーディングを行った。上記のように町村合併等で地名変更が生じたことが影響したのか、東京等で行うマッチングより精度を明らかに欠いている。番地レベルでのマッチングができなかった施設も多くあった。また京都市の中心部のような通り名と町名を併用した所在地ではGoogleMapやYahooMapのジオコーディングには限界がある。そのようなことを考えると、「ジオどす」の試みは非常に面白い。通り名を一般的な町名+番地の住居表示に変更すれば色々な点で効率が図られることは明白である。それでも地名の持つ歴史性を尊重すれば、実に数多くある町名を統合することはできない。やはり覚えることが少なくて済む通り名を捨てることができないのはこのあたりに理由があると思う。何でも世界標準に乗っかる必要はない。是非、多少情報的には不便かもしれないが、現在の町名と通り名を守ってもらいたいものだと部外者は考える。
現存しない154件についても、その推定される所在地を明らかにして地図に加えたいと考えている。それにしても京都市の中心部から離れた地域にも実に多くの寺院神社が存在している。恐らく全てを踏破することは無理であろう。また2000件以上が故事来歴不明の寺院神社であるので、まずは「京都・山城 寺院神社大事典」の772件+αを目指すべきと考える。
赤 :「京都・山城 寺院神社大事典」掲載施設
ピンク:「京都・山城 寺院神社大事典」から追加した施設
「納骨堂info」と「京都府神社本庁」に未掲載
橙 :「納骨堂info」と「京都府神社本庁」のみ掲載
この記事へのコメントはありません。