徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

カテゴリー:京都府

醍醐寺

 

真言宗醍醐派総本山 醍醐寺(だいごじ)  2008/05/11訪問 醍醐寺 五重塔  随心院の総門を出て、前を通る道を南に下る。途中で府道36号大津宇治線を越える。この道は旧奈良街道と呼ばれている。随心院を出てから、およそ20分で醍醐寺の総門に到着した。 醍醐道 醍醐上ノ山町あたりで見かけた竹林 右側斜面の上は大団地になっている 醍醐寺 旧奈良街道沿いの白壁 醍醐寺 境内  真言宗醍醐派総本山で、山号を醍醐山と称する。世界遺産にも登録されている。  貞観16年(874)空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が准胝観音並びに如意輪観音を笠取山頂上に祀ったのが醍醐寺の開山となる。… ►続きを読む

 

随心院

 

真言宗善通寺派大本山 随心院(ずいしんいん)  2008/05/11訪問 随心院 本堂と前庭  勧修寺から次の随心院までは歩いていくことにしていた。勧修寺の前を南北に走る醍醐道に出ると次の交差点まで進む、その後左にまがり、地下鉄小野駅を越えてそのまま東に歩く。地図の上では分からなかったが東に進むにつれてやや上り道となっている。勧修寺を出てほぼ15分で白壁で囲まれた随心院の駐車場に着いた。 随心院 総門 随心院 総門  真言宗善通寺派 隋心院門跡  正暦2年(991)弘法大師より8代目の弟子であり真言宗小野流の祖である仁海僧正が、一条天皇から寺地を下賜されこの地に牛皮山曼荼羅寺… ►続きを読む

 

勧修寺

 

真言宗山階派大本山 勧修寺(かじゅうじ)  2008/05/11訪問 勧修寺 氷室の池と観音堂  京都市営地下鉄東西線の石田駅から東西線にのり2つ先の小野で降り、真西に向かい川を越え5分歩くと醍醐道の先に勧修寺の白い塀が現れる。 勧修寺 参道の白壁 勧修寺 山門  勧修寺は真言宗山階派大本山で、山号を亀甲山と称する。寺名は「かんしゅうじ」「かんじゅじ」などとも読まれるが、寺では「かじゅうじ」と呼んでいる。ただし地名の「勧修寺」の読み方は「かんしゅうじ」である。 勧修寺 右 玄関  左 中門 勧修寺 宸殿  昌泰3年(900)若くして死去した生母藤原胤子の追善のため… ►続きを読む

 

日野の町並み

 

日野の町並み(ひのまちなみ)  2008/05/11訪問 日野の街並み 碑 日野西大道町  日野誕生院より出て、京都市営地下鉄東西線の石田駅まで歩くことにする。日野誕生院の前には京阪バスの停留所があるが2時間に3本という有様なので歩かざるを得ない。もう少し交通の便が良ければ、法界寺を訪れる観光客も増えるのにと思う一方、折角静寂が保たれている境内に観光客が溢れかえるのもという気もする。  法界寺の前を起点としている府道127号日野薬師線を約100メートル北に進むと日野自治会公会堂のある交差点が現れる。この場所には、「右ひのやくし 是より六丁」と「親鸞聖人日野誕生院」の2つの碑と鴨長明方丈石… ►続きを読む

 

日野誕生院

 

浄土真宗本願寺派 日野誕生院(ひのたんじょういん)  2008/05/11訪問 日野誕生院  法界寺の山門を出て、東に進むとすぐに法界寺の築地塀が終わる。その先は誕生院保育園のアコーディオン門扉が続く。そのおかげで中の様子が良く分かった。保育園の園庭の一角、法界寺の池泉を背にした場所に、小さな基壇と塀そして門が築かれ、誕生院のえな塚と産湯井がその中に納められている。この地は浄土真宗の宗祖 親鸞聖人の生誕地であり、えな塚と産湯井は聖人誕生の遺蹟として護られている。 日野誕生院 えな塚と産湯井 右は法界寺の阿弥陀堂と薬師堂の屋根 日野誕生院 法界寺薬師堂と保育園  えなとは胞衣と… ►続きを読む

 

