大田の沢
大田の沢(おおたのさわ) 2008年05月19日訪問
大田神社の鳥居の右手には大田の沢と呼ばれる湿地があり、最盛期は過ぎたが多くの杜若が花を付けていた。この大田の沢は日本三大杜若自生地の一つとされている。Wikipediaによる三大自生地とは、愛知県刈谷市井ヶ谷町にある「小堤西池」、鳥取県岩美町唐川にある「唐川湿原」そして京都府京都市北区にある「大田の沢」とされている。ちなみに小堤西池は昭和13年(1938)、唐川は昭和19年(1944)、そして大田の沢は昭和14年(1939)にそれぞれカキツバタの群生地として国の天然記念物に指定されている。大田の沢にはそれを顕す「天然記念物 大田ノ澤かきつばた群落」の碑が建つ。
その傍らには歴史的風土特別保存地域の碑がある。京都には、醍醐、桃山、東山、山科、上高野、大原、鞍馬、岩倉、西賀茂、御室・衣笠、高雄・愛宕、嵯峨嵐山、桂そして上賀茂松ヶ崎の14の歴史的風土保存区域(8,513.0ha)と24の歴史的風土特別保存地区(2,861.0ha)がある。この上賀茂松ヶ崎保存区域は上賀茂、神山、松ヶ崎の3つの歴史的風土特別保存地区によって構成されている。上賀茂地区は面積37.0haが昭和45年(1970)に指定されている。また、この地域に隣接する社家の町並みは昭和63年(1988)に京都市によって伝統的建造物群保存地区に指定されている。
カキツバタはアヤメ科アヤメ属の植物で、湿地に群生し5月から6月にかけて紫色の花を付ける。この地は、深泥池の項でも触れたように京都盆地とその北側山系の接する線上にあり、この北側の山系に降った雨水が地下水として湧き上がってくる。以前に放映されたNHKスペシャル「アジア古都物語 京都千年の水脈」(2002年6月23日放映)では、京都盆地の地下にある南北33キロメートル、東西11キロメートルで最深部は約800メートルに達する巨大な水甕をCGを用いて説明していた。 この京都水盆と呼ばれる水甕には約211億トンの地下水が蓄えられていると考えられている。その規模は琵琶湖の約275億トンに匹敵する巨大なものである。京都水盆の存在は関西大学環境都市工学部都市システム工学科の楠見晴重教授の研究成果から解明されたものである。
やはり杜若と言えば、在原業平の歌を思い浮かべる。業平が三河国八橋で歌を詠ったことが「伊勢物語」に残されている。
「から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ」
先日、根津美術館で尾形光琳の国宝「燕子花図屏風(http://www.salvastyle.org/menu_japanese/view.cgi?file=korin_iris00&picture=%89%8D%8Eq%89%D4%90%7D%9B%A0%95%97&person=%94%F6%8C%60%8C%F5%97%D4&back=korin_iris : リンク先が無くなりました )」を観覧する機会を得た。これは尾形光琳が40代前半頃に手がけた作品とされている。およそ10年後にメトロポリタン美術館所蔵の「八ツ橋図屏風(http://www.salvastyle.org/menu_japanese/view.cgi?file=korin_bridge00&picture=%94%AA%83c%8B%B4%90%7D%9B%A0%95%97&person=%94%F6%8C%60%8C%F5%97%D4&back=korin_bridge : リンク先が無くなりました )」も描いている。いずれの作品も前述の伊勢物語の八橋の段を描いたものである。2つの作品の違いは湿地に架けられた木橋を描くか、描かないかにある。八ツ橋図屏風は杜若の群生の中を雁行する木橋の直線が緊張感を与えるものの全体的にはこれらの情景を俯瞰した構図となっている。これに対して、燕子花図屏風は木橋の上に立って杜若を眺めているような構図となっているため、目の前に杜若の群生が広がる光景を見るものに与える。一株毎の杜若の描き方は同じように見えるが、これだけの違いを感じさせる。
「燕子花図屏風」の右隻は尾形光琳の作品群を代表するほど有名な絵であるが、左隻を含めた全体像を見ると平面的でグラフィカルな構成の中に遠近感が現れてくることが分る。右隻は大きな4つの群生をリズミカルに表現している。決して平面的で単調な繰り返しに見せていないのは、光琳の画面を構成する力であろう。左隻もやはり4つ位の群生を高さを変えて描き上げている。大きな金地の面に下側から群青の花が現れ、徐々に緑青の茎が見えてくる。そして最後には杜若の全体像が現れて終わる。右隻は杜若の花の位置が直線状に揃った構成だが、左隻は緩やかに左上に放物線が流れていく構図が隠されている。恐らくこの屏風に沿って右から左に歩きながら鑑賞するとこの構図がより強く現れてくるのだろう。残念ながらこの人気の展覧会ではそのような鑑賞方法は困難である。燕子花図屏風の前のガラス面に張り付いて右から左に移っていく人々を遠くから眺めるのは、あまりにも淋しい。そのような人々も閉館直前になると姿を消し、最後の10分間は全体の構成が認識できる位、引いて見ることができた。初めてこの絵が持つ律動感や躍動感が杜若の生命力として現れてくる。杜若を見て感じる生命力は、この絵の印象から来ているのだろうか?あるいは杜若の紫と緑の色彩自体が持つ生命力を光琳が描いているのだろうか?おそらく後者なのであろう。
大田の沢は、平安時代後期から鎌倉時代初期の歌人・藤原俊成が次の歌を詠っている。
「神山や大田の沢のかきつばた ふかきたのみは 色にみゆらむ」
今年も京都新聞に大田の沢の杜若の開花(http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P20100506000057&genre=J1&area=K00 : リンク先が無くなりました )が掲載されていた。
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