アーカイブ:2018年 6月
日蓮宗 龍華 具足山 妙顯寺(みょうけんじ)2010年1月17日訪問
妙顕寺 山門
宝鏡寺の特別公開を拝観した後、寺之内通を100メートル程度東に進むと、妙顯寺の山門が現れる。妙顯寺は日蓮宗の大本山、開基は日像である。 日像は文永6年(1269)下総国に生まれている。俗姓は平賀氏で幼名は経一丸。建治元年(1275)日蓮の弟子で兄の日朗に師事し、後に日蓮の弟子となっている。永仁元年(1293)日蓮の遺命を受け、京都での布教を始める。上洛して間もない永仁2年(1294)には、禁裏に向かい上奏する。その後、辻説法を行い造酒屋の柳屋仲興や大覚寺の僧で後に妙顯寺2世となる大覚らの帰依を受ける。し… ►続きを読む
臨済宗単立 西山 宝鏡寺(ほうきょうじ)その2 2010年1月17日訪問
宝鏡寺
宝鏡寺では、鎌倉時代後期から始まった五山制度から京都尼五山の成立、そして無外如大による景愛寺の創建、そして現在に残る大聖寺と宝鏡寺が子院として景愛寺を継承してきたことで終わった。この項では、いよいよ宝鏡寺創建の歴史に入っていく。 異説はあるものの、無外如大開山開基で景愛寺が創建されたのは、宝鏡寺が所蔵する「尼五山景愛寺伝系西山宝鏡寺逓系譜事蹟」から弘安8年(1285)と考えられる。荒川玲子氏の「景愛寺の沿革 ―尼五山研究の一齣―」(「書陵部紀要 通号28」(宮内庁書陵部編1976年刊)によれば、景愛寺の歴… ►続きを読む
臨済宗単立 西山 宝鏡寺(ほうきょうじ)2010年1月17日訪問
宝鏡寺 山門
小川にかかる百々橋跡を西陣側に渡ると、寺之内通の北側に宝鏡寺門跡の山門が現れる。 話しを宝鏡寺の歴史に進める前に、日本における五山制度の形成と尼五山第1位の景愛寺について見て行くこととする。室町時代に京都五山と鎌倉五山が制定されたことは比較的良く知られている。しかし、それ以前にはどのような格式があったかは明らかではない。元々は中国・南宋の寧宗がインドの5精舎10塔所すなわち天竺五精舎の故事に倣ったのが始まりとされている。鎌倉時代後期日本にも禅宗の普及が始まり、正安元年(1299)鎌倉幕府の執権北条貞時が浄智… ►続きを読む
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