文書と写真・地図による「記憶」の再現

アーカイブ:2017年 6月

宗旦稲荷

 

宗旦稲荷(そうたんいなり) 2010年1月17日訪問 相国寺 宗旦稲荷社  相国寺の経蔵北側の後水尾天皇髪歯塚に続き宗旦稲荷に参拝する。 法堂の東側、塔頭・光源院の向かいに洪音楼とよばれる大きな鐘楼がある。元の鐘楼は天明8年(1788)1月30日の大火で焼失している。「相国寺史稿」(「相国寺史料」(思文閣 1984年刊))によれば寛政元年(1789)4月24日に鐘楼を仮設し鐘を架けたとある。大火から3ヵ月後のことである。相国寺の公式HPに掲載されている鐘楼の説明では、「古鐘を買って仮楼にかけ」とあるので、新しい鐘を鋳造する余裕がなかったのかもしれない。この鐘には「干時寛永六己已季卯月七日」とあるので寛永6年(1629)の造立と考えられている。ただし「古寺巡礼 京都 2 相国寺」(淡交社 19… ►続きを読む

 

後水尾天皇髪歯塚

 

後水尾天皇髪歯塚(ごみずのおてんのうはつしづか) 2010年1月17日訪問 後水尾天皇髪歯塚  東門から相国寺の境内に入り禁門変長州藩殉職者塔に向う途中、経蔵の北側で後水尾天皇の髪歯塚を発見した。。相国寺の公式HPに掲載されている境内図には下記のような説明がある。 後水尾帝歯髪塚後水尾上皇(ごみずのおじょうこう)は、承応二年(1653)に、焼失した大塔を再建され、その時、出家落髪の時の髪と歯を上層柱心に納められましたが、天明八年(1788)の天明の大火で焼失し、その跡地に歯髪塚を建てました。  「相国寺史稿」(「相国寺史料」(思文閣 1984年刊))によれば承応2年(1653)8月18日に、「後水尾上皇、院旨により三層宝塔を再建。この日立柱。」とある。さらに明暦2年(1656)6月16日に宝塔… ►続きを読む

 

相国寺 その4

 

臨済宗相国寺派大本山萬年山 相国承天禅寺(しょうこくじょうてんぜんじ)その4 2010年1月17日訪問 相国寺  相国寺 その3では、その規模と創建当時の伽藍を中心に書いてきた。この項では江戸中期に発生した天明の大火以降の再建の状況と明治維新の上知令が与えた影響について見て行く。 相国寺は創建以来、数度の火災に見舞われ、その度に再興がなされてきた。特に天明8年(1788)1月30日未明、鴨川東側の宮川町団栗辻子の町家から出火した天明の大火の被災は深刻なものであった。御所を始め仙洞御所、摂関家の邸宅から京都所司代そして東西両奉行所までもが悉く焼失した上、当時の京都市街の8割以上が灰燼に帰したとされている。焼失した範囲は、東は河原町・木屋町・大和大路まで、北は上御霊神社・鞍馬口通・今宮御旅所まで… ►続きを読む

 

相国寺 その3

 

臨済宗相国寺派大本山萬年山 相国承天禅寺(しょうこくじょうてんぜんじ)その3 2010年1月17日訪問 相国寺 法堂  相国寺 その2では創建前後の政治的状況を中心に、若き将軍・足利義満と春屋妙葩、義堂周信の関係について見てきた。この項では、相国寺の位置と規模について書いてみる。 まず「古寺巡礼 京都 2 相国寺」(淡交社 1976年刊)の有馬頼底氏著「相国寺とその歴史」を参照する。有馬は久留米藩主有馬家の分家・有馬正頼男爵の次男として昭和8年(1933)東京で生まれている。昭和16年(1941)8歳の時に大分県日田市の岳林寺で得度。昭和30年(1955)相国寺僧堂に入門し、大津櫪堂老師に師事する。昭和43年(1968)相国寺塔頭大光明寺住職を経て、相国寺派教学部長、相国寺承天閣美術館設立時… ►続きを読む

 

相国寺 その2

 

臨済宗相国寺派大本山萬年山 相国承天禅寺(しょうこくじょうてんぜんじ)その2 2010年1月17日訪問 相国寺  相国寺の塔頭・林光院の墓地にある薩摩藩戦死者の墓について調べたら、その2、その3、その4と続き、思った以上の長編になってしまった。次の目的地も相国寺墓地内にある禁門変長州藩殉難者塔であるので、上立売通から相国寺の境内に入る。相国寺は2008年5月の最初の京都訪問以来となる。もともと観光客に対しての公開が少なく、法堂と方丈が春秋の特別公開時、開山堂及び庭園は秋期、浴室も春期のみの拝観となっている。その春秋の特別公開期間も、それぞれ凡そ2ヶ月間程度なので、1年の内の半分以上は非公開ということになる。その上、定期的に公開している塔頭も現在のところないため、京の夏の旅などの非公開文化財の… ►続きを読む

 

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