法界寺

 

真言宗醍醐寺派 法界寺(ほうかいじ)  2008/05/11訪問 法界寺 阿弥陀堂  萬福寺から再び京阪電鉄黄檗駅に戻り、宇治線で2つ目の六地蔵で降りる。ここから法界寺まではかなり離れているのでタクシーを使うこととした。15分ほどで山門前に到着した。 法界寺 山門 法界寺 ひのやくしの碑  法界寺は醍醐寺の南方、宇治市の境界に近く、現在の行政区分では京都市伏見区日野にある。古くから山城国宇治郡日野と呼ばれ、方丈記の著者である鴨長明が晩年に庵を結んだ場所でもある。また日野は浄土真宗の宗祖 親鸞聖人の生誕地でもある。そのため法界寺の隣地には日野別院(現在の日野誕生院)が文化年間(… ►続きを読む

 

萬福寺

 

黄檗宗大本山 萬福寺(まんぷくじ)  2008/05/11訪問 萬福寺 法堂より大雄宝殿をのぞむ  京阪電鉄宇治駅から宇治線に乗り、2つ目の黄檗で下車する。京都府道7号線を渡り、住宅街の中を東へ入るとすぐに萬福寺の特徴的な赤い総門の前に出る。 萬福寺 府道7号線で見かけた道標 萬福寺 総門 萬福寺 総門の額  この門は牌楼と呼ばれる、中央の屋根を高くし左右を一段低くした中国門の様式を踏襲している。横浜中華街などで見かける門と同じ様式らしいが、屋根の大きさが違うためかかなり印象が異なる。門に架けられた額には「第一義」と書かれている。第5代高泉住持の書ということだ。 萬… ►続きを読む

 

宇治の町並み

 

宇治の町並み(うじのまちなみ)  2008/05/11訪問 宇治 お茶屋さんの看板  平等院を後にし、再び平等院表参道を宇治橋の方向へ戻る。橋の西詰めで府道15号を西に入る。ほどなくすると左手に長屋門が現れる。上林記念館 お茶の博物館である。残念ながら見学する時間もないので、今回は外側から見るだけとした。再び宇治橋を渡り、京阪電鉄宇治駅に至る。 宇治 あがた通のお茶屋さん 宇治 平等院表参道 宇治 平等院表参道  菟道稚郎子の離宮である桐原日桁宮や摂政藤原道長の宇治殿に代表されるように、宇治には早い時期から離宮あるいは別業が造られてきた。それだけ風光明媚、交通の要所であ… ►続きを読む

 

平等院

 

平等院(びょうどういん)  2008/05/11訪問 平等院 鳳凰堂  宇治上神社を後にして、さわらびの道を下っていくと川岸の道に出る。放生院の前を過ぎ、さらに進むと宇治橋の東詰めに至る。再度宇治橋に渡り、今度はあがた通ではなく、平等院表参道に入っていく。朝も9時を過ぎたので、両側の商店も店を開き始めている。そのまま商店街を直進すると突き当たりがやや広くなり右側に平等院と書かれた石碑が建っている。 平等院 表参道の先の入口  平安京が築かれた後、宇治には天皇の離宮や貴族の別業が多く造られてきた。これは宇治が嵯峨・白河・鳥羽などと並んで風光明媚な景勝地であったからである。現在の平等院… ►続きを読む

 

宇治上神社

 

宇治上神社(うじがみじんじゃ)  2008/05/11訪問 宇治上神社 本殿  宇治神社の本堂に面し、左側に進むと石畳の道に出る。宇治川東岸から源氏物語ミュージアムに至る、さわらびの道である。 さわらびの道 石畳が敷かれ整備されている 早蕨之古跡碑  この道を北に進むと宇治神社の北西角に早蕨之古跡碑が現れる。宇治十帖の古跡を記念した石碑であるが、江戸から明治時代にかけて所在を転々としてきた。JR奈良線の元となる奈良鉄道の工事に伴い、現在の場所に移ったといわれている。 早蕨の巻の大半は八宮邸が舞台となっているが、莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)が八宮のモデルではないかと思われて… ►続きを読む

 

宇治神社

 

