京都の地図 その2
京都の地図(きょうとのちず)その2
京都の地図では、オリジナルの地図を作ることとなった経緯とフィールド・ミュージアム京都と「京都・山城 寺院神社大事典」(平凡社 1997年刊)を加え、史跡石標・道標と寺院神社のデータベースを作成するところまで説明した。この項ではさらに追加した情報について書いてみる。
「京都観光navi」は京都市産業観光局が運営するサイトで、寺院・神社、観光施設、文化・歴史・自然、年間行事、食事・宿泊・買い物、駒札、催し、伝統行事、コンサート、美術展の10カテゴリーに分類された情報を地図上に表示するシステム。特に駒札は、京都市の建てた駒札の文面をインターネット上で確認することができるため、撮影した写真では判別できない場合、撮り忘れた場合に重宝している。このデータベースも常時更新されているので信頼性も高い。 因みにこのデータベースでは今でも吉田屋跡の駒札を閲覧することが出来る。かつて立命館草創の地の碑と共にあったが、現在はこの地にはないようだ。実際の駒札の方は吉田屋跡が特定できないことからか、撤去ないし移動されたのかもしれない。いずれにしても吉田屋は三本木に実在した料亭であるので、その場所が比定されれば復活するのかもしれない。 データベースには2335件の情報が収納され、各データには世界測地系の緯度経度座標が付加されているため、面倒な変換等の必要はない。これを加えることによって、かなり観光施設についての情報増えたが、これもフィールド・ミュージアム京都と同じく京都市内のデータのみである。
歴史、特に幕末維新の史跡を強化するため、石田孝喜氏による「京都史跡事典」(新人物往来社 1994年刊)と「続京都史跡事典」(新人物往来社 2006年刊)と「幕末京都史跡大事典」(新人物往来社 2009年刊)を加える。この三冊は書籍であるため、データの入力から行わなければならない上に、上記の「京都・山城 寺院神社大事典」と同様に所在地からのジオコーディングが必要となる。
「京都史跡事典」の目次に掲載されている項目は253件。ここから人名や場所を特定できないもの27件を除くと226件となる。同じく「続京都史跡事典」も241件から20件を除いた221件、そして「幕末京都史跡大事典」は283件から31件を除いた252件を地図に加えることとした。
インターネット上で公開されている情報を2つ追加する。一つ目の「京都風光」はMuさんが2006年に開設された個人サイト、2011年に1000項目を達成している。情報件数だけでなく、ひとつの項目に対する掘り下げる深さが他のサイトと比較できない。そのことは、サイト内で上げている参考文献(https://kyotofukoh.jp/link1.html : リンク先が無くなりました )を見れば理解できると思う。特に自らが記しているように、「記述に統一性を持たせる。不明な点は不明とする。時系列の記述に努め、歴史的・時間的な混同・混乱を極力避ける。社伝、寺伝の類いも鵜呑みにしない。史実と伝承を混同しない。神仏混淆、廃仏棄釈、他宗、改宗についても言及する。時々の特定勢力、集団の価値観・視点に与せず、なるべく客観的に記述する。」という視点を維持しながら非常に密度の高い文書と写真を掲載されている点で、見習うべき所の多いサイトです。 神社寺院の件数については、「京都・山城 寺院神社大事典」(平凡社 1997年刊)を遥かに越える。恐らく文献やデータベースなどだけでなく、実際に現地を歩きながら見つけたものも多くあるのではないかと思う。こちらのサイトは、http://everkyoto.web.fc2.com/の下に、report○○○.htmlというファイルが置かれ、これらが一つ一つの寺院や神社となっている。その2、その3というように書き足されることが無いため、1情報は1reportで完結している。すなわちreportの数が情報件数と一致する。ただし、report○○○.htmlの○○○部分の数字が完全な連番ではなく、飛んでいる部分もあるようだ。掲載リストは「カテゴリ」、「五十音索引」、「地域別」、「エリア別の散策コース」に分かれているため、探しやすい構成になっている。しかしその反面、情報総数が把握できない。どうもリストに掲載されていないreportも存在しているように思われる。いずれにしても、その網羅する範囲の広さから訪問すべき範囲の検討に参照させていただきます。
二つ目は、「幕史研(幕末史蹟研究会)」の史蹟調査。2003年に開設されたHPだが現在では更新されていないように思われます。京都市史蹟紹介に掲載されている写真はこの10年間に撮影されたもののようで、場所を特定する上で非常に役に立ちます。情報件数も多く、恐らく複数の文献を参照して作り上げたものと思われる。ただし記述には引用元の記述が無いため、それぞれの信頼性については不明。
