徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

アーカイブ:2011年 9月 24日

伏見の町並み その2

 

伏見の町並み(ふしみのまちなみ)その2 2009年1月11日訪問 伏見の町並み 魚屋通の交差点から伏見奉行所跡を眺める 桃山へと続く左手側に上っていく  旧幕府軍の伏見奉行所跡から、新政府軍の本営である御香宮神社に向かう。伏見奉行所跡の石碑が面する通りの名称は分からないが、京町通と本町通の延長すなわち国道24号奈良街道の間の道を北に進む。この道を歩くと実感することは、御香宮神社と伏見奉行所跡との位置関係である。南北に走る魚屋通から大手筋通まで約100メートル程度。この僅かな距離で旧幕府軍と新政府軍が対峙していたことは、実際にこの場所に立たないとなかなか理解できない。そして宇治川に面してい… ►続きを読む

 

伏見奉行所跡 その2

 

伏見奉行所跡(ふしみぶぎょうしょあと)その2 2009年1月11日訪問 伏見奉行所跡  京町通の魚三楼の前を過ぎ、さらに南に進むと、東西に走る魚屋通に出会う。ここで左に折れ、近鉄京都線の高架の下を潜ると目の前に大きな団地が広がる。右に曲がり30メートルくらい進むと、団地の入口の脇に伏見奉行所跡の碑が建つ。ここが慶応4年(1868)1月3日に始まった鳥羽伏見の戦いにおける伏見方面の主戦地となった伏見奉行所の跡地である。 伏見奉行は、江戸以外の幕府直轄領すなわち天領の内で重要な場所に置かれた遠国奉行の一つである。京都町奉行、大坂町奉行、駿府町奉行の各町奉行に対して伏見奉行は長崎奉行、山田奉行… ►続きを読む

 

魚三楼 その2

 

魚三楼(うおさぶろう)その2 2009年1月11日訪問 魚三楼 南側から眺める 左の建物は比較的新しい 右の建物の暖簾の右側の窓格子に銃痕が見られる  東福寺駅前にある仲恭天皇九条陵・崇徳天皇中宮皇嘉門院月輪南陵参道の道標を眺めながら、京福電鉄京阪本線に乗車し、7つ先の伏見桃山駅で下車する。改札口を出ると目の前を大手筋通が東西に走る。通りの名前から分かるように、豊臣秀吉が築城した伏見城の大手門へと続く道とされている。 この道を東に進み、近鉄京都線のガード下に入る手前を右に折れる。この道が京町通であることを示す表示板が立つ。伏見築城の際、桃山の伊達街道と共に城下町で最初に開通した「本通り」… ►続きを読む

 
 

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