アーカイブ:2012年
東福寺 龍吟庵 その5
東福寺 龍吟庵(とうふくじ りゅうぎんあん)その5 2009/11/28訪問 東福寺 龍吟庵 開山堂 偃月橋の手前に掲げられている看板「国宝龍吟庵」の通り、龍吟庵方丈は現存する最古の方丈建築として国宝に指定されている。龍吟庵方丈の基本構成は、南北を軸とした左右対称の建物であり、現在は南庭と西庭そして東庭が配され、方丈北側の軸線上に、昭和50年(1975)開山堂が建設されている。この開山堂、方丈そして表門さらには偃月橋が軸線上に配置されている。単層入母屋造杮葺き屋根を持つ建物で、桁行七間、梁間五間で、桁行正面には両開き双折桟板唐戸、両端の柱間には外部側に蔀戸、内部側には明… ►続きを読む
東福寺 龍吟庵 その4
東福寺 龍吟庵(とうふくじ りゅうぎんあん)その4 2009/11/28訪問 東福寺 龍吟庵 方丈西庭 「龍の庭」 東福寺 龍吟庵 その3では、一条実経が無関普門禅師を東福寺に招いたところまで記した。ここからは亀山上皇と無関普門とのことに記してみる。 東福寺 龍吟庵 方丈西庭 東福寺 龍吟庵 方丈西庭 東福寺 龍吟庵 方丈西庭 弘安の役終結後の正応2年(1289)亀山上皇は離宮禅林寺殿で落飾し、法皇となっている。虎関師錬が記した南禅寺の由来書「文応皇帝外紀」によれば、この当時の離宮には怪異な事が頻繁に生じていた。法皇は、高僧の徳を以って収めるしかないと考え、奈良西… ►続きを読む
東福寺 龍吟庵 その3
東福寺 龍吟庵(とうふくじ りゅうぎんあん)その3 2009/11/28訪問 東福寺 龍吟庵 方丈南庭 「無の庭」 2008年秋に引き続き、2009年も龍吟庵特別拝観のため、東福寺を訪れる。前回と同じように6時発の新幹線で東京を出る。今回はJR京都駅より徒歩ではなく、JR奈良線に乗車し東福寺駅で下車してみた。乗り換えの時間を入れるとほぼ歩くのと変わらないことが確認できた。京都から東福寺までの区間の料金精算に多少の時間を要したが、東福寺へ向かう人々の列に加わり、前へ前へと進む。 東福寺 龍吟庵 偃月橋の先に方丈の屋根が見える 東福寺 龍吟庵 表門 北門から入り霊源院の前の… ►続きを読む
東福寺 塔頭 その6
東福寺 塔頭(とうふくじ たっちゅう)その6 2009/11/28訪問 東福寺 塔頭 東福寺 塔頭 その3で紹介したように、「古寺巡礼 京都 18 東福寺」(淡交社 1977年刊)には、東福寺の塔頭について比較的詳細な説明が記されている。歴代の住持一覧や法嗣を現わす系図等ともに、「東福寺塔頭子院」が掲載されているので、今後の検索の便宜のために活字化しておく。 番号 塔頭名 開 山 名 (赤字は現存する塔頭) 1 安枕軒 香仲見橘 2 怡雲軒 自悦宗懌 4 一枝軒 香仲見橘 5 雲居庵 平田慈均 6 雲興庵 平田慈均 7 永安院 … ►続きを読む
東福寺 塔頭 その5
東福寺 塔頭 (とうふくじ たっちゅう)その5 2009/11/28訪問 東福寺 栗棘庵 山門内 ■18 東光寺 東福寺 東光寺 2008年11月22日撮影 無為昭元の開創による塔頭。無為昭元は寛元3年(1245)京に生まれる。円爾弁円の法を嗣ぎ、博多承天寺、三聖寺、東福寺そして鎌倉円覚寺の住持を務める。応長元年(1311)寂。67歳。諡号は大智海禅師。 ■19 桂昌院 東福寺 桂昌院 2008年12月22日撮影 元亨元年(1321)東福寺第12世双峰国師(宗源)が開創し、後宇多上皇より「万年桂昌精舎」の額寺を賜わる。その後、兵乱のために荒廃したが、幕末の天保年間(183… ►続きを読む
