カテゴリー:洛北
詩仙堂丈山寺
曹洞宗大本山永平寺派 詩仙堂丈山寺 (しせんどうじょうざんじ) 2008年05月20日訪問 詩仙堂 嘯月楼 曼殊院道を西に下り、小川に架かる橋まで進む。ここで南に折れ、清賢院、西圓寺そして圓光寺の前を通り南に下ると、一乗寺下り松と八大神社を結ぶ道に行き当たる。詩仙堂はこの八大神社の西隣である。 詩仙堂は、曹洞宗大本山永平寺派の寺院で、六六山詩仙堂丈山寺 凹凸窠が正式な名称となっている。凹凸窠とは、でこぼこの土地に建てられた住居の意味である。実際に詩仙堂の建物や庭園は、山の斜面に沿って段状に作られている。開基である石川丈山は詩仙の間を含め、建物や庭の10の要… ►続きを読む
曼殊院門跡 その2
天台宗 曼殊院門跡 (まんしゅいんもんぜき) その2 2008年05月20日訪問 曼殊院門跡 鶴島の五葉松 北通用門から庫裡を通り、大玄関に入る。勅使門を潜った賓客は大玄関で迎えられ、唐門を通り書院庭園に入って行ったと思われる。現在の拝観順路は、大玄関から大書院に向けて斜めに架けられた廊下を進むこととなるが、このあたりの印象は弱く、なぜか記憶に残っていない。それだけ、この先に待っている大書院、小書院そして庭園の印象が強かったからであろう。 曼殊院門跡 花の間のある一文字手水鉢 曼殊院門跡 曼殊院門跡 大書院は杮葺寄棟造で、むくりのある屋根を載せた建物。… ►続きを読む
曼殊院門跡
天台宗 曼殊院門跡 (まんしゅいんもんぜき) 2008年05月20日訪問 曼殊院門跡 勅使門 音羽川を挟んで、林丘寺の対岸の道を東に進むと、畑の中に歴史的風土特別保存地区を示す碑が建つ。そのまま坂を登っていくと、関西セミナーハウスとの表示がある。ここを右に折れると、曼殊院天満宮の池泉と曼殊院門跡の間に出る。本来の曼殊院道はさらに一本南を通り、鷺森神社の南側の道となる。 曼殊院門跡 曼殊院天満宮と弁天堂の鳥居 曼殊院門跡 曼殊院天満宮の弁天池 曼殊院の歴史は、延暦年間(728~806)まで遡る。宗祖最澄(伝教大師)は鎮護国家の道場を比叡山に創建している。その後、天暦年間(9… ►続きを読む
修学院・一乗寺の町並み
修学院・一乗寺の町並み (しゅがくいん・いちじょうじのまちなみ) 2008年05月20日訪問 修学院・一乗寺の町並み 畑の中に歴史的風土特別保存地区の石碑が建つ 赤山禅院の鳥居を出て、再び修学院離宮の表総門前、禅華院そして林丘寺の森を見ながら音羽川を南に渡る。そのまま鷺森神社へ向い、境内に入る手前を東に折れ、曼殊院を目指して畑の中の坂道を登って行く。途中で歴史的風土特別保存地区を示す碑を見かける。白川通からわずか500メートル入っただけにも関わらず、長閑な田園風景である。赤山禅院、修学院から曼殊院、詩仙堂がある辺りの地名は修学院と一乗寺となる。 修学院・一乗寺の町並み 修学院離宮と… ►続きを読む
赤山禅院
天台宗比叡山延暦寺別院 赤山禅院 (せきざんぜんいん) 2008年05月20日訪問 赤山禅院 拝殿屋根上にある神使いの猿 修学院離宮の参観を終え、表総門から出て修学院離宮道を西に進む。鷺森神社御旅所の角を右に曲がり、200メートル北に進む赤山大明神の額の掛かる鳥居が現れる。これが天台宗 比叡山延暦寺別院 赤山禅院の境内の入口である。緑が濃く薄暗い参道を歩くと今度は山門が建つ。秋の紅葉の時期には、この参道は真紅に変わる。そのまま東に続く参道を進むと左手が一段高くなり、赤山禅院の諸堂が建つ。 赤山禅院 赤山大明神の扁額のかかる鳥居 赤山禅院 山門 赤山禅院 赤山禅院… ►続きを読む
修学院離宮 その5
