アーカイブ:2015年 12月 27日
大久保利通旧邸(おおくぼとしみちきゅうてい)その3 2010年1月17日訪問
大久保利通旧邸 中央に石薬師中筋が見える西郷の寓居もこのあたりにあったと思われる
大久保利通旧邸 その2では大久保利通が小松帯刀より御花畑邸にあった茶室を譲り受けて、石薬師邸の南庭に移設したところまでを書いてきた。この項では、有待庵の謂れとともに小松の御花畑邸で締結されたとする薩長同盟について調べてみる。 前述のように大久保利武の「有待庵を繞る維新史談」(「尚友ブックレット9 重野安繹『西郷南洲逸話』、大久保利武『有待庵を繞る維新史談』」(芙蓉書房出版 2011年刊) 以後「維新史談」と記す)にも記されてい… ►続きを読む
大久保利通旧邸(おおくぼとしみちきゅうてい)その2 2010年1月17日訪問
大久保利通旧邸 京都市教育会が昭和2年(1927)に建立した石碑
大久保利通旧邸では、大久保利通の幕末維新時の行動を時系列に見て来た。最初の上京が文久2年(1862)1月13日であり、明治元年(1868)9月20日に行われた東京行幸までの6年余の期間が大久保にとっての京都における政治活動の全てであった。この期間の前半は錦小路や二本松の京都薩摩藩で暮らしていたが、後半は藩邸外に邸宅を持ち他藩の藩士特に長州藩士との情報交換に用いたことが分かる。薩長同盟が締結された慶応2年(1866)正月の後となる同年春には、御所… ►続きを読む
大久保利通旧邸(おおくぼとしみちきゅうてい) 2010年1月17日訪問
大久保利通旧邸 右端に寺町通が見える
個人的な話で恐縮ですが、先日PCのハードディスクを壊し画像データを含む全てのデータを一時的に失いました。定期的なバックアップを行っていたので、幸いなことに一応は元の状態に復旧することができました。その後の再発防止策等に時間を要し、中々ブログの更新を行うことがませんでした。そのため、この大久保利通旧邸に関する一連の書き込みが2015年最後の更新になります。
2014年6月に京都御所 その3を書き始めて以来、京都御所 その13まで実に長い期間、京都御所あるいは京都御苑について調べ… ►続きを読む
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