宇治神社(うじじんじゃ)  2008/05/11訪問 宇治神社 宇治川に面した鳥居  興聖寺を出て、再び観流橋を渡り朝霧橋のたもとまで戻ると右手に宇治神社の鳥居が現れる。この鳥居をくぐり、短い参道の先の石段を登ると桐原殿の額のかかる小さな拝殿が現れる。拝殿の裏側に廻ると小さな鳥居があり、10段程度の石段の先に宇治神社の本殿がある。 宇治神社 拝殿へつながる石段 宇治神社 本殿  宇治神社の祭神は菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)。  応神天皇の末の皇子・菟道稚郎子は寵愛され、応神天皇40年(309)に皇太子となる。翌年に天皇が崩じたが即位せず、大鷦鷯尊と互いに皇位を譲り合った。… ►続きを読む

 

興聖寺

 

曹洞宗永平寺派 仏徳山 興聖寺(こうしょうじ)  2008/05/11訪問 興聖寺 法堂と前庭  橘島から朝霧橋を渡り、宇治川右岸を川に沿って上流に進む。茅葺屋根の朝日焼窯芸資料館を過ぎると観流橋が現れる。観流橋は宇治発電所からの流水路が宇治川に合流する地点に架けられた橋である。前日の雨のせいか発電所からの放水量も多く、周囲に大きな水音を轟かせていた。 観流橋 興聖寺へと続く道筋  橋を渡りきりしばらく進むと、石造の門柱に瓦屋根を載せた表門と興聖寺と書かれた碑がある。日本における曹洞宗最初の寺院、山号は佛徳山。 興聖寺 表門 興聖寺 琴坂と石塔  興聖寺へはこの表門をく… ►続きを読む

 

塔の島と橘島

 

塔の島と橘島(とうのしま と たちばなじま)  2008/05/11訪問 搭の島 十三重の搭  縣神社を出て、あがた通を大津方面に左折し道なりに進む。平等院の裏側を過ぎると宇治川と2つの島が現れる。下流側の大きな島は橘島、上流側の小さな島は塔の島あるいは浮島と呼ばれている。この2つの島を含めた中洲地域を塔の島地区あるいは中の島と表わすこともあるからややこしい。この2つの島と岸を結ぶため、4つの橋、喜撰橋・中の橋・朝霧橋・橘橋が架けられている。 搭の島 喜撰橋 搭の島 喜撰橋から平等院側の岸を望む  まず朱の高欄に擬宝殊のある喜撰橋を渡り塔の島に入る。平等院側の岸には鵜飼舟の船… ►続きを読む

 

縣神社

 

縣神社(あがたじんじゃ)  2008/05/11訪問 縣神社  橋姫神社の前を過ぎ、さらに「あがた通り(縣神社参道)」をしばらく進むと道は突き当たり、左側は宇治田原経由で大津へ、右側は久御山経由で淀に至る。縣神社はこの分岐する交差点の左角に位置する。 縣神社 本殿 縣神社 本殿  縣神社は木花開耶姫命を祭神に祀る神社。「縣」の名の由来には、木花開耶姫命の別名である「吾田津姫(あがたつひめ)」という説と古代の行政区である宇治県の守護神として祀られていたという説がある。いずれにしても神代の頃からの地主神だとされている。 藤原道綱母によって書かれた「蜻蛉日記」には、宇治の「あがたの… ►続きを読む

 

橋姫神社

 

橋姫神社(はしひめじんじゃ)  2008/05/11訪問 橋姫神社  宇治橋を渡り、縣神社の大鳥居をくぐり「あがた通り(縣神社参道)」をしばらく進むと左手に塀の切れ目に小さな鳥居がある。注意して歩かないと見過ごしてしまいそうなほど小さな橋姫神社である。  境内右に大きな覆屋が架けられ、その中に橋姫社(瀬織津比咩尊・せおりつひめのみこと)と住吉明神社が並ぶ。瀬織津比咩尊は、海神・風神・霊界神とともに祓戸の大神四神の川の神・水神である。また住吉神社も同じく水の神である。 放生院でも記したように大和の元興寺の僧 道登が大化2年(646)に宇治川に橋を架けた。このことは宇治橋断碑に記述されている… ►続きを読む

