アーカイブ:2015年 6月 27日
京都御苑 堺町御門(きょうとぎょえん さかいまちごもん)その2 2010年1月17日訪問
京都御苑 堺町御門
堺町御門はかつての公家町を守る九門のひとつで、現在の京都御苑の南側、丸太町通に面して設けられた門である。寺町通と烏丸通の中間に位置する南北路、堺町通の突き当りに御門がある。葵祭や時代祭が御苑から出発する際に潜って行く門としても有名だが、地図で確認すると御所の建礼門の軸線上には御門はない。そのため祭りの隊列は九条池の手前で東に折れて堺町御門に至る。 幕末に於いては、現在のように御苑の入口ではなく西の九条家と東の鷹司家の間を分ける道の中間にあった。
世の中は欲と忠との堺町 東はあ… ►続きを読む
京都御苑 猿ヶ辻(きょうとぎょえん さるがつじ)その4 2010年1月17日訪問
京都御苑 猿ヶ辻
京都御苑 猿ヶ辻 その3の最後で触れたように、6月11日に薩摩藩士の九門出入が自由となっている。町田明広氏は「島津久光=幕末政治の焦点」(講談社選書メチエ 2009年刊)で、薩摩藩の姉小路暗殺に関する嫌疑が冤罪として氷解したためとしている。その理由として、侍従・滋野井公寿と大夫・西四辻公業が姉小路暗殺に関与していたことを上げている。 滋野井は羽林家廷臣で天保14年(1843)、西四辻も羽林家廷臣の天保9年(1838)生まれで、2人とも即今破約攘夷派の若い廷臣である。広沢安任の「鞅掌録」(… ►続きを読む
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