文書と写真・地図による「記憶」の再現

アーカイブ:2020年 11月

相生の大杉

 

相生の大杉(あいおいのおおすぎ) 2010年9月18日訪問 相生の大杉 貴船神社 本宮の北参道から再び京都府道361号上黒田貴船線に戻る。料理旅館のひろや、右源太、ひろ文などが道の両側に軒を並べている。北参道から400メートルほど北に進むと貴船神社の結社が道の西側に現れる。貴船神社の御参りは本宮、奥宮、結社の順とされているので、ここは後回しとし先ずは奥宮を目指す。貴船神社の一之鳥居から本宮の間には、梶取社や梅宮社、白石社などの貴船神社の摂社や、石寄大明神や鬼一法眼之古跡、鉄輪掛石、足洒石、蛍岩、そして烏帽子岩などが昔からの名所として点在してきた。貴船神社の地図によれば、本宮からこれから向かう奥宮の間にも相生の大杉、思ひ川、つつみが岩そして鏡岩と雨乞いの滝がある。この内、鏡岩と雨乞いの滝は禁足地と… ►続きを読む

 

貴船神社 本宮 庭園 その3

 

貴船神社 本宮 庭園(きぶねじんじゃ ほんみや ていえん)その3 2010年9月18日訪問 貴船神社 本宮 庭園 天津磐境 中央の椿は船の帆に見立ている 今回訪問した貴船神社本宮庭園「天津磐境」は、昭和36年(1961)の大徳寺瑞峯院庭園「独座庭 閉眠庭」、昭和39年(1970)の東福寺龍吟庵庭園と昭和45年(1970)の同じく霊雲院庭園「九山八海の庭」との間に創られた庭である。瑞峯院や龍吟庵そして霊雲院も禅宗の総本山の塔頭であるため枯山水形式で作庭されている。またこの間に創った地方の寺社や個人邸の庭も枯山水あるいは池泉式のものが大部分であった。しかし、この「天津磐境」だけが同時期の庭に見られない庭園の原初的なイメージを表現している。中田勝康氏の著書「重森三玲 庭園の全貌」(学芸出版社 2009年… ►続きを読む

 

貴船神社 本宮 庭園 その2

 

貴船神社 本宮 庭園(きぶねじんじゃ ほんみや ていえん)その2 2010年9月18日訪問 貴船神社 本宮 庭園 天津磐境 左に駒札が見える 貴船神社 本宮 庭園では天津磐境の作庭家である重森三玲の生い立ちから戦前までの歴史を主に書いてきた。この項では三玲が何故、磐境を貴船神社の境内に作庭したかについて考えてみたい。貴船神社 本宮から貴船神社 本宮 その5まで、いくつかの貴船神社に纏わる創建伝説を書いてきた。この中でも関連すると思われる説話は末社 梶取社でも取り上げたような遡源伝説である。第18代反正天皇の御代に初代神武天皇の皇母・玉依姫命が浪速の津に御出現になり黄色い船で淀川を遡り貴船に至ったという伝説である。貴船神社の公式HP内に掲載されている地図中では、以下のように説明している。 貴船神社創建… ►続きを読む

 

貴船神社 本宮 庭園

 

貴船神社 本宮 庭園(きぶねじんじゃ ほんみや ていえん) 2010年9月18日訪問 貴船神社 本宮 庭園 天津磐境 右は社務所 貴船神社 本宮の北参道を上り中門から境内に入ると、その南の端に社務所が見える。この社務所に向かう手前に、重森三玲が昭和40年(1965)に作庭した石庭「天津磐境」がある。規模も大きくなく水も白砂も使わず、ただいくつかの石と赤い鞍馬石の砂を敷いただけの空間であるため、この場所を庭と思わない人もいるかもしれない。それでも、三玲の作品系譜の上でも異質でありまた重要な庭となった「天津磐境」について調べてみる。 東福寺 本坊 八相の庭 1939年 東福寺 本坊 八相の庭 東福寺 本坊 八相の庭 東福寺 本坊 八相の庭 重森三玲は昭和を代表する作庭家であり、かつ「日本庭園史大系」を著した庭… ►続きを読む

 

貴船神社 本宮 その5

 

貴船神社 本宮(きぶねじんじゃ ほんみや)その5 2010年9月18日訪問 貴船神社 本宮 鈴鹿川にかかる鈴鹿橋 貴船神社 本宮 その4では、現在の貴船神社の空間構成、境外末社と白髭社について、そして二之鳥居から南参道の石段を上るところまでを書いた。ここからは貴船神社の境内の様子を記していく。南参道の石段を上り小振りな中門を潜ると貴船神社の境内が広がる。拝殿と本殿に向かって立つと左側にはカツラの巨樹、さらにその奥には社務所がある。カツラはカツラ科カツラ属の落葉高木で、多くの萌芽枝が生長するため何本も枝分かれ株立ちし巨樹へと育っていく。また伸びた枝が上部で八方に広がる形状は龍が大地から勢いよく立ち昇っていく姿を連想させ、貴船神社の由縁に相応しい神木となっている。この神木と社務所の間には重森三玲作の… ►続きを読む

 

貴船神社 本宮 その4

 

貴船神社 本宮(きぶねじんじゃ ほんみや)その4 2010年9月18日訪問 貴船神社 本宮 拝殿と本殿 貴船神社 本宮 その3では、「上賀茂のもり・やしろ・まつり」(思文閣出版 2006年刊)を参照し室町時代から江戸時代にかけての貴布禰社と賀茂社の紛争を中心に見てきた。平安時代後期(寛仁元年(1017)頃)から800年以上続く関係が一変するのは、維新後の明治4年(1871)5月14日のことであった。この間、幕府や政権が交代しても旧例は事勿れ的に継承され、一度決まった評定を覆すことは実に困難であることを良く示している。この項では現在の貴船神社 本宮の境内の様子を中心に書いてみる。 貴船神社 本宮で書いたように、貴船川の水面よりかなり上った位置に本宮の建物は建設されている。現在、貴船川沿の京都府道36… ►続きを読む

 

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