修学院離宮 (しゅがくいんりきゅう) その5 2008年05月20日訪問 修学院離宮 上離宮 西浜から千歳橋方向の眺め 背後は比叡山 修学院離宮で撮影した写真が、まだ少し残っていますので掲載します。 修学院離宮 上離宮 西浜から京都の市街地の眺め 修学院離宮 上離宮 中島に架けられた土橋 修学院離宮 上離宮 舟屋と土橋 修学院離宮 上離宮 窮邃亭と千歳橋 修学院離宮 上離宮 隣雲亭 修学院離宮 上離宮 隣雲亭と雄滝からの流れ 修学院離宮 上離宮 浴龍池と万松塢 修学院離宮 上離宮 浴龍池の水門 修学院離宮 修学院離宮… ►続きを読む
修学院離宮 その4
修学院離宮 (しゅがくいんりきゅう) その4 2008年05月20日訪問 修学院離宮 上離宮 千歳橋 一番高台にある隣雲亭の見学の後は、雄滝の方向に下っていく。緑の濃いこの時期、木立の奥にある雄滝の姿ははっきりとは見えないが、轟々とした水音が静かな離宮の中に響く。 そのまま浴龍池の東側を進む。中島と万松塢の間に架かる千歳橋が再び見えてくる。隣雲亭から見える千歳橋は非常に象徴的ではあるが、余りにも中国風なため周りとの調和が成されていないようにも見えた。社団法人土木学会関西支部の公式HP内には橋梁として千歳橋(http://www.civilnet.or.jp/gallery/bridge… ►続きを読む
修学院離宮 その3
修学院離宮 (しゅがくいんりきゅう) その3 2008年05月20日訪問 修学院離宮 上離宮 隣雲亭からの眺め 中離宮を出て、再び松並木を下離宮方向に戻る。上離宮と中離宮の分岐点まで戻り、今度は東に進む。松並木と参道は明治天皇が馬車で移動できるように造られたものであると説明されていた。確かにこの光景は日本の原風景と言うよりは、西洋庭園的な雰囲気を感じさせる。後水尾上皇の時代は普通の畦道を輿などで移動し、御茶屋に入っていたのである、農作業を行っている人もこの畦道を使っているならば、行幸の列とすれ違うこともあったのではないだろうか?それこそが上皇が望んだ田園での清遊であったのだろう。… ►続きを読む
修学院離宮 その2
修学院離宮 (しゅがくいんりきゅう) その2 2008年05月20日訪問 修学院離宮 中離宮につながる松並木から上離宮を眺める 西側に建てられた御幸門の横から、下離宮(下御茶屋)に入り、寿月観とその前庭を参観した後、東側の門より出る。この門の正面から始まる松並木の参道に入ると、直ぐに上離宮と中離宮の分岐点が現れる。右に曲がり南に進むと中離宮の表門が正面に現れる。この表門の中に入ると白砂が敷き詰められた空間が始まる。正面左に南東に向かって緩やかな段が築かれている。これを上ると今度は90度左に折れ、少し勾配のある段が始まる。これも上りきると、再び路は右手に90度曲がり、中門を潜る。ここから… ►続きを読む
修学院離宮
修学院離宮 (しゅがくいんりきゅう) 2008年05月20日訪問 修学院離宮 下離宮 寿月観 禅華院の山門前を通り過ぎ、そのまま北に50メートルほど歩くと修学院離宮参観者の入口となっている表総門が右手に現れる。京都御所や仙洞御所と同様にインターネットによる申し込みを行った。京都御所と仙洞御所が最初の応募で希望日が得えられたのに対して、桂離宮は落選、修学院離宮は数度目でこの日の9時からの参観に入り込むことが出来た。今回の旅行の日数が思わず長くなったのは、この修学院離宮の参観日に依っている。8時40分に表総門を潜り、参観者休所に入り開始時刻を待つ。参観者休所は椅子とロッカーが用意され、離宮… ►続きを読む
禅華院
