文書と写真・地図による「記憶」の再現

カテゴリー:200912

嵯峨野の町並み その9

 

嵯峨野の町並み(さがのまちなみ)その9 2009年12月20日訪問 2009年12月20日訪問 嵐山花灯路2009 落柿舎  貞和3年(1347)に夢窓疎石が裏書したことにより、「大井郷界畔絵図」は天龍寺と臨川寺が対立することなく、臨川寺領を維持できるようにその寺領を朱線で囲んで示したことが分かる。その寺領はかつての河端殿だけではなく、南は大堰川の右岸、西は法輪寺橋、北は造路、東は造路が分岐する先までと描かれている。つまり東南隅に臨川寺領、南西隅から北西隅に天龍寺領、そして東北隅から中心にかけてが釈迦堂領と大覚寺領という構成になっている。このように絵図に描かれている範囲が「亀山殿近辺指図」より広がっていることは、臨川寺の寺領を絵図内に収める目的はあったものの、嵯峨の開発が一層進展した結果でも… ►続きを読む

 

嵯峨野の町並み その8

 

嵯峨野の町並み(さがのまちなみ)その8 2009年12月20日訪問 2009年12月20日訪問 嵐山花灯路2009 常寂光寺  嵯峨野の町並み その6では、平安時代初期の嵯峨野の開発と嵯峨院などの建立の経過について、そして葛野郡、乙訓郡、紀伊郡、愛宕郡の4郡の条里プランについて考えてきた。さらに、嵯峨野の町並み その7では、「延喜式」より平安京の条坊地割を導き出し、上記4郡の条里プランの上に乗せてみた。また嵯峨野の6ヶ里の地割だけが西側に16度傾いていることを示し、その理由と変更時期について考えた。 この項では鎌倉時代初期から室町時代初期にかけての嵯峨野における条里プランと景観の変遷について見て行くこととする。  「平安京-京都 都市図と都市構造」(京都大学学術出版会 2007年刊)の第7章… ►続きを読む

 

嵯峨野の町並み その7

 

嵯峨野の町並み(さがのまちなみ)その7 2009年12月20日訪問 2009年12月20日訪問 嵐山花灯路2009 大沢池  長岡京から平安京に遷都が決まると、4郡の条里プランの上に新たな40丈=400尺単位の条坊が作られることとなった。平城京の条坊が180丈と大きかったのに対して平安京では40丈とかなり小さくなっている。この条坊の大きさ以外にも2つの都城には大きな違いがあった。平安京の条坊が40丈の宅地部分に大路・小路の道路幅を足し合わせる形で作られている。つまり28丈の幅を持つ朱雀大路の西側に40丈の宅地があり、その西側に4丈の西坊城小路が作られている。朱雀大路の中心から西坊城小路の中心までは28/2+40+4/2の56丈となる。 これに対して平城京の大路・小路の中心線間を180丈に定め… ►続きを読む

 

嵯峨野の町並み その6

 

嵯峨野の町並み(さがのまちなみ)その6 2009年12月20日訪問 2009年12月20日訪問 大悲閣千光寺からの眺望  二尊院 時雨亭跡からの眺めは、残念ながら木々が密生しているためあまり良いものではなかった。恐らく展望台として整備していないためであろうが、そのような整備を行われずに今のままの姿であることを望む。 大悲閣千光寺からの眺望 比叡山と双ヶ丘 大悲閣千光寺からの眺望 双ヶ丘 大悲閣千光寺からの眺望 比叡山と仁和寺  この日は大悲閣千光寺、大河内山荘、常寂光寺、そしてこの二尊院と、少しづつ北に移動しながら眺望を見比べる楽しみがあった。特に大河内山荘から常寂光寺にかけての位置から眺める京都の町並みと比叡山の姿は大変美しい。仁和寺から双ヶ丘にかけての柔らかな山並みと五重塔を始めとする寺院の… ►続きを読む

 

二尊院 時雨亭跡

 

天台宗 小倉山 二尊院 時雨亭跡(にそんいん しぐれていあと) 2009年12月20日訪問 二尊院 時雨亭跡  二尊院の本堂の西側の斜面に墓地が広がる。この広い墓地の中で迷わないように、湛空上人廟の前に道標が建てられている。北側は角倉家墓地と三帝の塔、そして南側に進むと時雨亭跡に至る。この道標に従い、湛空上人廟の前から凡そ南側に5分弱歩くと、ぽっかりと開けた広場に出る。この間、さして上り道になっていなかったので、恐らく湛空上人廟とほぼ同じ標高にあったと思われる。建物の礎石と思われるものが数個残されており、説明板にはここが二尊院の時雨亭跡だと記している。GPSで確認すると、庫裏や書院のある地点から西側30メートルの斜面の上であることが分かった。 鎌倉時代初期の歌人・藤原定家は、応保2年(116… ►続きを読む

 

二尊院 その2

 

