アーカイブ:2015年 2月 11日
京都御苑 近衛邸跡(きょうとぎょえん このえていあと)その3 2010年1月17日訪問
京都御苑 近衛邸跡
幕末期に近衛家の当主となったのは第27代の近衛忠煕である。文化5年(1808)に左大臣・近衛基前の子として生まれている。鷹司政通が寛政元年(1789)、九条尚忠が寛政10年(1798)、三条実萬が享和2年(1802)、鷹司輔煕が文化4年(1807)、青蓮院宮が文政7年(1824)、そして孝明天皇が天保2年(1831)に生まれている。つまり忠煕は鷹司政通と九条尚忠の次の世代にあたり、三条実萬や鷹司輔煕とはほぼ同じ頃に生まれ、青蓮院宮と孝明天皇よりは一回り上の世代にあたる。 忠煕は文… ►続きを読む
京都御苑 近衛邸跡(きょうとぎょえん このえていあと)その2 2010年1月17日訪問
京都御苑 近衛邸跡
京都御苑 近衛邸では、平安時代に造営された近衛室町の近衛殿から、上立売新町の近衛殿桜御所、本能寺の変の戦場となった二条新造御所の北隣の近衛前久邸、そして現在の京都御苑東北角にある今出川・近衛邸跡に至る変遷と近衛基実から始まる初期の近衛家について書いてみた。この項では室町時代から戦国時代に至る近衛家の当主達について見てみる。 近衛家第14代当主となった近衛尚通は文明4年(1472)に近衛政家の子として生まれている。文明14年(1482)に元服、当時の室町幕府第9代将軍・足利義尚より… ►続きを読む
京都御苑 近衛邸跡(きょうとぎょえん このえていあと) 2010年1月17日訪問
京都御苑 近衛邸跡
近衛家の幕末の状況を記す前に、九條家に次ぐ五摂家の一つである近衛家の歴史を見て行く。 九条家が藤原北家九条流嫡流で藤原忠通の六男・九条兼実を祖とするのに対して、近衛家は四男の近衛基実が祖となっている。保元3年(1158)近衛基実は藤原忠通に次いで藤氏長者となっているが、これが藤原氏分家出身で最初の長者となるため、近衛家が五摂家の筆頭という扱いになっているようだ。ちなみに九条兼実が長者となるのは文治2年(1186)のことで、基実との間には松殿基房 、近衛基通、松殿師家の名が並ぶ。基実以降… ►続きを読む
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