東福寺 塔頭 その4
東福寺 塔頭 (とうふくじ たっちゅう)その4 2009/11/28訪問 東福寺 龍吟庵 ■11 栗棘庵 東福寺 栗棘庵 東福寺 栗棘庵 山門内 永仁2年(1294)東福寺第4世住持、白雲慧暁が開創した塔頭。はじめ西陣白雲村(新町今出川上ル付近)にあったが、応仁の乱後に東福寺山内に移されている。 慧暁は貞応2年(1223)讃岐に生まれている。はじめ比叡山に登り行泉法師より法華玄義を学び、17歳で得度受具する。25歳で泉涌寺に入り開観律師に師事し、律宗の僧侶となる。その後、円爾弁円に参じて禅宗に帰投する。8年間の修行を経て、文永3年(1266)39歳の時に入宋し、瑞巌寺の希… ►続きを読む
東福寺 塔頭 その3
東福寺 塔頭 (とうふくじ たっちゅう)その3 2009/11/28訪問 東福寺 退耕庵 山門内 天龍寺、妙心寺(1,2,3,4,5,6,7)、大徳寺、相国寺そして南禅寺などともに東福寺の塔頭の歴史については、なかなか調べることが困難である。「古寺巡礼 京都 18 東福寺」(淡交社 1977年刊)には、東福寺の塔頭について比較的詳細な説明が記されている。これに従って、東福寺 塔頭と東福寺 塔頭 その2を補っておく。■01 万寿寺 東福寺 万寿寺 2008年12月22日撮影 万寿寺は九条通を隔て、東福寺の境内の最北端に位置する。「京城山万寿禅寺記」によれば、21歳の若さで亡くな… ►続きを読む
東福寺 その7
臨済宗東福寺派大本山 東福寺 (とうふくじ)その7 2009/11/28訪問 東福寺 東福寺 その6で記したように、九条道家は嘉禎2年(1236)に曽祖父の九条忠道や祖父の九条兼実にならい、法性寺山内に釈迦像を安置した仏殿を建立することを思い立っている。これが東福寺の創設とされている。その翌年の嘉禎3年(1237)には摂政と藤原氏長者を辞して、法性寺内の月輪殿のかたわらに光明峰寺を建立し、嘉禎4年(1238)准三宮宣下を固辞し出家している。そして延応元年(1239)には発願した仏殿の上棟式を行なっている。この開山に相応しい名僧を求めていたところ、仁治2年(1241)に宋より帰朝した円… ►続きを読む
東福寺 その6
臨済宗東福寺派大本山 東福寺 (とうふくじ)その6 2009/11/28訪問 東福寺 洗玉澗の紅葉と通天橋 2009年の秋も東福寺から始まる。東京駅を6:00に出る新幹線に乗車すると京都駅に8:11に到着する。今回はJR奈良線に乗り換え、次の東福寺駅で下車する。ここから徒歩で東福寺を目指す。前回の訪問が2008年11月22日であったのに対して、暦の上では1週間程度遅い。紅葉も見頃を迎え、人出も昨年以上のような気がする。 東福寺 北門前の石橋 東福寺については、最初の訪問の時に創設の歴史に少し触れている。それ以来、東福寺 その2で、法性寺から東福寺への移行について、東福寺 その… ►続きを読む
亀山陵
亀山陵(かめやまのみささぎ) 2009年1月12日訪問 亀山陵 亀山陵は、後嵯峨天皇の嵯峨南陵の左側に同じ檜皮葺宝形造の法華堂という形で並ぶ。 大覚寺や妙心寺 その3で同じことを書いてきたが、後嵯峨天皇によって作りだされた両統迭立によって、亀山天皇は最初の大覚寺統の天皇となる。 第90代亀山天皇は建長元年(1249)後嵯峨天皇と中宮藤原姞子との間に第7皇子・恒仁親王として生まれている。正嘉2年(1258)正嘉の飢饉の最中に10歳で立太子。同母兄に第89代後深草天皇となる久仁親王、異母兄に鎌倉幕府第6代将軍に就任する宗尊親王がいる。 亀山陵 亀山陵、嵯峨南陵へと続く門… ►続きを読む
