徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

アーカイブ:2015年 1月

京都御苑 九條邸跡 その4

 

京都御苑 九條邸跡(きょうとぎょえん くじょうていあと)その4 2010年1月17日訪問 京都御苑 九條邸跡 拾翠亭 2008年5月17日撮影  安政5年(1858)3月、関白・九条尚忠は老中・堀田正睦に対する勅答草案(第一案)を作成し、3月11日を以って宮中上層部の了承を得た。後は14日に堀田に渡す段取りとなっていた。勅答草案の内容は、既に京都御苑 九條邸跡 その3で書いたように、「何共御返答之被レ遊方無レ之、此上ハ於二関東一可レ有二御勘考一様御頼被レ遊度候事」であり、幕府が望んだとおりの一任であった。 ほぼ決したと思われた3月12日、廷臣八十八卿列参事件が発生する。つまり政治的発言力… ►続きを読む

 

京都御苑 九條邸跡 その3

 

京都御苑 九條邸跡(きょうとぎょえん くじょうていあと)その3 2010年1月17日訪問 京都御苑 九條池と拾翠亭  文政6年(1823)以来30余年関白職にあった鷹司政通も、ついに安政3年(1856)8月8日、左大臣・九条尚忠に明け渡している。それでも内覧の権限を引き続き保持し、太閤の称号を手に入れたことによって、政通にとって大きな権勢の衰退はなかった。しかし安政5年(1858)正月の条約勅許に至り、孝明天皇と決定的な外交方針の違いが明らかになる。2月22日の久しぶりの出仕で自らの考えを主張し、一時は拒絶一色の宮中を幕府一任に覆すも、主上の方針を変更させるには到らなかった。この日の意見… ►続きを読む

 

京都御苑 九條邸跡 その2

 

京都御苑 九條邸跡(きょうとぎょえん くじょうていあと)その2 2010年1月17日訪問 京都御苑 九條邸跡  京都御苑 九條邸跡では、五摂家の成り立ちから幕末期の九条家の当主となった九条尚忠までを書いてきた。ここでは安政5年(1859)正月に行われた条約勅許交渉までの政治の動向について見て行く。 九条尚忠は寛政10年(1798)に左大臣・二条治孝の子として生まれている。実兄の権大納言・九条輔嗣に養育されたが、その輔嗣が文化4年(1807)に24歳で薨去しているので、それ程長い期間ではなかったようだ。 この当時宮中では、文政6年(1823)の就任以来、鷹司政通が関白職にあった。5年から長… ►続きを読む

 

京都御苑 九條邸跡

 

京都御苑 九條邸跡(きょうとぎょえん くじょうていあと) 2010年1月17日訪問 京都御苑 九條邸跡と高倉橋  京都御苑の各所には、その場所の歴史を説明する木標や駒札が設置されている。例えば橋本邸跡は和宮親子親王、中山邸跡も明治天皇が生まれ育った地であるので、木標が建てられているのだろう。五摂家に次ぐ九清華家で木標が建てられているのは、どうやら西園寺邸跡だけのようだ。これは西園寺公望が後に総理大臣になったからなのか?駒札からは以下のようなことが分かる。西園寺家が琵琶の宗家であること、現在の金閣寺の地に別荘北山堂を持ち妙音堂が既に建てられていたこと、この地へは明和6年(1769)に引っ越… ►続きを読む

 

京都御苑 西園寺邸跡

 

京都御苑 西園寺邸跡(きょうとぎょえん さいおんじていあと) 2010年1月17日訪問 京都御苑 西園寺邸跡  五摂家に次ぐ九清華家のひとつである西園寺家の歴史については、既に鎮守社でもある京都御苑 白雲神社において説明している。清華家は源氏の系統に属する久我、広幡と藤原氏の系統である三条(転法輪)、西園寺、徳大寺、花山院、第炊御門、今出川(菊亭)、醍醐に分けることができる。西園寺家は藤原北家閑院流の一門で一条家の家礼であり、三条、徳大寺とは全くの同門となる。つまり太政大臣藤原公季の孫の藤原公実の次男・太政大臣三条実行が初代となったのが三条家で、三男・権中納言西園寺通季を祖とするのが西園… ►続きを読む

 

京都御苑 中山邸跡

 

京都御苑 中山邸跡(きょうとぎょえん なかやまていあと) 2010年1月17日訪問 京都御苑 中山邸跡  年末年始の特集ということで、京都の地図を3回(その2・その3)にわたって書いてみました。GoogleMapやYahooMapなどのオンライン地図は非常に便利ですが、いざオフライン環境で地図を持って歩こうとすると結構大変なことになるという実験になってしまいました。ただもう少し改善する余地はあると思うので、いつかの機会にまた報告してみたい。 さて2014年6月以来書いてきた京都御所と京都御苑について、さらに書き続けて行く。次第に幕末史に触れることが多くなってきたが、最終的には甲子戦争と京… ►続きを読む

 

京都の地図 その3

 

京都の地図(きょうとのちず)その3 京都の地図 Kindle Fire HD上の地図  京都の地図と京都の地図 その2で、地図を作る上で取り扱うデータについて説明した。ここでは実際に地図上に表示するまでのことを書いておく。 本ブログで使用している地図のデータは全てFilemakerで管理している。ただ座標情報を保存するだけならばExcelでも十分だが、写真や説明文などを合わせるならば、リレーショナルを組むことの出来るデータベースを使用する方が二重入力や重複データを防止する上で有効である。データベースの詳細な構造を書くことがこのブログの目的ではないので、簡単な説明に留めておく。テーブルは、… ►続きを読む

 

京都の地図 その2

 

京都の地図(きょうとのちず)その2 京都の地図 「新撰京都名所図会」  京都の地図では、オリジナルの地図を作ることとなった経緯とフィールド・ミュージアム京都と「京都・山城 寺院神社大事典」(平凡社 1997年刊)を加え、史跡石標・道標と寺院神社のデータベースを作成するところまで説明した。この項ではさらに追加した情報について書いてみる。 「京都観光navi」は京都市産業観光局が運営するサイトで、寺院・神社、観光施設、文化・歴史・自然、年間行事、食事・宿泊・買い物、駒札、催し、伝統行事、コンサート、美術展の10カテゴリーに分類された情報を地図上に表示するシステム。特に駒札は、京都市の建てた駒… ►続きを読む

 

京都の地図

 

京都の地図(きょうとのちず) 京都の地図  2015年の最初の更新として、地図について書いてみます。 京都御苑 縣井で少し触れましたが、昨年2014年10月に長期間の休みを頂くことが出来、再び京都を訪れました。2008年5月の休暇に京都へ出かけたことが、このブログを始める契機となりましたが、それ以来の訪問となるため、それなりの準備を2014年4月から行ってきました。京都御所 その7を書いたのが7月6日で、それ以降旅行が終了するまでの3ヶ月間はいろいろな用意のため忙殺されブログの更新を見合わせることとなりました。ここではその間に行ってきたことを少し書いてみます。 京都の地図 本ブログ右… ►続きを読む

 
 

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