徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

アーカイブ:2017年 3月

天寧寺

 

曹洞宗 万松山 天寧寺(てんねいじ) 2010年1月17日訪問 天寧寺 山門の奥に比叡山が見える  上善寺の墓地への入り方が分からなかったため、残念ながら長州人首塚を果たせず、鞍馬口通に面した上善寺の山門前から寺町通を下った。 御土居建設時、寺町通に沿って寺院が移築されたため、この場所の寺院は寺町通の東側に一列に並ぶ。寺町頭から最初の寺院は曹洞宗の天寧寺である。この寺院は上善寺と同じく、天寧寺門前町として町名となっている。寛永14年(1637)の洛中絵図には既に「天寧前丁」の名を見ることが出来る。さらに宝暦12年(1762)刊行の「京町鑑」では鞍馬口通側を「天寧寺門前町」、寺町通側を「天… ►続きを読む

 

贈 正四位入江九一外七名首塚 その2

 

贈 正四位入江九一外七名首塚(ぞう しょうしいいりえくいちほかななめいくびつか)その2 2010年1月17日訪問 贈 正四位入江九一外七名首塚  贈 正四位入江九一外七名首塚では首塚の主である入江九一の略歴、甲子戦争での最期の状況について越前側の視点も含めて見て来た。ここでは首塚が発見されて碑が建立された経緯を書いてみたい。 長人首塚についての記述は、昭和初年に出版された「京都維新史蹟」と「京都史蹟めぐり」に見ることができるものの、昭和後期の竹村俊則の「昭和京都名所圖會 5洛中」(駸々堂出版 1984年刊)には「長州藩士入江九一外九名の墓がある」という紹介のみである。 「京都維新史蹟」は… ►続きを読む

 

贈 正四位入江九一外七名首塚

 

贈 正四位入江九一外七名首塚(ぞう しょうしいいりえくいちほかななめいくびつか) 2010年1月17日訪問 贈 正四位入江九一外七名首塚 上善寺山門前の碑  上善寺の山門前には3つの碑がある。先ず一番大きな「第一番六地蔵寺」、六地蔵巡りのためのものであろうが鞍馬口通に面する碑文には上善寺の文字が見えない。次に山門の右手の金属製の柵と築地塀の間に建てられている「七番 地蔵尊」。何の七番なのかは不明である。そして左手の柵の手前に建てられた「贈 正四位入江九一外七名首塚」の石碑である。この石碑はフィールド・ミュージアム京都に掲載されていない。この項を書くために調べていて、初めて未掲載石碑であっ… ►続きを読む

 

上善寺

 

浄土宗 千松山遍照院 上善寺(じょうぜんじ) 2010年1月17日訪問 上善寺  出雲路橋の西詰北側の公園にある出雲路鞍馬口の石碑と師範桜碑を確認した後、鞍馬口通を西に進むと、寺町通が鞍馬口通に突き当る先に上善寺の山門が現れる。鞍馬口通から今出川通にかけての寺町通に面した一帯を寺町頭とも呼ぶらしい。これからこの寺町頭の寺院を北側から順番に見てゆくこととなるが、まずは一番北側にある上善寺から訪問する。 上善寺 境内 右手に地蔵堂  寺伝によると、上善寺は貞観5年(863)円仁大師により草創されている。円仁大師は最澄・空海・常暁・円行・恵運・円珍・宗叡とともに入唐八家の一人に数えられる… ►続きを読む

 
 

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