嵯峨南陵
嵯峨南陵(さがのみなみのみささぎ) 2009年1月12日訪問 嵯峨南陵 左:亀山陵 右:嵯峨南陵 史跡名勝天然記念物に指定されている天龍寺の庭園を拝観した後、今年度最後の訪問地に向かう。2008年5月10日、京都駅に降り立ち小雨の泉涌寺に最初に訪れて以来、幸いにも8ヶ月の間に何回か京都に来る機会ができた。その間に少しずつ、一般的には観光名所とはよばれない場所も含めて、訪問箇所が広がってきた。京都の全土を網羅的に見たわけではなく、結局見てきたものを書いている間に、見落とした場所を再度訪問していたことに気が付く。すなわち、書く度に泉涌寺や東福寺の周辺を、また歩いていてしまったというのが素直… ►続きを読む
天龍寺
臨済宗天龍寺派大本山 霊亀山 天龍寺(てんりゅうじ) 2009年1月12日訪問 天龍寺 本坊庭園 曹源池と左に嵐山 右に小倉山 本坊を拝観した後に塔頭の拝観を行なうつもりであったが、宝厳院の拝観時間が早く終わるため、天龍寺本坊を後回しにした。宝厳院から再び法堂まで戻り、庫裏への石段を上って行く。既に16時を大きく回っているため、庭園だけの拝観とする。庫裏には行かず、大方丈東庭の入口から中へ入る。 天龍寺 本坊大方丈と東庭 禅宗寺院の南庭を思わせる構成 天龍寺 本坊東庭 広大な白砂の空間大方丈の大きさが分かる 臨済宗天龍寺派大本山天龍寺の山号である霊亀山は、小倉山の別称の… ►続きを読む
天龍寺 宝厳院
天龍寺 宝厳院(ほうごんいん) 2009年1月12日訪問 天龍寺 宝厳院 中央に龍門滝が見える 法金剛院の五位山と双ヶ岡の連なりを眺めながら、花園駅からJR嵯峨野線に乗車し、2つ先の嵯峨嵐山駅で下車する。駅南口に出て、京福電気鉄道嵐山線の嵐電嵐山駅に進む。駅の直前を西に折れてさらに300メートル程度進むと、京都府道29号宇多野嵐山山田線に突き当たり、その先に天龍寺の総門が現れる。今回は塔頭の宝厳院を先に訪問するため、放生池を右手に見ながら通り過ぎ、法堂の手前を南に入る。そのまま150メートルくらい進むと宝厳院の山門が現れる。 天龍寺 宝厳院 茅葺屋根を載せた長屋門風の山門… ►続きを読む
双ヶ丘
双ヶ丘(ならびがおか) 2009年1月12日訪問 双ヶ丘 法金剛院の山門を潜り出ると、たちまち交通量の多い丸太町通という現実の世界に戻る。横断歩道を渡るとJR山陰本線の花園駅の駅前広場が迎えてくれる。1996年に二条城駅とともに高架化され、駅舎も改められている。ホーム上部には木造構造の屋根が架けられ、街中の駅舎とは思えない特徴的な外観を作り出している。この花園駅から嵯峨野線に乗車し天龍寺に行く予定であるが、次の電車が来るまでにまだ少し時間があるようだ。ちなみに山陰本線のうち京都駅から南丹市の園部駅までの間は嵯峨野線と呼ぶ。花園駅のホームで次の電車を待ちながら、双ヶ丘から仁和寺方向を眺め… ►続きを読む
法金剛院 その2
律宗別格本山 五位山 法金剛院(ほうこんごういん) その2 2009年1月12日訪問 法金剛院 庭園 大治5年(1130)第74代鳥羽天皇の中宮待賢門院は、仁和寺の御堂として復興する。養父で寵愛を受けた白河法皇追善のためであり、この時に寺号を法金剛院と改めている。そして待賢門院は晩年をこの地で過ごす。大治4年(1129)7月24日に白河院が崩御する。同年9月10日、待賢門院は仁和寺御堂を建立するため、候補地の視察を源師時に命じている。師時は中原師能と伴い花園の天安寺を視察する。東西に川が流れ後方に山があり、南は開けているという地形は、御堂の建立地としては最適であると考えるに至る。法金剛… ►続きを読む