 

宇治橋

 

宇治橋(うじばし)  2008/05/11訪問 宇治橋 下流側より  放生院から再び宇治橋東詰に戻り、宇治橋を渡る。 宇治橋 下流側より 宇治橋 東詰め 宇治橋 橋の由来  宇治橋は放生院で触れたように、大化2年(646)に宇治川に架けられた橋である。滋賀県大津市の瀬田川にかかる「瀬田の唐橋」と京都府大山崎町の淀川にかかっていたといわれる「山崎橋」と共に、日本三古橋の一つに数えられている。  現在の橋は、長さ155m、幅25mで平成8年(1996)に架け替えられたものである。擬宝珠を冠した桧造りの高欄という伝統的なデザインは、この地を訪れた人々に宇治の歴史を感じさせるの… ►続きを読む

 

放生院

 

真言律宗 放生院(ほうじょういん)  2008/05/11訪問 放生院 山門  京阪本線淀駅から中書島で乗り換え、京阪宇治線の宇治駅に出る。京阪宇治線の西側を宇治川が流れているため、宇治駅を出ると目の前に宇治橋が架かる。橋を渡らず宇治川の東側を平行に走る道に入り、50メートルほど進むと左手に放生院の山門が現れる。  放生院は、山号を雨宝山 寺号を常光寺という真言律宗のお寺である。宇治橋を管理する守り寺とされていることから、通称“橋寺放生院”でよばれていた。  推古天皇12年(604)に聖徳太子の発願により、秦河勝が太子の念持仏である地蔵菩薩像を祀る地蔵院を建てたのがはじまりという。宇治橋… ►続きを読む

 

淀城

 

淀城(よどじょう)  2008/05/11訪問 淀城 鯉幟が濠にかかる  井上源三郎が埋葬されたと考えられている辨慶淀店から納所の交差点に向かい、唐人雁木旧趾の碑を探したがどうも見つからなかった。唐人雁木とは江戸時代、将軍の代替わりや慶事の祝賀のために派遣された朝鮮通信使が到着した船着場のこと。通信使の一行は対馬から瀬戸内海に入り淀城下に到着していた。淀で休憩した後、京都を経由して江戸へ向かう。高張提灯が並べられた雁木では、一晩中篝火が焚かれ、饗応されていたといわれている。船着場の階段が鋸状なので雁行をイメージされて雁木といわれたらしい。  旧京阪国道をさらに南西に進むと淀城跡公園へ続く… ►続きを読む

 

納所と淀小橋

 

納所と淀小橋(のうそ と よどこばし)  2008/05/11訪問 納所と淀小橋 淀小橋跡  辨慶淀店から旧京阪国道を70メートルほど南西に進むと納所の交差点に出る。 納所と淀小橋 納所交差点 中央の道が府道204号 納所と淀小橋 納所交差点 中央に入っていく道が千本通  納所の交差点には6方向から道が入っている。旧京阪国道の府道13号が北東から入り、南西に出て行く。これに府道204号、府道125号、府道124号と千本通の4つの道が交差点に入り込んでいる。府道124号は中書島を起点にほぼ京阪本線と併走する道であり、また千本通は北区鷹峯から始まるが、九条以南は鳥羽街道とよばれて… ►続きを読む

 

井上源三郎埋葬推定地

 

井上源三郎埋葬推定地(いのうえげんざぶろう まいそうすいていち)  2008/05/11訪問 井上源三郎埋葬推定地 辨慶淀店  八番楳木の戊辰之役東軍戦死者埋骨地から再び府道124号を納所交差点方向に戻る。途中、右に折れると小さな流れが現れる。護岸は整備されていたが、昔は湿地帯の中をこのような小川が無数流れていたのではないだろうか。 納所 小さな小川  橋を渡り、UR都市機構伏見納所団地の中を進む。旧京阪国道に出る箇所に、五輪塔型の鳥羽伏見之戦地跡地碑と書かれた碑がある。建立者が明記され、昭和47年(1972)に建てられたことも分かる。八番楳木の戊辰之役東軍戦死者埋骨地が昭和45年… ►続きを読む

 
 

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