アーカイブ:2017年
京都府立鴨沂高等学校 その2
京都府立鴨沂高等学校(きょうとふりつおうきんこうとうがっこう)その2 2010年1月17日訪問 鴨沂高等学校 九条家河原町邸の門を移築 京都市教育会が大正4年(1915)に建立した「従是東北 法成寺址」の石碑についての事々を法成寺址 その5において書いてきた。石碑が建てられた後に鴨沂高等学校のグランドを囲むコンクリート製の塀が造られたため、塀には石碑を避けるような半円形の窪みが設けられている。京都ではこのような窪みを多く見掛けるのは昔からの碑を地域の人々が大切に守ってきたからであろう。 この碑の東北には、かつて藤原道長が最後の時を過ごすために建立した法成寺が存在した。そして道長の没後も… ►続きを読む
昭和京都名所圖會 その4
昭和京都名所圖會(しょうわきょうとめいしょずえ)その4 昭和京都名所圖會 地図上へのプロット 昭和京都名所圖會から その2、その3と3回にわたり竹村俊則の経歴と共に「新撰京都名所圖會」全七巻(白川書院 1965年完結)から「昭和京都名所圖會」全七巻(駸々堂出版 1989年完結)までの執筆の経緯を書いてきました。本来、「新撰京都名所圖會」を完結した時点で当初の竹村の目的が完了していたはずでしたが、彼が予想していた以上に社会の変化が激しかったこと、そして自らの手による挿画が時代から取り残されて行ったことが、二度目の執筆に向わせたと思います。その反省があったため、「昭和京都名所圖會」は「新撰… ►続きを読む
昭和京都名所圖會 その3
昭和京都名所圖會(しょうわきょうとめいしょずえ)その3 昭和京都名所圖會 「昭和京都名所圖會 巻一」 洛東-上 今熊野図 竹村俊則画 昭和54年9月このような広域の鳥瞰図も描いている 昭和京都名所圖會 その2では、「新撰京都名所圖會」の完結と白川書院の廃業までを書いてきました。この項では「昭和京都名所圖會」の執筆以降を書いて行こうと思います。 「新撰京都名所圖會」が完結してから6年経た昭和46年(1971)に巻四の第五版が発行されています。この版は第四巻としては新字に改訂してからの最初の刷り増しとなりました。竹村はこの巻のあとがきも全面的に書き換えています。 この巻は巻三の洛中の部の… ►続きを読む
昭和京都名所圖會 その2
昭和京都名所圖會(しょうわきょうとめいしょずえ)その2 昭和京都名所圖會 「昭和京都名所圖會 巻一」 洛東-上 昭和京都名所圖會では、1965年に全7巻で完結した「新撰京都名所圖會」とその後に時代の変化に合わせて改訂出版された「昭和京都名所圖會」を紹介するに留まってしまいました。この項では竹村俊則の経歴を中心に書いて行こうと考えています。 竹村俊則については、なかなか纏まった資料がないように思われる。いろいろな所で見る経歴やエピソードは、自らの著書のあとがきや新聞等のインタビューによるものが多いようです。このあたりを手際良くまとめたのが、板井博彦氏の「竹村俊則と新撰京都名所圖會」(京都… ►続きを読む
昭和京都名所圖會
昭和京都名所圖會(しょうわきょうとめいしょずえ) 昭和京都名所圖會 「新撰京都名所圖會 巻三」 洛中の部1 2016年末から2017年始に向け、竹村俊則の「昭和京都名所圖會」の特集を準備してきました。しかし想像以上に作業に作業時間を要したことにより、2017年1月末更新という何とも格好の悪いこととなりましたが、ここに公開いたします。 竹村俊則については、本ブログでも何回か取り上げていますので、御存知の方も多く居られることと思います。比較的新しいエントリーとして、大久保利通旧邸で、「京の史跡めぐり」(京都新聞社 1987年)を参照しております。明治11年(1878)の大久保暗殺後も大久… ►続きを読む
法成寺址 その5
法成寺址(ほうじょうじあと)その5 2010年1月17日訪問 法成寺址左側は京都府立鴨沂高等学校の運動場 明けましておめでとうございます。2017年最初の更新となります。 昨年は9月頃から”別の作業”が忙しくなり、なかなか更新することが出来なくなりました。その作業も凡そ目途がつき、3月頃には完了する予定です。そうすればもう少し更新頻度も上がると考えておりますのでよろしくお願いいたします。 廬山寺墓地と慶光天皇廬山寺陵(その2、その3、その4、その5)を拝観し、御土居を見学した後、廬山寺の山門より、再び寺町通を100メートルほど南下すると京都府立鴨沂高等学校が現われる。鴨沂高等学校に… ►続きを読む