臨済宗大徳寺派 解脱山 禅華院(ぜんげいん) 2008年05月20日訪問 禅華院 鐘楼門 鷺森神社から、音羽川に出て林丘寺の昔の表総門とその境内を示す林を見た後、修学院離宮拝観のため修学院の総門に向う。やや音羽川の下流に下ると橋が現れ、これを渡ると宮内庁が管理する修学院の敷地が広がる。一見すると普通の農地のようだが、この耕地こそが田園の中に突如現れた修学院離宮を演出する上で最も重要な役割を果たしている。しかしそのことは離宮の中に入らない限り理解できないだろう。それにしてもビニールハウスまで建てて本格的に農業を行っている風景は、ただ単に演出のためということをはるかに越えている。 この右手… ►続きを読む
林丘寺
臨済宗天龍寺派単立 聖明山 林丘寺 (りんきゅうじ) 2008年05月20日訪問 林丘寺 鷺森神社の本殿西側を見ながら北に進むと境内から出て住宅地に入り込む。そのまま道伝いに北に進むと音羽川に行き当たる。対岸にはフェンスで仕切られた修学院離宮の敷地が広がる。 丁度、修学院離宮の中御茶屋のあるあたりに、音羽川に面して門が建てられている。訪問した時間帯には門は閉ざされたままで、その前には作業用の自動車が止まり、人が歩いているのが確認できた。遠くから眺めているため、それ以上のことは分らなかった。どうもこちらが見ていることに気がついていたようで、足を止めてこちらの様子を伺っているようにも感じら… ►続きを読む
鷺森神社
鷺森神社 (さぎもりじんじゃ) 2008年05月20日訪問 鷺森神社 拝殿 祇園新橋からなすありの径を歩き、東大路通に出る。そのまま北に上り、東山三条の交差点を東に曲がると地下鉄東山駅の入口が現れる。ここから東西線で烏丸御池に出て烏丸線に乗り換え、終点の国際会館に向かう。約40分で国際会館のバス停に到着する。京都駅前行きの市営バス5号で5駅目の修学院離宮道で下車する。まだ修学院離宮の集合時間まで間があるため、鷺森神社から林丘寺を経て向かうこととする。 修学院離宮道の停留所のある白川通から修学院離宮道に入り東に進む。音羽川を東に越え、南に折れると鷺森神社の長い参道の端が現れる。 鷺森… ►続きを読む
正伝寺
臨済宗南禅寺派 吉祥山 正伝護国禅寺(しょうでんごこくぜんじ) 2008年05月19日訪問 正伝寺 庭園 山を背にして建つ法雲寺を見上げながら、道を進むと正伝寺の駐車場と山門が現れる。 正伝寺は、臨済宗南禅寺派で諸山の格式を持つ寺院で、山号は吉祥山、正式な寺号は正伝護国禅寺という。北条時宗が鎌倉幕府執権になる文永5年(1268)鎌倉の建長寺で学んだ東巌慧安が、師である兀庵普寧を開山として烏丸今出川に正伝寺を創建している。 慧安は、嘉禄元年(1225)播磨国に生まれ、播磨の書写山圓教寺で出家受戒し、天台教学を学ぶ。泉涌寺で学んだ後、正嘉元年(1257)中国の宋へ渡るため博多へ下ったが、… ►続きを読む
西賀茂の町並み
西賀茂の町並み(にしかものまちなみ) 2008年05月19日訪問 西賀茂の町並み 神光院の参道 緑が濃い 西村家別邸を出て、西賀茂の正伝寺を目指して藤木通を西に進み始める。上賀茂神社の前を通り過ぎ、御薗橋を渡り賀茂川の西岸に入る。川岸より1本西側の道をやや北上し、左折する。大宮小学校の北側を通り抜けると、神光院前の交差点に出る。道路から奥まった参道まで続く樹木の新緑が美しかったので山門の近くまで入っていく。丁度、植木の手入れが入っていた。 西賀茂の町並み 御薗橋から賀茂川を眺める 神光院は真言宗系の単立・別格本山で山号は放光山。真言宗弘法大師の霊場で、東寺、仁和寺と共に京都三弘… ►続きを読む
西村家別邸
