徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

アーカイブ:2010年 5月 05日

鳥羽殿跡

 

鳥羽殿跡(とばどのあと) 2008年05月18日訪問 鳥羽殿跡 千本通の向こう側に建つマンション群が見える  秋の山のある鳥羽離宮跡公園の南には大きなグランドが現れる。この地の地下には鳥羽離宮南殿の遺構があることを記した京都市の看板がフェンスに掛けられ、鳥羽殿跡の碑が建つ。 鳥羽離宮は12世紀から14世紀頃まで代々の上皇により使用されてきた院御所である。敷地面積約180町(180万平方メートル)には南殿・北殿・泉殿・馬場殿・田中殿などの御所が建設されると、寺院や広大な池を持つ庭園も築かれる。さらに院の近臣をはじめとする貴族から雑人に至る宅地が、鳥羽殿周辺に与えられたため、あたかも新しい都… ►続きを読む

 

秋の山

 

秋の山(あきのやま) 2008年05月18日訪問 秋の山 丘の上に残る鳥羽伏見戦跡碑  小枝橋からつながる城南宮道から30メートルくらい南に鳥羽離宮公園がある。周りの平坦な地形の中で少し盛られたような秋の山と呼ばれる場所がこの公園の北側にある。安永9年(1780)に刊行された都名所図会にも秋山として残されている。     「小枝橋半町ばかり南にして、茶店の向ふなり。鳥羽法皇城南離宮を営給ひし時、四季の風景をつくり、紅葉を多く植させ給ふ所を秋の山といふ、今纔の岡山遺れり」 秋の山  確かに人工的な構築物のように見える。紅葉する木々が植えられたことから秋の山とされていることからも、当時… ►続きを読む

 

小枝橋 その2

 

小枝橋(こえだばし) その2 2008年05月18日訪問 小枝橋 秋の山にある鳥羽伏見の戦勃発の地小枝橋の碑にある地図  前述の野口武彦氏の「鳥羽伏見の戦い」によると、下記のような軍配書に従って1月3日の進軍が行われていたことが分かる。 1 鳥羽街道 竹中丹後守 攻撃当朝鳥羽に出張、東寺に向かひ候こと  秋山下総守歩兵一大隊(第五連隊) 小笠原石見守歩兵一大隊(伝習第一大隊)  谷土佐守 桑名四中隊 松平右近将監(浜田藩) 2 伏見 城和泉守 攻撃前日出張のこと  窪田備前守歩兵一大隊(第十二連隊) 大沢顕一郎歩兵一大隊(第七連隊) 間宮銕太郎 新選組150人 3 二条御城 大久保主膳正… ►続きを読む

 

小枝橋

 

小枝橋(こえだばし) その1 2008年05月18日訪問 小枝橋 旧小枝橋の謂れを記した碑、京道・城南離宮の道標と共に鳥羽伏見戦跡の石碑が建つ  城南宮神苑を出て、東西に走る城南宮堂を西に向かう。左手に駐車場を見ながら西の鳥居を潜ると南北に通る京阪国道が現れる。この四車線の国道を歩道橋で渡りさらに西に進むと、鴨川の土手に突き当たり、道は北に曲がり千本通に合流する。この土手の手前のガードレール脇に旧小枝橋風景図を記した石碑、京道・城南離宮の道標、そして鳥羽伏見戦跡の石碑が建つ。 小枝橋 正面に旧小枝橋が架かり、鳥羽街道は左に折れて納所へと続く  旧小枝橋風景図は、この先の土手に架かっ… ►続きを読む

 
 

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