法金剛院
律宗別格本山 五位山 法金剛院(ほうこんごういん) 2009年1月12日訪問 法金剛院 山門 妙心寺の南総門を出ると、東側から来た丸太町通が南西に緩やかに曲がって行く。道なりに進むと通りの向こう側にJR山陰本線の高架と花園駅が見えてくる。そのまま南総門から200メートルくらい進んだ右手に法金剛院の山門が現れる。道路幅員が広く、交通量の多い丸太町通に面して、小さく簡素な門が迎えてくれる。山門の左手には、文徳天皇御旧跡 律宗別格本山 法金剛院と記された石柱標識が建つ。 法金剛院 山門脇の碑 法金剛院 境内図 現在の法金剛院の地には、平安時代初期、右大臣清原夏野の山荘が営まれて… ►続きを読む
妙心寺 塔頭 その7
妙心寺 塔頭(みょうしんじ たっちゅう) その7 2009年1月12日訪問 妙心寺 塔頭 仙壽院と衣笠山 2012年1月撮影 玉鳳院と龍泉庵、東海庵、霊雲院、聖澤院の本派四庵以外の43の塔頭を南西、北西、北東、南東そして一条通の北側の5つのエリアに分けて見て行く。 一条通北エリア42金臺寺 慶長13年(1608) 開山 輝岳宗暾 妙心寺131世 開基 正親町天皇 豊臣秀吉43仙壽院 承応 元年(1652) 開山 禿翁妙宏 妙心寺196世 開基 後水尾天皇44多福院 文明14年(1482) 開山 鉄船宗熙45霊光院 天正10年(… ►続きを読む
妙心寺 塔頭 その6
妙心寺 塔頭(みょうしんじ たっちゅう) その6 2009年1月12日訪問 妙心寺 小方丈 玉鳳院と龍泉庵、東海庵、霊雲院、聖澤院の本派四庵以外の43の塔頭を南西、北西、北東、南東そして一条通の北側の5つのエリアに分けて見て行く。 南東エリア31雑華院 天正11年(1583) 開山 一宙東黙 妙心寺79世 開基 牧村利貞32福壽院 元和 5年(1619) 開山 竜天宗登 開基 水野忠清の室(養賢院)33如是院 ? 大愚庵開山 義天玄詔 妙心寺8世 寛正 3年(1462) 中興 直指宗諤 妙心寺51世 … ►続きを読む
妙心寺 塔頭 その5
妙心寺 塔頭(みょうしんじ たっちゅう) その5 2009年1月12日訪問 妙心寺 塔頭 海福院 玉鳳院と龍泉庵、東海庵、霊雲院、聖澤院の本派四庵以外の43の塔頭を南西、北西、北東、南東そして一条通の北側の5つのエリアに分けて見て行く。 北東エリア23光国院 元和 6年(1620) 開山 梁南禅棟 妙心寺100世 開基 松平忠隆24雲祥院 慶長 3年(1598) 開山 海山元珠 妙心寺105世 開基 千坂宗策(亀仙庵)25長慶院 慶長 5年(1600) 開山 東漸宗震 妙心寺71世 開基 木下家定の… ►続きを読む
妙心寺 塔頭 その4
妙心寺 塔頭(みょうしんじ たっちゅう) その4 2009年1月12日訪問 妙心寺 塔頭 隣華院 玉鳳院と龍泉庵、東海庵、霊雲院、聖澤院の本派四庵以外の43の塔頭を南西、北西、北東、南東そして一条通の北側の5つのエリアに分けて見て行く。 北西エリア14大通院 天正14年(1586) 開山 南化玄興 妙心寺58世 開基 一柳直末15春光院 天正18年(1590) 開山 猷山景嘉 妙心寺113世 開基 堀尾吉晴16麟祥院 寛永10年(1633) 開山 碧翁愚完 開基 春日局17智勝院 慶長 2年(159… ►続きを読む