天台宗 小倉山 二尊院(にそんいん)その2 2009年12月20日訪問 二尊院 角倉家墓地  二尊院では、嵯峨天皇による創建から法然と九条家そして法然の弟子達による再興、そして応仁の乱の後の広明恵教と三条西実隆父子による再興について書いてきた。特に江戸時代に入ると、徳川家による寄進だけではなく、嵯峨の豪商角倉家が檀家となったことで寺運を一層興隆させている。 二尊院 西行法師庵の跡 紅葉の馬場の左側に建つ 二尊院 本堂と前庭・竜神遊行の庭 二尊院 本堂庭園  これに対して正徳元年(1711)の「山城名勝志」(新修 京都叢書 第7巻 山城名勝志 乾(光彩社 1968年刊))の二尊教院には、以下のように記述されている。 蓮門宗派云當寺ハ者弘仁ノ聖主凝シ二叡信ナ一於テ二此砌ニ一為二萬代ノ御願一被レ建二一宇ノ… ►続きを読む

 

二尊院

 

天台宗 小倉山 二尊院(にそんいん) 2009年12月20日訪問 二尊院  落柿舎を出て、再び愛宕街道に戻り、北に向かって歩く。有智子内親王墓そして去来墓、西行井戸のある弘源寺墓地を過ぎると、二尊院の総門が現れる。 二尊院 紅葉の馬場から石段を眺める 二尊院  天台宗の寺院・二尊院の山号は小倉山。正式な名称は二尊教院華台寺という。「日本歴史地名大系第27巻 京都市の地名」(平凡社 初版第4刷1993年刊)には、創建についての2つの説を併記している。承和年間(834~47)に嵯峨天皇が慈覚大師に勅して創建したとする説。二尊教院は釈迦如来と阿弥陀如来の二尊を本尊としたことに由来している。また別の説として、二尊院縁起には嵯峨天皇が同じく承和年間に阿弥陀如来を本尊とする華台寺と、釈迦・弥陀二尊を本尊と… ►続きを読む

 

落柿舎 その3

 

落柿舎(らくししゃ)その3 2009年12月20日訪問 落柿舎  落柿舎 その2では、去来の落柿舎購入から芭蕉の三度の訪問について書いてきた。ここではその後の落柿舎について触れてみる。 向井去来は名を兼時、号を元淵と云う。去来は別号である。父の元升は肥前国長崎の儒者で、慶安4年(1651)次男として生まれ、万治元年(1658)8歳の時に京に移り住んでいる。飛鳥井家に仕え、儒学、暦学、射術を学ぶ。後年松尾芭蕉の門に入り俳諧を学ぶ。関西の俳諧奉行と称され、落柿舎に以下のような制札を掲げている。 一 我家の俳諧に遊ぶべし、世の理屈を言ふべからず一 雑魚寝には心得あるべし、大鼾をかくべからず一 朝夕かたく精進思ふべし、魚鳥を忌むにはあらず一 速に灰吹を棄つべし、煙草を嫌ふにはあらず一 隣の据膳を待つべ… ►続きを読む

 

落柿舎 その2

 

落柿舎(らくししゃ)その2 2009年12月20日訪問 落柿舎  有智子内親王墓の東隣に落柿舎がある。昨年訪れた時は素屋根が架けられ、敷地内に入ることも出来なかった。今年は工事も完了し拝観できる状況になっている。 落柿舎は、松尾芭蕉の弟子である向井去来の別荘として使用されていた草庵で、その名の謂れについては去来が著した「落柿舎ノ記」に記されている。この「落柿舎ノ記」は日本古典文学体系92巻に掲載されているが、天明7年(1787)に刊行された拾遺都名所図会にも以下のように掲載されている。 嵯峨にひとつのふる家侍る。そのほとりに柿の木四十本あり。五とせ六とせ経ぬれど、このみも持来らず代かゆるわざもきかねば、もし雨風に落されなば、王祥が志にもはぢよ、若鳶烏にとられなば、天の帝のめぐみにももれなむと、… ►続きを読む

 

有智子内親王墓 その2

 

有智子内親王墓(うちこないしんのうのはか)その2 2009年12月20日訪問 有智子内親王墓  常寂光寺の山門を出て東へ道を進むと、100メートル足らずで視界が開ける。角には三宅安兵衛遺志の小倉山・常寂光寺・歌仙祠の碑が建つ。この石碑は愛宕街道に建ち、常寂光寺への曲がり角を示すためのものである。北東側には「北 二尊院 祇王寺 愛宕道」、南西には「南 亀山公園 嵐山」とある。現在、嵯峨野を訪れる人には無料の観光地図が配布されるのでその必要性は薄れているが、碑が建立された昭和4年(1929)には十分役割を果たしていたと思われる。 この角から見る風景が一番嵯峨野の魅力を感じさせる。目の前に広がる畑の奥には有智子内親王の墓と落柿舎が並び、密度の濃い木立の奥には嵯峨野の山々が見える。特に落柿舎の前の畑… ►続きを読む

 

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