現在の京都が平安京の上に建てられたものであることは、誰もが知っている。しかしかつての大内裏がどこにあり、どのくらいの規模であったか?について、その現地で答えることは容易ではない。私たちが毎日使用している道路は拡幅あるいは付替えが行われており、平安京の大路小路とは異なったものになっている。だから千本通が平安京の朱雀大路であったと言われても、ここから朱雀大路を想像することは難しい。また、前述の「フィールド・ミュージアム京都」にも大内裏内の主だった施設に関する石碑がいくつかあり、上記の問いのヒントにはなるだろうが回答にはならない。 京都市埋蔵文化財研究所は、「開発行為により破棄される市内埋蔵文化財の調査を行い、遺跡の保護と研究を通じて、市民の埋蔵文化財に対する保護思想を啓発するとともに、その成果を公開、活用をはかることを目的」として昭和51年(1976)に京都市によって設立されている。初代理事長は村田治郎、所長杉山信三で始まり、後に「日本中世住宅の研究」「禅院の建築」の著者である川上貢も所長を務めている。 同研究所の公式HPには、その設立趣旨に沿うべく各区の遺跡地図が掲載されている。この地図には平安京造営よりもさらに古い縄文時代から近世までの遺跡が表示されている。このデータベースの優れている点は単に場所と範囲を明示しただけでなく、その遺跡について記述している参考文献を明らかにしている点であろう。添付されている説明は詳細なものではないが、更に調べればより一層理解が深まる。 この遺跡情報を新たな地図に加えるのであれば、遺跡詳細図と同様にGoogleMap上に遺跡の範囲を示すことが必要となる。しかし作成に要する時間を考えると不可能に近いため、代表的なポイントにバルーンマーカーを置くに留めた。また、HPには調査報告書、調査概要、そして発掘調査報告などの発掘調査から明らかになったことが、比較的分かりやすく説明されている。学術的な内容ではあるが、京都の歴史の時間的な断面を教えられるものでもある。
江戸時代に入り京都に人が集まると、そういう人向けの名所案内が増えてくる。大正3年(1914)から6年(1917)にかけて、「都名所図会」や「拾遺都名所図会」を始めとした地誌や名所図会を集めた京都叢書が刊行される。京都叢書は昭和前期に「増補」、昭和後期には「新修」、そして平成には「新撰」という言葉を冠し、その収録数を次第に増やしていく。これらの地誌を時系列的に地図上に落とすことが出来れば面白いものになることは明らかであるが、一個人が趣味で行う範囲を明らかに越えている。
そこで昭和になって纏められた竹村俊則の「新撰京都名所図会」と「昭和京都名所図会」の2つの書籍を新たな地図への組み込むこととする。竹村は大正4年(1915)京料理仕出し屋の一人息子として産まれている。幼い頃より郷土に関心を持ち、市立商業実修学校を卒業した後、京都府庁で勤務する。終戦後より郷土史研究家で民俗研究家である田中緑紅に師事し、著述家・郷土史研究家の道を選ぶ。
昭和32年(1957)より月刊誌「東京と京都」に「東山の部」の連載を開始する。翌年に単行本「新撰京都名所図会」として白川書院より出版される。昭和40年(1965)に第6巻と索引(第7巻)が刊行され7年余をかけて完成する。高度成長期前の古きよき京都の姿を文書と鳥瞰図で残した名著である。目次の項目数は2552件、挿絵は433枚に及ぶ。
その後、版元である白川書院が整理されたため、「新撰京都名所図会」は絶版となっている。竹村は書き漏らしたものを補い記述を更新するため、昭和55年(1980)から再び「昭和京都名所図会」の刊行を手がける。第7巻が完結したのは平成元年(1989)のことであった。目次の項目数2054件、挿絵312枚。「昭和京都名所図会」では各巻末に索引を設けたため全7巻構成となっている。この「新撰京都名所図会」と「昭和京都名所図会」によって、20余年を経た2つの時代の京都が保存されることとなった。
なお項目数は、あくまでも目安に過ぎない。上記の項目数は目次の大項目と小項目を足したもので、それ以外にも本文中に多くの小項目が立項されている。つまり目次は大項目と重要な小項目を取り上げたと考えてよいだろう。それでは大項目と小項目を足すと幾つになるか?この質問についての答えは、まだ準備できていない。今回は時間が無かったため、2014年10月の旅行で訪問する範囲でしか数えていないため総項目数がいくつになるかは分かっていない。そのため下記の地図も全項目を網羅できてはいないことをご承知下さい。そういうことで何れかの時に完璧なものにしたいと考えています。
追記(2018年3月7日)
課題であった竹村俊則の新撰京都名所圖會と昭和京都名所圖會について2017年1月に調べました。昭和京都名所圖會から、昭和京都名所圖會 その2、その3まで続きます。興味のある方はご参照下さい。
その他として、本ブログで取り上げたもの、そしてこれから書く予定も一応、地図上に載せておく。
以上のデータをまとめたものが下記の地図である。一見して左京が右京に比べて濃いことが分かる。また鴨川の東岸の東山に多くの訪れるべき見所があることを示している。
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