西村家別邸(にしむらけべってい) 2008年05月19日訪問 西村家別邸 北庭の全景 上賀茂神社の一の鳥居を出、酒殿橋を渡り、再び社家町に戻る。既に9時30分を廻っているため、西村家別邸の公開が始まっている。 西村家別邸 藤木通に面した門 西村家別邸 門の内側 西村家別邸 門から直線状に露地が続く 西村家別邸 社家の町並みの項で触れたように、社家の建築として梅辻家住宅(https://vinfo06.at.webry.info/201006/article_9.html : リンク先が無くなりました )、岩佐家住宅(https://vinfo06.at.web… ►続きを読む
賀茂別雷神社(上賀茂神社) その2
賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ) その2 2008年05月19日訪問 賀茂別雷神社 楼門 上賀茂神社の一の鳥居、二の鳥居、楼門そして中門は玉垣や回廊を伴いながら4つの神域を作り出している。 一の鳥居を潜ると1番目の神域として一面の明るい芝生広場が広がる。これは下鴨神社の糺の森とは全く対照的な空間となっている。この芝生の中を真白い参道が一直線に二の鳥居へ伸びる。この参道に面して左に神馬舎、右に御所舎の建物が配されている他には、斎王桜、馬出しの桜、むちうちの桜、見返りの桐、御所桜などが植えられている。 賀茂別雷神社 玉橋 賀茂別雷神社 玉橋と片岡橋そして片岡社 賀… ►続きを読む
賀茂別雷神社(上賀茂神社)
賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ) その1 2008年05月19日訪問 賀茂別雷神社 一の鳥居と二の鳥居 社家町の西村家別邸の公開は9時30分から、まだ1時間近くあるので先に上賀茂神社に向かう。藤木通を西に進むと明神川に橋が架かる。府道に架かるコンクリート橋の北側に、小さな石の反り橋があり、その先は朱塗りの玉垣で神域が区切られている。この小さな石橋が酒殿橋で、この先の流れは楢の小川と呼ばれる。さらに玉垣に沿って西に進むと巨大な上賀茂神社の一の鳥居が現れる。 賀茂別雷神社 芝生の中に白い参道が二の鳥居へ延びる 賀茂別雷神社 賀茂別雷神社 上賀茂神社の正式な名称は… ►続きを読む
社家の町並み
社家の町並み(しゃけのまちなみ) 2008年05月19日訪問 社家の町並み 藤木社と楠の大樹 社家の町並み 大田神社 上賀茂の町並みを通る府道103号上賀茂山端線は、大田神社と大田の沢の前から南に進む。約50メートル下り、藤木通に入る。再び西に進むと通りの北側に長屋門が現れる。京都市の建てた駒札によると、上賀茂社家のうち神主筋である賀茂七家の一つ梅辻家である。門には柵が架けられ公開していないようなので、門外からの撮影に留める。 社家の町並み 梅辻家住宅 社家の町並み 梅辻家住宅の駒札(http://www.miyakoweb.net/kanko/annai.php… ►続きを読む
大田の沢
大田の沢(おおたのさわ) 2008年05月19日訪問 大田の沢 杜若の自生 大田神社の鳥居の右手には大田の沢と呼ばれる湿地があり、最盛期は過ぎたが多くの杜若が花を付けていた。この大田の沢は日本三大杜若自生地の一つとされている。Wikipediaによる三大自生地とは、愛知県刈谷市井ヶ谷町にある「小堤西池」、鳥取県岩美町唐川にある「唐川湿原」そして京都府京都市北区にある「大田の沢」とされている。ちなみに小堤西池は昭和13年(1938)、唐川は昭和19年(1944)、そして大田の沢は昭和14年(1939)にそれぞれカキツバタの群生地として国の天然記念物に指定されている。大田の沢にはそれを顕す… ►続きを読む